あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
お気軽にコメントなさってください☆

朝顔咲きました。

2007-09-22 00:07:22 | 雑記
九月も下旬だというのに福岡では連日三十度越え。
昨日は最高気温三十五度。
地球温暖化は確実に進んでいますね。
暑さ寒さも彼岸までという言葉もいづれ消えてしまうかもしれません。

そんなに暑いものだから、八月中旬に駄目もとで植えていた朝顔が咲きました。

朝顔は私の大好きな花の一つです。
本当に好きだ。朝顔。
あさがお可愛いよあさがお。

「銀魂」見たりて和服復興を思ふ

2007-08-16 18:06:38 | 雑記
このまえ学校の帰りがけ、電車を乗り換えようと急いでいると、私と同時に浴衣を着た若い女性たちが大勢乗り込んできた。
小生、思わずうっとりしてしまった。
車内に入り、浴衣の娘たちをチラチラ見たいと思いつつ堪えていると横に居た男子学生二人が
(後輩)「花火大会でもあるんですかね?」
(先輩)「なー」
(後輩)「いいもんですね」
などと話していた。
なんだ、私と同じことを考えている。
やはり浴衣は良いものである。
日本人には浴衣など和服が良く似合う。
最近では日常生活で和服を着ている人はとんと見かけなくなった。
若い人はほぼ全員洋服だ。
まして、肌の露出も激しくなる一方でアメリカ人女性も驚くような恰好をしている女性もよく目にする。
洋服を着ている者はもはや日本人ではないのだ。
ナイナイの岡村隆史がラジオで言っていた。


(日本人は)ちょっと、あの、アメリカの真似しすぎるところあるんですよ。・・・
もう、GパンGジャンからそうや。さかのぼったらね。
我々、和服やから。本来。チョンマゲ切った時点でもうアカンねんて。鹿鳴館ですよ。



最後の「鹿鳴館ですよ」には思わず声をあげて笑ってしまったが、
岡村さんが言うように本来日本人は和服を着ていた。
それが、明治維新を経て文明開化ののち次第に服装が欧米化していった。
いや、服装だけではなく文化や思想までも欧米化した。
タカアンドトシが云うまでもなく、明治以降の日本人は「欧米化!」なのである。
チョンマゲを切った時点でその精神と共に日本人は日本人でなくなったのだ。
なんてことをいうと、やはりあび卯月は国粋主義者だと思われるかもしれない。
勿論、半分冗談で言っている。

文化は元来、全く純粋のものは無いと言ってよい。
他民族の様々な文化とごちゃ混ぜになって文化は多様性を持ち発展してゆく。
和服だって支那文化の影響を受けている。
国風文化というがあれも支那の影響を色濃く残している。
そもそも日本民族自体がシベリヤ系、大陸系、半島系、南方系の人種の雑種なわけで、
純粋な日本人なんてものの定義も非常に曖昧なものだ。
・・・こういう認識の上で戯言として述べていることを御理解いただきたい。

ともあれ、私は和服が滅びてしまったことに寂しさを覚える。
唐突だが、『銀魂』という漫画を御存知だろうか。
私はアニメの方しか観ていないが、この『銀魂』の世界観は明治維新が起きなかった架空の日本が舞台なのだ。
もう少し詳しく述べると、銀魂の世界では日本に黒船が来航する代わりに宇宙人が襲来してきて、
そのあと、色々あって文明開化はしたが、幕府機構は残っているという設定。
それゆえ、生活用品や風俗の様式は江戸時代のままなのだ。
チョンマゲの武士は居るし、庶民も散切り頭が多くなってきたがまだまだ髷を結っている者も多い。
女性も日本髪がまだまだ多いようである。
文明は発達してたので、人びとはテレビや車など文明の利器の恩恵に与っているが、
そのテレビのデザインが江戸のそれで、瓦がついていたりする。
また、車でも例えばパトカーに御用と書かれた堤燈のようなものがぶら下がっていたりとなかなか笑える意匠の利器が多い。
そして何より人びとが和服を着ている。
新撰組などの警察官やサラリーマンは洋服を着用しているが、ほとんどの国民は和服である。
(・・・いま、国民と書いたが幕府がまだ存在しており、近代国家が成立していないようなので「国民」というとどうも違和感がある)
そうそう、サラリーマンは洋服を着用しているものの、やはり髷を結っており、会社では畳の上に机(台?)を置いて正座をして仕事をしている(笑)

