あび卯月☆ぶろぐ

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泰緬鉄道~タイと日本の深い仲~

2008-10-30 23:02:53 | 歴史・人物
『くりぃむ世界(秘)特ダネ仰天そのウソ・ホント』という、いかにもくだらなそうな番組をやっていた。
半分クイズ番組のようなもので問題ごとに二つの名所やスポットを紹介する。
たとえば、「デブばかりの島」と「全裸にならないと入れない島」。
さて、本当にあるのはどっち?というような番組だ。
ちなみにこの答えは、「全裸にならないと入れない島」がホントウ。
我が福岡県に存在する沖ノ島のことだ。

この番組のなかで、タイにまつわる問題があった。
「市場の中を突っ切って走る電車」と「ニューハーフ専用のバス」。
さて、どっち?というわけだ。
ゲストのタレントたちが各々思う方へ移動する。
「ニューハーフ専用のバス」を選んだのはスピードワゴンの井戸田ひとり。
他のタレントはあの電車はある、と。
すると、井戸田が「みなさん、重要なことを忘れていませんか。タイには鉄道がないんですよ」と、とんでもないことを言い出した。
すぐにほしのあきが「タイでの撮影で電車に乗りましたよ」と返していた。
しかし、タイに鉄道が無いなんてよくそんなデタラメが云えたものだ。
彼は泰緬鉄道を知らないのだろう。

二十世紀、欧米列強が世界中に植民地を作っていたころ、アジアでなんとか独立を保っていたのは日本とタイと支那くらいのものだった。
日本は支那の近代化のために留学生を大勢受け入れた。
『阿Q世伝』の魯迅、周恩来、汪兆銘、蒋介石、江沢民も日本で学んだ。
江沢民が日本の炭鉱節や海ゆかばをいまでも諳んじることができるのはそういった事情からだ。
中国建国の父と言われる孫文を支援したのも日本人。
玄洋社の頭山満をはじめ多くの日本人が私財を擲って支那人を支援した。
孫文は革命を成し遂げた後、日本人からの借金を踏み倒す。
それで、没落した日本人も多くいたが、恨み言を云う者はいなかった。

ところが、そののち支那はそんな恩を仇で返すように、欧米になびいて共に反日(当時は「侮日」と表現されていた)に走る。
一方、タイは日本が特別何かしたわけでもないのに、終始日本の味方をしてくれた。
関東軍が満洲事変を起こし満洲国を作った時、国際聯盟は日本に満洲国の承認を撤回することを求める勧告案を出す。
この勧告はよく知られているように賛成四十二、反対一(日本)、棄権一で可決される。
ただ、棄権一がどこの国だったかはあまり知られていない。
これがシャム(今のタイ)だった。
タイは欧米列強に媚びず、リスクを覚悟して日本のために棄権票を投じてくれたのだ。

1941年1月6日タイは仏印植民地政府に宣戦し、二十個大隊をカンボジアとラオスに進攻させる。
いづれも、フランスがタイから奪った土地だ。
ところが、フランスは強かった。
タイの惨敗が目前になったところで日本が仲裁に入り、フランスがメコン川以西をタイに返還することで講和となった。
なお、この戦争では日本がタイ海軍に引渡した軍艦が使用されている。
結果的に、勝ち戦にしてもらったタイは国聯の時の恩を返してもらったかたちになる。

タイはさらにそのお礼に、昭和十六年十二月、日米戦争がはじまるととタイも英米に宣戦布告し、日本にタイ領土内の無害通行権を与えてくれた。
御蔭で日本はマレー作戦、ビルマ作戦などイギリスを追い出す戦いに成功することが出来た。
そして、昭和十八年春から日本は戦争をしながらタイ・ビルマ間に鉄道の敷設を開始する。
これが例の泰緬鉄道だ。(泰はタイ、緬はビルマの意)
敷設には日本軍の鉄道連隊と連合軍の捕虜、そして募集した地元民が従事した。
そして、当初五年掛かるといわれた全長415キロあまりの敷設をわずか一年半で開通させた。
日本としてはビルマ戦線の物資郵送ルートという意図があったのも事実だが、同時に戦争が終わった後、タイ人とビルマ人にとっての重要なインフラになればという意識を持って作った。
だから、普通、欧米人はこういう時、木の仮橋を作ったりするのだが、日本軍はコンクリート製の橋脚をもつ鉄橋を作った。

これを「死の鉄道」と騒ぎ立てるのが酷使されたフランス人で、黄色い猿と思っていた日本人にこき使われたのが我慢ならなかった。
その一人、ピエール・ブールは『クワイ川の橋』を書く。
その中では野蛮で低能で橋の設計もできない日本人が書かれている。
そして、白人アレックスが無能な猿どもに設計図を引いて木の橋を作ってやったと書いているが、勿論、全部嘘。
設計をやったのはすべて日本人だし、木の橋ではなく鉄橋を作った。
フランス人は単純作業をやっただけだ。
ちなみに、この作品は『戦場にかける橋』として映画化されている。
繰り返すが、嘘ばっかりの内容なので御覧になった方もなる方も真に受けられないよう。
ついでにいうと、この作品だけで怒りがおさまらなかったピエールは『猿の惑星』を書く。
日本人を猿、黒人をゴリラに見立てて白人は彼らの奴隷になるという設定で、諸外国では露骨過ぎると嫌がる向きもあったが当の日本人は気づかずに大ヒット。
「日本人は自分に対する偏見にナイーヴ(世間知らず)だ」とは某ハリウッド関係者の言葉だ。

さて、戦後、連合軍は泰緬鉄道の全面撤去を命じる。
「ハル・ノート」で有名なコーデル・ハルは終戦前年の秋に「日本は敗れても、解放の戦士としてアジアに影響を残すだろう」と語っているが、この泰緬鉄道の撤去も日本がアジアに残した影響を消し去るためだったといわれる。
同じようなことが、パラオなど日本が統治した国々で行われた。
ただ、タイ政府は連合国にうまく立ち回って撤去を渋り、タイ国内で約130キロを残した。
これが今でも地元の貴重な輸送機関、観光資源として地元民に重宝されている。
日本軍が作った線路も鉄橋も立派に役目を果たしているわけだ。
番組で市場の間を突っ切って走る電車が乗っていた線路もその一部。
タイは日本が残したこの鉄道に感謝を意を表し、当時の機関車が記念として残されている。

タイといえば他にも日本軍が使っていた95式軽戦車も保存してくれていて、なんといまでも動くという。
また、日本から供与されて対仏印戦に使われた海防艦「メコン」も展示保存されてある。

一方で、戦前日本が国中に鉄道を敷き、学校を作り、病院をつくり、ダムをつくり、農地の改良をほどこし、人口が倍増したにも関らず、感謝のカの字もない対照的な国もあるが、これについては野暮になるので書かない。

タイについてさらに書かせてもらう。
戦後、世界中の国が敗戦国日本に賠償金をたかった。
枢軸国仲間であったにもかかわらず、イタリアも日本から金を毟り取ったし、中立国で日本と戦火を交えていないスイスなんかも同じだった。
その中にあって、戦勝国であるにもかかわらずまっさきに賠償放棄したのはタイだった。
さらに、大東亜会議に参加して東條首相と「白人支配からの解放」を謳ったタイのワンワイタヤコン殿下は国連議長に就任するやいなや、日本の国際社会復帰、国連加盟に尽力してくれた。
タイは外交下手の日本につけこむことなくいつも暖かい手を差し伸べてくれた。
歴史を学ぶとどの国と仲良くするべきか自ずから見えてくる。
タイへの恩を忘れてはいけない。