先日、久し振りに「世界ウルルン滞在記」を見た。
もう驚いたのなんのって。
司会の渡辺満里奈が消えていたり、ナレーションの下条アトムが松尾スズキになっていたりして、番組の雰囲気ががらっと変わっていた。
渡辺満里奈が居なくなったのは別にどうでもよいが、下条アトムさんが降板したのは一大事だ。
私にとって下条アトムさんといえばウルルンであるし、ウルルンといえば下条アトムなのである。
ナレーションが変わるだけであそこまで番組の雰囲気が変わるとは。
音楽や演出が変わったことを差し引いても、ナレーターの変更は大きい。
松尾スズキさんも嫌いではないのだけどもウルルンって感じがしない。
はじめ何気なく見ているとNHKのドキュメンタリー番組かなんかと勘違いしたくらいだ。
いま調べてみるとウルルンは去年の四月にリニューアルされていたらしい。
これまで知らなかったとは随分長い間ウルルンを見ていなかったんだな。
さて、私が見た回は再会スペシャルということで、かつて訪れたホームステイ先に再び赴いたり、逆にホームステイ先でお世話になった家族が日本に来たりするあのパターン。
なかでも興味深かったのは山口もえがお世話になったモンゴル人夫婦とのエピソード。
もえさん(私は普段山口もえのことをこう呼んでいる)はモンゴルに行った時、あの独特のほや~んとしたノリで周囲を困惑させたり和ませたりしていたのだが、モンゴル人お父さんが羊(だったと思う)を殺して解体する場面でもえさんは「かわいそう」と言いながら泣き崩れてしまう。
その時、お母さんは「あなたも日本でお肉を食べるでしょう?」あなたが日本で食べている肉もこうやって殺している。それと同じことなのよ、と優しく諭してくれる。
モンゴル人のお母さんの言う通りだ。
我々は普段、肉を食べている。
そのくせ、牛や豚が殺される場面をみると残酷だなどと思ってしまう。
しかし、食肉はスーパーやお肉屋に綺麗に並んでいる状態になるまでにかならず・解体という過程を経なければならない。
残酷だなどと思うことは理論の上からはあってはならないことなのだ。
とはいえ、やはり一般の日本人にとって動物を殺す場面は見慣れていないし、抵抗を覚えることもまた自然なことであるし、の場面自体に強い抵抗を覚えること自体否定するものではない。
その点、狩猟民族や騎馬民族である西欧人やモンゴル人は平気で牛や豚を解体する。
ドイツあたりじゃ、牛一頭を解体出来るようになって一人前の主婦だとか。
ある大学講師の先生がドイツに行った時、妙齢の婦人が大きなハンマーを持って牛を殺して解体し始めたので驚いたとか言っていた。
さてさて、これからが本論。
動物を殺す場面にはとかく抵抗を覚える我々日本人だけども、魚をさばく場面は案外平気なのではあるまいか。
いや、案外どころかほとんどの人が平気なはずだ。
それどころか、マグロの面などを見ると「あぁ美味しそうだ」などと思ってしまうだろう。 (私がいやしいだけか?)
