本日付の讀賣新聞夕刊を見て「おや」と思った。
一面の見出しに「百姓ならぬ百笑村」とあったからだ。
百姓という言葉はマスメディアでは差別語扱いになっていたと思ったがいつの間にか解禁されているようだ。
高島俊男先生の『お言葉ですよ・・・』によると、2000年頃の産経新聞では引用文中の「百姓」という箇所をすべて「××」と表記し「××部分は現在新聞禁止用語」と説明してあったとある。(文庫版、六巻214頁)
しかし、この「新聞禁止用語」は胡散臭い。
というのも、朝日新聞は歴史学者・網野善彦さんのインタビューを載せた文化欄で「百姓」を使っているからだ。(同、216頁)
この網野さんは別の新聞から取材を受けたときのことを「驚いたことに、「百姓」ということばはマスメディアではそのままでは使えない、一種の差別語のような扱いをされていることをそのときはじめて知りました」と書いている。
(網野善彦『続・日本の歴史をよみなおす』筑摩書房、23頁)
網野さんが朝日新聞の取材を受けたのは2000年。
別の新聞から取材を受けたのは1995年前後だからこの頃までは基本的に「百姓」は新聞等では使えない言葉であったらしい。
今では、今日の讀賣新聞のにあったように普通に使用できるようだ。
グーグルのニュース検索で「百姓」をキーワードにして検索してもかなりの数が引っ掛かる。
産経新聞も以前は××と表記していたが、いまでは平気で使っている。
先に登場した網野さんがその著書等で何度も主張しているように、百姓は差別語でもなんでもない。
また、「百姓」=「農民」でもないから注意が必要だ。
時代によって百姓の解釈は異なるが、おおむね官人以外の「一般人」の意味として捉えるのが正しい。
現代支那語でも「百姓」は「庶民」「一般人」の意味になる。
ただし、江戸時代後期以後は広く「百姓」=「農民」との解釈がされてきた。
現在でも「百姓」=「農民」という理解をしている人がほとんどだろう。
それは、江戸時代に農本社会が進み、一般人の殆んどが農民だったことによる。
しかし、百姓の中には漁民もいれば、商人もいたし、職人もいたわけだ。
百姓を今の言葉になおすと官人以外だから「民間人」がもっとも近いだろうか。
いづれにしても、百姓が「新聞禁止用語」なんて奇妙なものにされる理由はない。
いま、普通に百姓が使われるようになったのはごくあたりまえのことだ。
支那なんかも早くあたりまえに使われるようになればいいのですけれど。
一面の見出しに「百姓ならぬ百笑村」とあったからだ。
百姓という言葉はマスメディアでは差別語扱いになっていたと思ったがいつの間にか解禁されているようだ。
高島俊男先生の『お言葉ですよ・・・』によると、2000年頃の産経新聞では引用文中の「百姓」という箇所をすべて「××」と表記し「××部分は現在新聞禁止用語」と説明してあったとある。(文庫版、六巻214頁)
しかし、この「新聞禁止用語」は胡散臭い。
というのも、朝日新聞は歴史学者・網野善彦さんのインタビューを載せた文化欄で「百姓」を使っているからだ。(同、216頁)
この網野さんは別の新聞から取材を受けたときのことを「驚いたことに、「百姓」ということばはマスメディアではそのままでは使えない、一種の差別語のような扱いをされていることをそのときはじめて知りました」と書いている。
(網野善彦『続・日本の歴史をよみなおす』筑摩書房、23頁)
網野さんが朝日新聞の取材を受けたのは2000年。
別の新聞から取材を受けたのは1995年前後だからこの頃までは基本的に「百姓」は新聞等では使えない言葉であったらしい。
今では、今日の讀賣新聞のにあったように普通に使用できるようだ。
グーグルのニュース検索で「百姓」をキーワードにして検索してもかなりの数が引っ掛かる。
産経新聞も以前は××と表記していたが、いまでは平気で使っている。
先に登場した網野さんがその著書等で何度も主張しているように、百姓は差別語でもなんでもない。
また、「百姓」=「農民」でもないから注意が必要だ。
時代によって百姓の解釈は異なるが、おおむね官人以外の「一般人」の意味として捉えるのが正しい。
現代支那語でも「百姓」は「庶民」「一般人」の意味になる。
ただし、江戸時代後期以後は広く「百姓」=「農民」との解釈がされてきた。
現在でも「百姓」=「農民」という理解をしている人がほとんどだろう。
それは、江戸時代に農本社会が進み、一般人の殆んどが農民だったことによる。
しかし、百姓の中には漁民もいれば、商人もいたし、職人もいたわけだ。
百姓を今の言葉になおすと官人以外だから「民間人」がもっとも近いだろうか。
いづれにしても、百姓が「新聞禁止用語」なんて奇妙なものにされる理由はない。
いま、普通に百姓が使われるようになったのはごくあたりまえのことだ。
支那なんかも早くあたりまえに使われるようになればいいのですけれど。