あび卯月☆ぶろぐ

あび卯月のブログです。政治ネタ多し。
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『池上彰の参院選ライブ』における発言録まとめ(前半)

2013-07-25 23:03:11 | 政治・経済
平成25年7月21日、第23回参議院議員通常選挙の投票が行われた。
その夜にテレビ東京系で放送された選挙特番『池上彰の参院選ライブ』における池上彰さんと政治家とのやりとりや発言録をまとめてみた。

原則として、録画した番組から書き起こしたもので、発言の修正は主旨やニュアンスが変わらない範囲で最小限に留めている。
カギ括弧以外の文章は私の個人的な感想や解説。
また、文字を大きくしている箇所も私が個人的に重要だ(または面白い)と思ったところ。


■民主党本部からの中継にて

繁田美貴アナ
「この会場に入ったとき、違和感を感じた場所があります。それが壁なんです。民主党と大きく書かれた壁の右側に不自然にスペースが空いているんです。実は、去年の衆院選、大敗という結果を受け、急遽、花付けを取りやめました。今回は、名前のボードすらありません。ただ、その代わりに、そのクリーム色の壁のスペースに当確した候補の名前を貼っていく予定ということなんです」

池上彰「そもそも最初から花付けを放棄している、諦めている、ということですね。

繁田アナ「そうかもしれないですね」

(中継終わり)

池上彰「繁田アナウンサーの中継、つい声をひそめて、小さくなっているという感じですね」

峰竜太「大きな声出せないですもんねぇ。あそこでねぇ・・・」


一応、解説しておくと中継後の池上さんと峰竜太のやりとりは、民主党本部の雰囲気がお通夜のようになっていたので、思わず声をひそめてレポートせざるをえない状況を指摘したもの。



■川村建夫(自民党・選対委員長)とのやりとり

池上「(幹事長の)石破さんは全国を回っていて、川村さんが自民党本部にどっしり居て、安倍さんと川村さんのラインで選挙を動かしていたようにも見えるのですけど」

川村「決してそういうことはなくてですね、勿論、総裁の指示もございましたが、幹事長との連携・・・やはり、選挙の責任者は幹事長ですから、幹事長を中心に計画等を立てさせていただいて。ただ、幹事長は第一線で、ハードな超人的なスケジュールをこなしていましたから、顔を見ていただいたらわかるように真黒ですから。」

池上「そうですね。ということは、一番の責任者は幹事長ということは、つまり、今回の勝利の殊勲は川村さんなんですか?石破さんなんですか?」

川村「いやいや(笑) いまは手柄争いをしているときではありませんので、結果を見るまでは言えませんが、総力戦ですから、勝ったとしたらそういうことでなければならんと思います。」

(中継終わる)

池上「石破さんが一番の責任者ですからと仰っていたので、石破さんが一番の殊勲者ですと云うかと思ったら、いやいや総力戦ですと言って。自分も大きく力を入れているんだぞということを、さりげなくアピールしていたなと。」

峰「きついなぁ(笑)」

中継が終わっての池上さんの発言が毎回酷い(笑)



■アントニオ猪木(維新の会・比例)との中継

池上「一度、国会から引退されましたよね?今回、また再び挑戦されることになった。それはどうしてでしょうか?」

アントニオ猪木「まさか自分が出るとは思っていませんでした。急遽、今回は維新の会の風が止まったということでですね、まぁ、ひとつせっかく風を起こした・・・私が出てもう一回新しい風をということで。それだけなんです。」

池上「つまり、維新の会としては猪木さんの人気頼みということですね?

猪木「まぁ、人気だのみというか、まぁね・・・人が困っているときに何かをすぐ手助けしたいというタチなものですからね。選挙に出る前から空港でも何処でも人が集まる、皆さんが握手をしてくれる。今回の選挙は特に私から入ってきますからね。大変な渦が行く先々でありました。

池上「猪木さんは前に選挙に出たときは「消費税に延髄斬り」と言って、消費税反対を大きくアピールしてらっしゃいましたよね?しかし、維新の会は消費税を容認しています。猪木さんの考え方が変わったのでしょうか?」

猪木「まだ、維新と政策は大体はアレしたのですけどね・・・本当に打合せをしたことはないんですね。

池上「え?打合せをしたことがない?」

猪木「とにかく、選挙に風を吹かせろというだけで。まぁ、単純なんです。」

池上「ということは維新の会の選挙公約はお読みになりましたー?