ともあれ、私はこの銀魂を観るたびに憧憬を抱く。
銀魂の世界では文明開化したものの日本文化は根強く残っているのだ。
服装等がすっかり欧米化してしまった現実の日本とは大違いである。
近代化することはつまり欧米化することとほぼ同義であるからいまの日本のありようは必然であるとも言える。
しかし、やはり和服が滅びたことは残念に思う。
ここらで一つ、誰か和服ブームを作ってはくれないだろうか。
なに、簡単なことだ、当代一流のファッションモデルや人気アイドルに和服を着せればよい。
そうすれば若者は皆、真似して着るだろう。
そして、その波を全世代に広げてゆく。
この案、一考に価すると思うが如何だろう。

夏の魅力

2007-07-28 15:01:07 | 雑記
夏である。暑い。
私は夏が異常なほど好きなのでこの暑さも不快ながら「あはは暑いよ。夏だね、こりゃどうも。」
なんて云いながら過ごしている。
夏の魅力とはなんだろう。

空が青い。雲が白い。セミが鳴いている。風鈴の音が聴こえる。
朝顔が咲く。緑が深くなる。林に森に木が生い茂る。
薄着でいられる。浴衣が着られる。
冷たいものをたべても熱いものを食べても美味い。
冷房の効いた部屋に居ると涼しい。(この涼しいという感覚は夏でないと味わえない。)
水風呂に入ると気持ちよい。
海に行くと楽しい。
炎天下ににわか雨が降ると快感。(真夏の雨ほど魅力的なものはない)
麦藁帽子をかぶった少年などが蟲取りに熱中している光景などに出くわす。
等々・・・
この一つひとつが私を恍惚とさせる。
夏ってホントにいいなぁー。
蚊に刺されるのは勘弁だけど。

恩師の死と松岡大臣の自殺

2007-05-30 00:31:29 | 雑記
いま巷では松岡農水大臣の自殺で騒いでいるが、私は同じ日、大学の恩師の訃報を聞いて松岡大臣どころではなかった。
無くなった先生は大変立派な方だった。
専門は法学。いつもユーモアをまじえた先生の講義が大好きだった。
なにより学生に愛されていた。
私が大学ではじめて福田恆存さんの話をしたのもその方だ。
福田恆存さんをあまり知る人が居なかったので、話が通じた時は嬉しかった。
先生は「コウゾンさんの文章は良いよね」と仰っていた。
その時の笑顔を今も忘れない。
まだ、還暦にも達しておらず若くして逝かれた。
世の中、立派な方から先に亡くなられるように思えてならない。
心から哀悼の意を表すると共に御冥福をお祈り申し上げたい。

さて、世の中には死にたくなくても死んでしまう方もいれば、松岡大臣のように自ら死を選ぶ人もいる。
私は必ずしも自殺を否定しない。
責任をとって自殺するということも、あいるいはあってよいと思う。
しかし、今回の松岡大臣の件はなんとも哀しい思いがする。
自ら命を絶たなくても良かったのに。
余程、悩んでいたのだろうか。
辞めたくても辞められなかったのだろうか。
辞任の道を阻んでいたのが安倍総理だとするならば一層風当たりは強くなるだろう。
参院選の影響がどうのとマスコミと共に国民は騒いでいるが私はあまり興味が無い。
それよりも、国民向けの遺書に