「だって、魚と哺乳類だもの全然勝手が違うよ」という意見が大半だと思う。
ところが、ところがである。
先ほど、もえさんを優しく諭したあのモンゴル人のお母さん、そして羊を解体していたお父さんがもえさんと一緒に日本でフグを食べることになった。
モンゴルでは生魚は食べないので初めての経験。
そのとき、フグをさばくシーンも見学することになったのだが、このとき、お父さんお母さんは悲鳴を挙げんばかりに驚いていた。
そして、お母さん曰く「殺されるフグをみているととてもかわいそうになって・・・あの時のもえの気持がよくわかったわ」と。
モンゴルでのもえさんよろしく、お母さんはちょっと泣きそうになっていた。
これには大笑いしたと同時に大変驚いた。
私には羊は平気なのにフグは駄目というのはまったく理解できない。
逆に、モンゴルの人々はなぜフグは平気なのに羊は駄目なのだろうと思うだろう。
ここに異文化理解の難しさと面白さを見た。
いやぁ、文化の違いって面白いですね。
もう驚いたのなんのって。
司会の渡辺満里奈が消えていたり、ナレーションの下条アトムが松尾スズキになっていたりして、番組の雰囲気ががらっと変わっていた。
渡辺満里奈が居なくなったのは別にどうでもよいが、下条アトムさんが降板したのは一大事だ。
私にとって下条アトムさんといえばウルルンであるし、ウルルンといえば下条アトムなのである。
ナレーションが変わるだけであそこまで番組の雰囲気が変わるとは。
音楽や演出が変わったことを差し引いても、ナレーターの変更は大きい。
松尾スズキさんも嫌いではないのだけどもウルルンって感じがしない。
はじめ何気なく見ているとNHKのドキュメンタリー番組かなんかと勘違いしたくらいだ。
いま調べてみるとウルルンは去年の四月にリニューアルされていたらしい。
これまで知らなかったとは随分長い間ウルルンを見ていなかったんだな。
さて、私が見た回は再会スペシャルということで、かつて訪れたホームステイ先に再び赴いたり、逆にホームステイ先でお世話になった家族が日本に来たりするあのパターン。
なかでも興味深かったのは山口もえがお世話になったモンゴル人夫婦とのエピソード。
もえさん(私は普段山口もえのことをこう呼んでいる)はモンゴルに行った時、あの独特のほや~んとしたノリで周囲を困惑させたり和ませたりしていたのだが、モンゴル人お父さんが羊(だったと思う)を殺して解体する場面でもえさんは「かわいそう」と言いながら泣き崩れてしまう。
その時、お母さんは「あなたも日本でお肉を食べるでしょう?」あなたが日本で食べている肉もこうやって殺している。それと同じことなのよ、と優しく諭してくれる。
モンゴル人のお母さんの言う通りだ。
我々は普段、肉を食べている。
そのくせ、牛や豚が殺される場面をみると残酷だなどと思ってしまう。
しかし、食肉はスーパーやお肉屋に綺麗に並んでいる状態になるまでにかならず・解体という過程を経なければならない。
残酷だなどと思うことは理論の上からはあってはならないことなのだ。
とはいえ、やはり一般の日本人にとって動物を殺す場面は見慣れていないし、抵抗を覚えることもまた自然なことであるし、の場面自体に強い抵抗を覚えること自体否定するものではない。
その点、狩猟民族や騎馬民族である西欧人やモンゴル人は平気で牛や豚を解体する。
ドイツあたりじゃ、牛一頭を解体出来るようになって一人前の主婦だとか。
ある大学講師の先生がドイツに行った時、妙齢の婦人が大きなハンマーを持って牛を殺して解体し始めたので驚いたとか言っていた。
さてさて、これからが本論。
動物を殺す場面にはとかく抵抗を覚える我々日本人だけども、魚をさばく場面は案外平気なのではあるまいか。
いや、案外どころかほとんどの人が平気なはずだ。
それどころか、マグロの面などを見ると「あぁ美味しそうだ」などと思ってしまうだろう。 (私がいやしいだけか?)
「だって、魚と哺乳類だもの全然勝手が違うよ」という意見が大半だと思う。
ところが、ところがである。
先ほど、もえさんを優しく諭したあのモンゴル人のお母さん、そして羊を解体していたお父さんがもえさんと一緒に日本でフグを食べることになった。
モンゴルでは生魚は食べないので初めての経験。
そのとき、フグをさばくシーンも見学することになったのだが、このとき、お父さんお母さんは悲鳴を挙げんばかりに驚いていた。
そして、お母さん曰く「殺されるフグをみているととてもかわいそうになって・・・あの時のもえの気持がよくわかったわ」と。
モンゴルでのもえさんよろしく、お母さんはちょっと泣きそうになっていた。
これには大笑いしたと同時に大変驚いた。
私には羊は平気なのにフグは駄目というのはまったく理解できない。
逆に、モンゴルの人々はなぜフグは平気なのに羊は駄目なのだろうと思うだろう。
ここに異文化理解の難しさと面白さを見た。
いやぁ、文化の違いって面白いですね。