猪木「読みました」

池上「読みましたか。あの中で例えば、統治機構を変える、道州制を導入することになっていますよね?それについては?」

猪木「それは私も前からいっていますので、将来はいいんじゃないかと思います」

池上「しかし、政策はまだきちっと固まって決まっていないというわけですね」

猪木「まぁ、だいたいは容認できますのでね。あのー・・・とにかく、いま石原代表、それから橋下代表も含めて、とにかく元気が売り物だったので、あまり私は「お願いします」とほとんど云ってないんですね。とにかく選挙に行こうよ!!と」

池上「随分、アバウトな感じがするんですけどねぇ。

猪木「色々な人がいますから、政治はもっともっと違うぜという人もいるかもしれないけど、まづは皆さんに耳を傾けてもらうと、足を止めてもらうと。そして、その中で訴えた政策をどう判断するか。そんな役を自分が買って出たということです」

(中継終わって)

池上「アントニオ猪木さんの立ち位置が良くわかるやりとりでした。

峰「思わず笑ってしまいましたが。すみません(笑)」


日本維新の会という政党の性格もよくわかるやりとりでありました。



■渡辺美樹の発言

インタビュアー「いわゆるブラック企業批判というものがあると思うのですが?」

渡辺美樹「正直申し上げてなんとも思っていない。正直な私の意見で。何をもってブラックというのか。たまたま一つの事故を取り上げてブラックだと責めるならば、日本中には千万のブラック企業があるわけです」

渡辺美樹がどういう人物が実によくわかる。ここでは敢えて何も言うまい。

渡辺美樹選挙事務所からの中継に対して―
池上「いま、苦戦と言う話がありました。いわゆるブラック企業批判がひびいているんでしょうかね?」



■古川俊治(自民・埼玉)

池上「創価学会が嫌いと明言されています。これで、かなり自民党の中でも波紋を広げたのではないですか?」

古川「まぁ、あのー、実は私は信濃町の病院に長く勤めていたので特殊な事情があるんですね。学生時代からずっと信濃町におりましたので、創価学会の建物が多くある中で、小さな病院にいて、少し肩身の狭い思いをしてきたかなぁと。そういう気がもともとあった・・・そういう特殊事情がああいう発言に結び付いたと思っています。ちょっと、不適切な発言だったかもしれません。」

池上「なるほど。それにしても、医師免許をとって弁護士資格もとり、さらにオックスフォード大学でMBAをとり、そして国会議員。本当にやりたいのはどれなんですか?

(略)

池上「なんか、客観的に見てますと、自分探しをしているようにも思うんですが、どうですか?」

古川「いや、私はいろんな方法で、もともとは医者でございますし、えー、生涯・・・え、が、他の医者が、まぁあの、やり、やりたい。まぁそれを出来れば、その皆の総意でそれを実現していくものだと思っていますけど」

自分探しをしているように見えると言われ、言葉が一部不明瞭になる古河議員が印象的だった。



■林芳正(自民・山口)

池上「当選確実ですが、おめでとうございます。」

林「はい、どうもありがとうございます。」

池上「おめでとうございますと私申し上げたのですが、林さん自身は参議院ではなくて衆議院に鞍替えして出たかったんですよね。めでたさも中くらいなりというところでしょうか?