「国民の皆様、後援会の皆様。私自身の不明、不徳の為、お騒がせ致しましたこと、
ご迷惑をおかけ致しましたこと、衷心からお詫び申し上げます。自分の身命を
持って責任とお詫びに代えさせていただきます。なにとぞ、お許し下さいませ。
残された者達には、皆様方のお情けを賜りますようお願い申し上げます。
安倍総理、日本国万歳。平成19年5月28日松岡利勝」


と、したためられていたことの方が興味深い。
日本国万歳といって命を絶つなんて終戦時に自決したあまたの軍人を思い出した。
戦争に負けたわけでもないのにやはり命を絶つべきではなかったように思う。
松岡大臣の遺書にしたためられた「日本国万歳」は終戦時のそれとはまた違った意味で哀しさを漂わせている。

ブログ再開の辞

2007-04-06 01:27:02 | 雑記
しばらく更新を止めておりました。

と申しますのも、三月中はログインの不具合に加えて、私事で様々な事があり、どうも記事を書く気力が衰えていたのでありました。
IEの不具合はどうも治る気配がありません。
しかし、この際、割り切ってネスケを使って更新してゆくことにいたしました。

本当は今月に入ってすぐにでもその旨御報告しようと思っていたのですが、風邪で熱を出して寝込んでおりました。
お恥ずかしい限りです。

皆様には御心配をお掛けして申し訳ありませんでした。
近い内に更新したいと思います。
内容は相変わらず若造の戯言ですが、再びお附き合いくだされば幸いです。

ログインできない

2007-03-07 21:54:13 | 雑記
昨日から突然私のパソコンのIE(インターネットエクスプローラー)でgooブログにログインできなくなりました。
おそらく、gooが何らかの設定を変更して、私のIEと相性が合わなくなったのでしょう。
他の人のPCのIEからはログインできるようなので、私のIEに原因があるようです。
以前にも、タワレコのサイトでこういうことがあり、いまではアマゾンにログインが出来ません。
IEの設定をどういじっても直る気配無しです。
私のPCのIEは一体どうなっているのでしょう。
IEの最新版(私のは6.0)をインストールすれば直るでしょうか。
いづれにしても頭が痛い。

いま、この文章はネットスケープで綴っています。
どうもネスケは使いにくくて閉口します。
gooブログは使い勝手が良くて気に入っていたのですが、IEで更新できないとなると大変不便です。
このままの状態が続くようであれば、gooブログでの今後の更新は諦めようかと考えています。
いや、それともネスケで続けてゆくべきか・・・。
またはgooに問い合わせてみるか。。

どちらにしても、しばらく更新は滞ると思います。
また変化があったらお知らせします。

・・・それにしても本当に困ったなぁ。

「サラリーマン川柳」は面白い

2007-02-09 02:03:27 | 雑記
今年も第一生命の「サラリーマン川柳コンクール」の優秀作百選が発表された。

http://event.dai-ichi-life.co.jp/senryu/2007_best100.html

この中から投票で更に優秀作十句を選ぶらしい。
ということで、私なりに気に入った十句を選出したいと思う。
(括弧内は詠み人の御名前)


覚えたぞ 既に機能は 次世代へ  (ITしらず)

これはまさに私のことである。
時代についてゆけない者の哀しい叫び(笑)


飲もうかと 言えば部下すぐ 車です  (小玉虫)

これは私もよく使う手だ。
去年頃から飲酒運転が巨悪になった皮肉。


下校時に 孫に声かけ 逃げられる  (飛翔)

嫌な時代になったものだ。
自分もいつか同じ目に遭うかもしれない。


俺だって 診断結果は チョイ悪だ  (脂肪官)

思わず笑ってしまった。
私もチョイ悪オヤジになれそうだ(笑)
というかもう既になっているかも。


手品好き 上司のデスクが 消えていた  (ワフワフ)

新聞で見て、吹き出した句。
本年のマイベスト川柳。


このオレに あたたかいのは 便座だけ  (宝夢卵)

まさにサラリーマン川柳といった作品(笑)
サラリーマンの悲哀が良く表れている。


妻・子・俺 格差社会は 我が家にも  (ひら夫)

日本のお父さんで亭主関白の人って居るのだろうか。
もう、ほとんど絶滅していると思う。
日本の家庭ではお母さんがヒエラルキーの最上位に位置しているのだ。


帰りたい 我が家ではなく あの頃に (ノスタル夫)

ちょっぴりしんみりする句。
特に私はいつも郷愁を抱いて生きているのでなお心に響く。


岩盤浴(ガンバンヨク) 韓流スターかと 聞く親父 (世間知らず)

以前のサラ川で「ドットコム どこが混むのと 聞く上司」というような句があった。
このシリーズ好き。


通知表 情報保護と 見せぬ孫  (しっかり亮ちゃん)

これも、個人情報保護法に対する痛烈な皮肉。
あの法律の拡大解釈は本当にやめて欲しいです。はい。


ベスト十句を選ぶのは至難の業だった。
というより、選びきれないのでかなり適当に選んだ。
もう、これ以外にも名作のオンパレード。
上に挙げた十句を読んで面白いと感じた方は是非、第一生命のサイトから他の句も御覧になってみてください。

蛇足だが、朝の報道番組で見知らぬ若い女性キャスター(コメンテーターだったかも)が、
「なぜ、俳句になると皆、ネガティブになってしまうのでしょうねえ」とサラリーマン川柳に否定的な意見を述べていた。
川柳と俳句を一緒くたにしている事は敢えてつっこまないとして、
ネガティブでない川柳のどこが面白いというのだろう。
全く、サラリーマン川柳の醍醐味を解さぬ無粋な女だと思った。

サラリーマン川柳はすべてのサラリーマンに贈る応援歌であり(一部、OLさんの句もあるようですが)、この上ない激励なのである。

お金があれば幸せか

2007-01-29 03:43:43 | 雑記
今日、友人が尋ねてきた。

別段用があったわけではなくて雑談など。
始めプレステ3は値段が高いだのあるある大事典の捏造がどうのと他愛の無い話をしていた。
途中、なぜかエビちゃんこと蛯原友里の話になって、
友人が「エビちゃんも金持ちの男と結婚して幸せになるだろう」と言ったので、
「何故、金持ちじゃないと幸せになれない?」と問い返したら
「だって、当り前じゃないか。女はみんなそう考えている」と云う。

ここから口論になった。

「別に金があれば幸せとは限らない」
「でも、金持ちの方がいいじゃないか。結婚するなら金持ちだ」
「何故、金さえあれば幸せになれると断言する?」
「現実はそうだ」
以下省く。

女性が皆、男を金持ちかどうかの価値基準で判断しているとは女性に対する侮辱でると思う。
女性の考えがどうのという問題はとりあえずおくとして、
友人の考えによると「金さえあれば幸せ」ということらしい。
こんな堀江貴文のような考えを持っているとは驚いた。
私は金は手段であって目的だとは思わない。
お金を稼ぐことが悪だとも思わない。
それに、金は無いよりあった方がいいに決まっている。
しかし、「金があればすべて幸せ」という人生観などとてもじゃないが持てやしない。
私は人生を語ることが嫌いである。
そもそも、人生を語りうる歳ではない。
しかし、私が何を以って幸せと感じるか。
それは、金だけに左右される問題ではない。

例えば、
美しい自然を見てそれを美しいと感じる。
美しい音楽を聴いて素晴らしいと感じる。
冬に家族乃至は朋友と鍋を囲みながら熱燗をいっぱいやる。
妹と冗談を言い合いながらゲラゲラ笑う。
本を読んで知的昂奮を得たり楽しんだりする。
古本屋を巡って探していた本が見つかる。
冬の寒さに凍えながら、大好きな夏が来るのを待ちわびる。
夏、朝早く起きてじんべえに着替え庭の植物に水をやる。