林「いえ、これだけの山口県の皆さまからの温かい、そして熱いこれだけの御支援をいただきましたので、本当にうれしく思っています。」

まぁ、そう答えるしかないよね(笑)



■石破茂(自民・幹事長)

池上「自民党圧勝ということです。これで安倍石破体制は今後も盤石ということでいいんでしょうか?」

石破「それは、総理総裁が御判断になることで私がとやかく言うことではない。総理の姿勢や政策が国民から支持されたということが、きちんと成果となって数字となって表れてるということです。

池上「いやいや、おそらく安倍さんがお決めになることですと仰るだろうと思っていたら、案の定のお答えでした。はい。」

案の定のお答え(笑)



■井上義久(公明・幹事長)

池上「選挙中、公明党は自民党にブレーキをかけるんだという言い方をしきりにされていましたね。自民党のどんなところにブレーキをかけるのでしょうか?」

井上「私どもはですね、やはり政治が国民から信頼されるためには、国民目線の政治、また生活者目線の政治。また平和ということも国民が期待されている思いますから、そういう期待にしっかりこたえるということが具体的なブレーキになるかと思います。」

池上「ブレーキということは自民党が暴走しようっていうニュアンスが感じられますが、そうなんですか?」

井上「いや、決してそう思っているわけではなくて、連立政権ですから自民党には自民党の持ち味、公明党は公明党の持ち味がありますから、私どもとしては、そういう国民目線生活者目線を重視して、云うべきことはきちっと云うという風に考えています。」

池上「なるほどね。やはり連立を組んでいる自民党に非常に配慮した発言ということになります。自民党に配慮しながら、しかし、国民にはブレーキをかけるんだよと訴えていったということになるわけですね。」

井上「はい」


池上さんのかなり嫌味な云い方に、「はい」としか答えることができなかった井上幹事長がなんだか可愛くて良かった(笑)



■渡辺喜美(みんな・代表)

池上「維新の会だけには負けたくない選挙だったんじゃないですか?」

渡辺「(笑顔で)そんなことはありません」

池上「そんなことはないといいますと?」

渡辺「みんなの党は何をやるかを大事にした政党でありますから、何をやるかということは、誰と組むか、誰がやるかの前に考えていかなきゃならないことですね。ですから、誰がやるか、誰と組むかと、こういうのは古い政治モデルですよ。我々は新しい政治モデルを確立しようと思ってみんなの党を作ったわけですからね」

池上「いやいや、誰と組むかというのは古い政治だと仰いましたが、しかし、一時は維新の会との連携・提携を進めてらっしゃいましたよね?

渡辺「そうですね。例えば、地域集権型道州制とかね、公務員制度改革とか、我々が結党以来掲げてきた政策を維新八策の中でも掲げておられましたのでね、そういう点では協力出来ると思った時期もございました」

池上「現在のみんなの党の獲得の予測の数ですが、どうですか?正直言って、ちょっと物足りなくないですか?

渡辺「(略)まだ最終的な結論が出たわけではありませんので、まだあきらめてはおりません」



■山本一太(自民・群馬)

池上「色々な担当大臣、なんと7つの担当大臣。ちょっとこれ例がないですよね?」

山本「実際は10くらいあるのですが、担当の中でも特に科学技術とか宇宙とか海洋とかITは成長戦略に凄く結び付いている分野なので、大変、責任重大だと思っています」

池上「いま、4つ名前を挙げられました。7つ全部言えますか?お願いできますか?」

山本「その他に、沖縄振興、北方領土対策、領土問題、知財戦略。あと2つくらいあるんですけども、主に云うとそんな感じです」

池上「んんん???あと2つくらいがちょっと省略されてしまいましたけども」

山本「はい」

池上「これだけのことを一人でというのも、とても無理なんじゃないですか?」

山本「そこは、内閣府特命担当大臣というのは御存知かと思いますけども、各省の色んな縦割りを超えて総合戦略を作るという役目ですから、総理のバックアップをいただいてですね、国家戦略を作って進めるという点でいうと、安倍総理にしっかり後押ししていただければ、きちっりとした仕事が出来ると思っています」