・・・等々。
一々、列挙するのは恥ずかしいが、
私はこういう日常の些細な喜びに幸せをみいだしている。
そして、こういう小さな幸こそより大切だと思いながら、その幸せを噛みしめつつ生きている。
生きていると嫌なことばかりだが、嫌なことがあればかならず良い事があると信じているし、
(というか、そう思わないとやっていけない)
この世は浮世で日本の行く末を考えると暗澹たる気持ちになるけれど、私はおおむね、幸せである。
勿論、私は金に困ってもいないが金持ちでもない。
むしろ、学生の身分だから金が無いのが常である。
しかし、住む所に困らず、三食きちんと食うことが出来、それに加え、多少なりとも本やCDを買える余裕もある。
パソコンもあってインターネットに繋がってブログなどやっている。
これ以上なにを望むのだろう。
余分な金がなくとも十分豊かである。
というより、世界に目を向ければ私のような暮らしは豊かどころが恵まれすぎているだろう。
なにせ家に冷蔵庫があって開けると食べ物が入っているのだから。
私はこれ以上、贅沢をすると目が潰れると思っている。

誤解の無いように書いておくが、これはフリーター讃美の文ではない。
お金があれば幸せとは限らないけれど、生活に最低限必要なお金は要る。
したがって、「フリーターの男とは結婚しない」というのなら話はわかる。
そこは現実問題としてあると思う。
私が言いたいのはそんなに余分に金があって幸せか?ということ。
実際、「金があった方が幸せに決まっている!金がすべて!」
という人が居るのは知っているし、相手が金持ちだからという理由で結婚する女性も居るだろう。
それはそれでいい。
価値観は人それぞれだから私はとやかく言わない。
しかし、私はそういう価値観を持った人間とは絶対に相容れないし、まして結婚することがあろう筈が無い。
なぜなら、金は必要な分だけあればよくてそれからあとは如何に精神的に豊かに生きてゆくかが私の幸福の価値基準だからである。

以上のことを云いたくて口論したけれど、友人にはよく伝わらなかったようだ。
「話が噛み合わない」といわれた挙げ句、帰り際に「これ以上やると喧嘩になるから」と云われた。

私の考えの方が今の日本では古いのだろうか。
だとしたら、ますますこの国に未練は無い。
いやいや、「あなたの考えは古いですよ」と云われるのであれば、古さを是として生きている私にとってこれほど幸せなことはない。

テレビゲームブーム来たる

2007-01-26 03:29:54 | 雑記
昨年末から私の中でテレビゲームブームが到来している。
(「おいおい、あなたテレビゲームやってる場合かね?」という突っ込みは受け付けません)
冬休みやら春休みやらで時間が多くあるのです。はい。

テレビゲームと言っても私がやるのはほとんどスーパーファミコンのことである。
何度も書いてきたことだけれど、昨今のテレビゲームの3Dやらリアルな映像やら複雑な設定やらにはついていけない。

まづ、スーパーストリートファイターⅡとストリートファイターⅡ、ストリートファイターⅡターボ(この3作だいたい同時期にやった)に始まって、
それに飽きるとか『まいたちの夜』を少しやって(『かまいたちの夜』は妹の方が良くやった)、
スーパーマリオワールドを二日で全クリしたあと、桃太郎電鉄ブームがやってきた。
はじめに、桃太郎電鉄HAPPYをやり、次にスーパー桃太郎電鉄Ⅱ。
一昨日、中古で桃太郎電鉄7を買って大体今日までやっていた。
明日からやりたいと思っているのはシムシティー。