池上「なるほど。安倍総理の後押しがあれば出来るということですね

山本「はい。実際にずっと後押ししていただいております」


このやりとり少し解説を要す。
ネット上では専ら「山本一太は自分の担当している7つ大臣名を答えられなかった」と理解されているからだ。
やりとりを御覧になると分かるようにこの理解は少し間違っている。
まづ、スタジオ内のボードには「科学技術政策担当、沖縄政策担当、北方領土対策担当、宇宙政策担当、IT政策担当、海洋政策担当、領土問題担当」の7つが明記されていた。
つまり、池上さんが問いたかった担当大臣はこの7つだが、山本一太は「科学技術とか宇宙とか海洋とかIT」と初めに4つ答えている。
そのあと、池上さんが7つ全部言えますか?と質問し、山本一太は加えて「沖縄振興、北方領土対策、領土問題、知財戦略」の4つを答えた。
この時点でボードに掲げられた7つはすべて答えており、ボードになかった「知財戦略」も答え、合計で8つ答えている。
ただし、山本一太は「実際は10くらいある」と言ってしまったので、8つ答えた時点で「あと2つくらいある」と言った。

まとめると、山本一太は最初に4つ答えて、加えて4つ答えたので、8つは答えることができ、そのうち、スタジオのボードで明記されていた7つはすべて答えた。
ただし、自分で10くらいあるといって、その残りの2つが答えられなかったが正しい。

10あるとか、あと2つくらいあるとか余計なことを言わなければ、7つの担当大臣を答えられなかったと勘違いされずに済んだのに、これが本当の蛇足というものだろう。
しかし、10ある内の2つを答えられなかったのもまた事実。
残りの2つは一体何でしょう?



■池上彰と行く参院選バスツアー

毎回恒例のこのコーナー。
今回は池上さんが女子アナ三人(繁田美貴、相内優香、鷲見玲奈)と各政党の本部を訪れるというもの。

まづは、自民党本部へ。

7階を訪れると「自民トゥルースチーム」という看板があった。
これは、インターネットに流れる様々な情報をチェックして反論しなければならないことに対しては、ただちに反論するチーム。
自民党本部では職員30人が24時間体制で誹謗中傷などを監視している。
正面の大きなモニターにはツイッターのタイムラインが映しだされていた。

さらっと、解説していたが、自民党本部職員がツイッターを監視しているとは知らなかった。
ツイッターでちょくちょく自民党の悪口を云っている私もマークされているかもしれない(笑)
(こんな小物相手にする程、自民党も暇ではないだろうが)


次に民主党本部を訪れ、政権与党だった時と比べ、警備が減ったことを指摘する池上さん。
私も何度かここを通ったことがあるが、たしかに、民主党政権時の警備は厳重だった。

東京選挙区のポスター掲示場では、民主党の鈴木寛のポスターを見て、「民主党」との表記が小さいことを指摘。
その文字を相内アナが虫眼鏡で大きくして「やっと大きくなりました」と言って、軽い民主党いじめをやった後に「なんで、これはこんなに小さいんですか?」と池上さんに質問。
池上さんは「民主党隠しですね」と一言。神隠しじゃないんだから。

池上「民主党ってだけでマイナスのイメージがあると考えている人はこうやって小さくなるわけです


お次は、公明党の本部がある信濃町へ。

池上「もともと信濃町に創価学会があって、創価学会が政治に進出しようとして公明政治連盟というのを作り、それがやがて公明党になっていったわけですね。なので、創価学会の本部がある信濃町の近くに公明党(本部)があるというわけです」

わかりやすい解説ですね。
公明党の本部の入り口には金属探知機が。
「これは先程の自民党本部にはなかったですね」と少し驚く女子アナ三名でありました。


バスは共産党本部がある代々木へ。

共産本部ビルを見て―
池上「見てください。ほら、赤く日本共産党と書いて、赤旗が翻っているでしょ?