というものこんなサイトを発見したから。

悠久のシムシティー100万人計画

私はシムシティーマニアを自称していたのだけど、上のとしあきさんという方のサイトを見て愕然とした。
もう、絶対勝てない。
いや、勝ち負けの基準じゃなく、としあきさんはシムシティーの神様だと思う。
あくなき探究心と根気にただただ脱帽するのみです。
このサイト見ていると無性にシムシティーをやりたくなった。
しかし、私は100万人を目指さない。
ただ、としあきさんの理論を元にいろいろ実験してみたいと思う。

そうそう、それにしても、テレビゲームのやりすぎは体に良くない。
ゲーム脳云々はエセ科学だと思うけど、テレビゲームは体に害悪を及ぼすというのは確実に言える。
私も先日、桃鉄のやりすぎで左半身が痺れてきて閉口した。
もしかしたら軽い脳梗塞になっていたのかも。(だとしたらシャレになってないよね)
みなさんもテレビゲームのやりすぎには気をつけましょう。

恭賀新年

2007-01-01 00:43:45 | 雑記
新年あけましておめでたうございます。

謹んで新年のお慶びを申し上げ、弊ブログ読者の皆様の御多幸を御祈りいたします。
何卒、本年も宜しく御愛顧のほどお願ひ申し上げます。


 平成十九年一月一日 あび卯月

「物売るっていうレベルじゃねーぞ!」

2006-11-15 01:37:39 | 雑記
チキソさんのブログの記事で知ったのだけど、
今、ネット上で話題になっている動画。

【物売るっていうレベルじゃねーぞ!】
http://www.youtube.com/watch?v=Cjx6MlWZ2LE

プレイステーション3(以下、「PS3」)の発売日当日の混乱を報道したニュース映像。
その中で、列の先頭附近に並んでいた男性の一人が「物売るっていうレベルじゃねーぞ!」と叫ぶ。
私は始め、動画を通して見てちっとも笑えなかった。
「関係ねーよ、列なんてよぉ!!」と言ったり、転売目的で多く買ったりする者がいて、
日本人の公衆道徳はここまで低下しかのか、と、いつものように嘆いてみた。
しかし、考えようによっては日本人って集団になると昔からこんな感じなのかもしれないとも思った。
いやいや、昔はもっと品格があったはずだ、などと不毛な思いを巡らしながら何度が見ていると、だんだん可笑しくなってきた。
やはり、男性のあの一言は面白い。

「物売るっていうレベルじゃねーぞ!」

動画を御覧になればおわかりと思うが、
威勢が良いようで実はかなり挙動不審に叫んでいる。
それで充分に面白い。(笑ってはいけないのかもしれないけれど)
しかし、可笑しさの核はなんと言ってもそのセリフにある。
「物売るっていうレベルじゃねーぞ!」・・・やっぱり笑える。

そもそも、「物を売るレベル」とはどんなレベルなのか。
そして、この時のレベルはどんなレベルなのだろう。
暴動レベルだろうか。いや、騒擾レベルかもしれない。
他にどんなレベルがあるのだろう。
「レベル」という単語を使うこと自体、ゲームおたくという感じがする。
考えれば考えるほど笑いがこみ上げてくる。
昨日など、この動画で十回は思い出し笑いをしてしまった。
始め、私に憂鬱な思いをさせたのち、笑いを提供するとは、この動画あなどりがたし。

ところで、また余計なことを書いて一部の人を怒らせてしまうと思うが、
私はいまのソニーのゲーム戦略が大嫌いなので、PS3なんかコケてしまえと思っているし、
私がそう願わなくてもあんなものは大コケすると踏んでいる。
以前、ソニーの悪口を書いた時は「任天堂信者」という称号と、荒らしのアスキーアートを頂戴した。
今度は何をもらえるのか密かに期待している。

「文化の日」とは何ぞや

2006-11-04 02:30:14 | 雑記
今日(もう、昨日になってしまたが)は「文化の日」でした。
そもそも、文化の日とは何なのでしょう?
国民の祝日に関する法律(祝日法)では「自由と平和を愛し、文化をすすめる」ことを趣旨としていそうです。
なるほど、詰まりはこの日は文化的な行いをしなさいということでしょうか。

文化の日について福田恆存さんは昭和二十九年十月、HNK移動講演会においてこう述べました。
少々長くなりますが引用します。

私は「文化の日」といふ言葉が大きらひであります。
その嫌ひな理由でも話せば、何か話になるだらうと、そのくらゐの考へで今日こゝへ參りました。(中略)
戦後、この日(文化の日(あび註))をはじめ、一年間の祝祭日がどういふふうにして出來あがつたか。(中略)
じつはばらばらで、統一がない。だれが決めたか知らぬが、私などはとても本氣でつきあふ氣がしないのであります。(中略)
戰前ですと、いふまでもなく全部統一があつた。それはなるほど、いちおうは皇室中心主義的な考へかたといへるかもしれません。祭日の據つて來たる理由は、全部、皇室の行事と關聯を保つてをりました。正月は四方拜、春季および秋季皇靈祭、嘗祭、新嘗祭、いづれも皇室の行事に、あるいは祖先をまつる道に關係がありました。しかし、もつと深く考へてみれば、なにも皇室中心主義のなんといふより以前に、それらは日本の農耕生活にもとづいてゐたのであります。むしろ皇室のはうが、それに據つたのです。
 ところが、戰後は、皇室中心主義も道もいけないといふことになつた。農耕生活も非合理的でばかばかしいといふことになつた。そこで過去の祭日は全部否定してしまつて、さつきのやうな奇妙な祭日をでつちあげたわけです。(中略)
「文化の日」といふと、もつとわけがわからない。戰後さかんに「文化國家」などといはれたことがありますから、たぶん武器を棄てて、やけになつた日本人が全世界に向かつて、「矢でも鐵砲でも」ではなく「文化で來い!」と意氣ごんだつけたものでせう。


つまり、戦前の祝日は日本の伝統文化に根附いていたが、
戦後はその統一性をすべて失ってしまったという事です。
確かに、文化の日と言われてもそこに伝統や文化の重みを感じることが出来ません。
「文化の日」は戦前は「明治節」という祝日でした。
明治節というのは明治天皇の誕生日(天長節)という意味です。

長々と引用してこう言うのは矛盾してるようですが、
私は「文化の日」がそれほど嫌いではありません。
むしろ、文化という言葉には親しみを覚えるし、文化の日の趣旨にも賛成です。
というより、私にとってこの日は「文化の日」というより「レコードの日」なのです。
あまり知られていないことですが、十一月三日は「レコードの日」でもあるのです。
こちらの方がしっくりくる。
それにレコードを聴く事はそれこそ文化的な行いでありましょう。
という次第でレコード(正確に言うとCDですが)を聴きました。
しかし、「○○の日だから○○をしよう!」という態度はどうなのでしょうね(笑)

花粉症とサナダ虫

2006-10-30 00:58:08 | 雑記
花粉症が発症してしまいました。
秋なのに花粉症?と思われる方があるかもしれませんが、
秋でもセイタカアワダチソウという草が原因で花粉症になる人が居るのです。
不幸なことに私はその「なる人」のようで、今日の昼くらいから鼻水が止まりません。
ティッシュ箱まるごと一箱以上消費してしまいました。
とにかく水のような鼻水が出て頭痛はするし、体はだるいし、
こんなことでは風邪の方がまだマシです。
風邪は薬を飲んで営養を摂って寝ていれば治りますが、
花粉症はアレルギーが原因なので、薬で抑えるしかない。
本当に厄介な病であります。