共産党の収入は約234億円(2011年)。
共産党は国から貰う政党交付金を一切受け取っていない。
機関紙誌収入(しんぶん赤旗購読料など)が約199億円、とナレーションが解説。

共産党の選挙対策本部は「参議院選挙闘争本部」という名称になっている。

池上「選挙というのは闘いであると。闘いを勝ち取ろうというわけですよ。」
女子アナ三人「へぇー。」
やり取りがだんたんと教育テレビ(ETV)っぽくなってきた(笑)

続いて、一行はしんぶん赤旗編集局へ。

池上「一般の大手の新聞とそっくりですね。それがちょっとコンパクトになった感じですね。」

赤旗をめくる一行
見出しをみて「「共産党だけは一貫しているよ」を大々的に(笑)」とちょっと笑う相内アナ。

池上「でもほら、普通の新聞と同じような事件や事故の記事もでてます」

編集局長に話を伺う。
小木曽陽司(しんぶん赤旗編集局長)「全国紙はほとんど広告料で、(収入の)半分くらいは広告料ですが、私どもの新聞は購読料。読者の。それで賄っています」

頷く女子アナたちに、「そりゃあ大企業の広告ははいりませんよ」と池上さん。

小木曽「それは、入りません」

なにやら愉快なやりとりだった。


―後半に続く!―

愛国心のすゝめ

2013-07-20 02:27:10 | 政治・経済
愛国という言葉を遣うだけでこの国の民は過剰に反応する。
国を愛することがそんなに悪いことだろうか。また、特異なことだろうか。

しかし、愛国という言葉に過剰反応する人の気持ちも実はわからなくもない。
というのも、かつて、このブログでも指摘したが、どの国の愛国心にも根本には同質の要素を持っていて、 それは、多民族に対する嫉妬、憎悪、恨み、不信などで本来、愛国心とは実に排他的なものだということだ。
そして、それはしばしばそれは強力な国家を維持してゆく為の装置として使われる。
しかも、グローバルの視点ではこれを否定的に捉えてはならず、他国への憎悪が国家サバイバルのエネルギー源となりうる以上、この“排他的な愛国心”は持っていた方が良いのである。
私が反グローバリズムを掲げる理由がこのことからもお分かりいただけようか。

しかし、近代以前に日本人がもっていた愛国心はそうではなかった。
いや、近代以前には国家の概念がなかった以上、愛郷心と言った方が適切かもしれないが、ここでは、敢えて愛国心で通したい。

日本人の愛国心は

 
大和には 群山(むらやま)あれど
とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば
国原は 煙立ちたつ
海原は 鴎立ちたつ
うまし国ぞ あきつしま 大和の国は



と 『萬葉集』で舒明天皇がうたったように、情緒的で他国との比較もなく、排他的でもなく、せいぜい「わたしの国はいい国です」と表明するに過ぎなかった。

ところが、明治以降、日本は近代化の道を歩み、欧米並みの排他的な愛国心が必要となった。
だが、日本人は欧米並みの愛国心を持ちえたのだろうか。
私は今を以ても、日本人は欧米並みの愛国心を持っていないと思う。
大東亜戦中に過剰に愛国心が鼓舞されたが、これは、本来、排他的な愛国心を持ち得なかった日本人が無理やり愛国心を呑みこんで消化不良を起こした結果ではなかったか。
戦後、この消化不良による過剰な胃もたれに懲りて、愛国心自体を否定してしまった。
しかし、もっとよく咀嚼すればよかったのだ。近代化を急ぎ過ぎてあまりにも時間が足りなかったのだろうが。

戦後六十八年がたった。いま一度、愛国心をゆっくり咀嚼する時がきた。
では、いま日本人に必要な愛国心とはなんだろうか。
情緒だけでもなく、排他的でもない。しかし、情緒に根差した我が国の郷土、自然、文化、伝統、それによってはぐくまれた国柄や精神を含めた国を愛する心である。
いうまでもなく、ここでの「国」とは、政府や統治機構、いわんや政権与党のことではない。

悪く言えば、ドメスティックな愛国心であるが、それすらも持ち得ていないことが我が国の不幸であるに違いない。

すでにお気づきのように、このドメスティックな愛国心は右翼の専売特許ではない。
この愛国心は左右の別なく持ち得るもので、誤解を恐れずに書けば、よく反日勢力呼ばわりされる左翼や共産党や反原発派の人にも愛国者は大勢いると思う。(と同時に、これらの党派性をもった人々に反日的な人が多いことも否定しないが)
反対に普段、愛国者を気取っている者が実は一番、我が国の郷土と自然と文化と伝統と国柄と精神とを破壊していることが往々にしてある。
このように愛国者面をして平気で国を売るようなことをする人物もまたこの国は多い。
愛国という言葉が否定的に捉えられる要因の一つだ。