ところで、寄生虫博士で有名な東京歯科大学の藤田紘一郎教授はアレルギーと寄生虫の関係についてなかなか興味深い指摘をしています。
曰く、腹中でサナダ虫を飼うと(つまり、寄生虫に感染すると)花粉症やアトピーは起こらないというのです。
その仕組みを簡単に説明しますと、
花粉に反応するアレルギー抗体(IgE抗体)が寄生虫に気を取られるので花粉やアトピーに反応する余裕がなくなるから、だそうです。
このことは実験でもすでに証明されていて、
じじつ、藤田教授も花粉症だったのですが、
サナダ虫の卵を飲み込んで腹中でサナダ虫を飼った時、
花粉症の症状がピタリと止まったのだそうです。

寄生虫というとすべて悪モノだと思っている方が殆どだと思いますが、
人間にとってよい働きをする寄生虫も存在するのです。
その代表が、サナダ虫の日本海頭裂条虫とよばれるもので、
この虫はたまに下痢を起すくらいで、それ以外は前述したように花粉症やアトピーなどアレルギーが原因の病気を抑えてくれるし、
ヒトの体内の脂肪分や営養を取ってくれるので太り気味の人にはダイエットにもってこいなのだとか。

藤田教授によるとかつて日本人のほとんどの人がこのサナダ虫に感染していて、
お互い、うまく共生したいたのだそうです。
しかし、特に戦後、寄生虫はすべて悪だということで排除され、
今では、サナダ虫を飼っている人はほとんど居なくなった。
戦後、日本人の花粉症患者が激増した一因はここにあるのだそうです。
詳しくは藤田先生の御著書を参考にされてください。
どれも、エッセイ風に書かれているので読みやすくて楽しい。
機会があったら今後このブログでも色々と紹介したいと思います。

さて、翻って私の花粉症ですが、なかなか治る気配はありません。
花粉症は一度罹ると絶対に治ることがないので、
兎に角、花粉がなくなるのを待つしかないのです。
こうなったら、いっそのこと腹中にサナダ虫を飼いたいと思っているのですが、
今や、サナダ虫に感染したいと思っても簡単に感染しないのだそうです。

やはり、現代日本において、花粉症は西洋医学の薬で抑える他ないようであります。

ダムが怖い

2006-10-29 00:23:24 | 雑記
世の中には高所恐怖症をはじめ、閉所恐怖症、尖端恐怖症、など様々な恐怖症がありますが、私は「ダム恐怖症」なのです。
「ダム恐怖症」は私が勝手に作った言葉で元々こんな言葉はありません。
もう少し詳しく説明いたしますと、ダムや水門など水を堰き止める施設・設備が怖いのです。
最近は随分馴れてきましたが、ダムや水門に近づくと背筋に悪寒が走ります。
特に水門の鉄の板の部分が上下し、水が移動する光景は血の気が引く程、恐ろしい。
想像しただけでゾッとします。
私の地元、福岡には遠賀川河口堰という巨大な水門がありますが、私にとっては福岡一の恐怖スポットです。
(今、リンク先の写真を見ましたがやはりゾッとしました。)

しかし、なぜダムや水門が怖いのか自分でも論理的に説明できません。
ただ、少なくともそこに死の恐怖を感じることは確実にいえます。
私はダムや水門を見ると生命の危機を感じるのです。

実は私の近所に住む友人もこの「ダム恐怖症」でダムや水門の恐怖について何度か語り合ったことがあります。
こんな身近にダム恐怖症者が居るので、私は「ダム恐怖症」の人は多く存在するものだと思っておりました。
が、今まで生きてきて出逢ったダム恐怖症患者はこの友人ただひとりで、
私の家族はもちろんのこと、友人知人にこの話をしても、皆、理解してくれません。
私にしてみれば、ダムや水門が怖くないということの方が不思議なのですが、
皆、不思議そうな顔を私を見つめます。

残りの人生(まだ、二十一だからたっぷりあるはず)であと一人くらいは「ダム恐怖症」の人を見つけたいと思っています。