そういう事情もあってか、我が国では愛国心は否定的に捉えられがちだが、ドメスティックな愛国心と民主主義とは矛盾しない。
むしろ、民主主義が健全に運営されるには愛国心が必要であって、我が国の民主主義が健全に機能していないとするならば、国民の愛国心が稀薄であることと無関係でないのではないか。
自分の住んでいる国を愛することができなくて、どうして政治が民主主義がうまくいくだろう。

参議院選挙を明日に控えた。
目下のところ、真に愛国的な政党は皆無と言わざるを得ない。
どうせ、グローバル化と市場主義、新自由主義が善と考えるとりわけ愛国心の無いあの党が圧勝する。
嘆きたくなるが、その後からでも遅くない。まづは国民が愛国者となることだ。
そうすれば、日本の民主主義も少しはマシになる。

母に感謝する日はいつか

2013-06-16 20:33:13 | 雑記
前回、靖国神社のことを書いて反省していた。
イデオロギーにかかわることはイデオロギーな人の琴線に触れさせてオカシナ人を誘発するので、あまり書きたくなかったのだが、このブログは一定期間投稿しないとレイアウトが変わってしまうので、仕方なく書いたらああなった次第。

今回はどーでもいいことを書いてお茶を濁したい。

もう一つの方のブログにも書いたけども、今日は父の日であった。
母の日にくらべてどうも存在感の薄い父の日。
何度も確認しても忘れて、今日になってまた思い出したので事なきを得た。

さて、「父に感謝する日は?」と問うと、間違いなく今日の「父の日」と多くの人が答えると思う。
では、母に感謝する日はいつでしょう?

「母の日にきまってんじゃん」という声が聞こえてきそうだが、半分正解。
実は、もう一日ある。
しかも、法律で定められているのだ。

昭和二十三年に定められた「国民の祝日に関する法律」(昭和二十三年七月二十日法律第百七十八号)という法律がある。
戦前にあった祭日を民主的に改めなさいとGHQが日本政府に圧力をかけて出来た法律だ。

この法律によって紀元節は廃止され(のちに建国記念の日として復活)、明治節は文化の日となり、新嘗祭は勤労感謝の日となるなど、「民主的」な呼称に改めさせられた。
新しく出来た祝日もある。
こどもの日もその一つで、国民の祝日に関する法律によれば、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する。」とある。
そう、こどもの日は母に感謝する日として法律で定められているのだ。
なぜ、父母ではなく母だけなのかはよくわからない。
このことについて、普段、男女平等を叫んでいる団体が「男女差別だ!」だと批判してもよさそうなものだが、そういう声は寡聞にしてきかない。
いや、別に私は男女差別だとも思いませんが。

ところで、こどもの日の五月五日は古来より日本では「端午の節句」として病気や災厄をはらう行事が行われてきた。
江戸時代以降、男児の誕生や成長を祝う日となり、いわば、五月五日は男の子の日となっていた。
女の子の日は三月三日の雛祭りですね。

それで、五月五日をこどもの日としたことについて、「なぜ、男の子の日をこどもの日にしたのか、男女差別だ」という声はあった。
そこで、そのバーターとして「母に感謝する」という文言を入れたのではないか。
完全なる邪推ですけどね。

ともあれ、こどもの日は母に感謝する日とはあまり知られていない。
誕生日も入れると母に感謝する日がやたらと多くなるので、あまり浸透しなくていいですけどね。

日本と台湾の絆

2013-02-10 23:01:30 | 歴史・人物
今年はじめての更新になる。
早くも二月になった。光陰矢の如し。
年齢を重ねるたびに、一秒一秒ごとにその思いを強くする。

今年は年頭のあいさつも省略してしまった。
各位御寛恕を乞う次第。


だしぬけだが、最近、台湾についての興味が尽きない。
もともと、大好きな国なのだけども、ツイッター上で台湾の方のつぶやきを見たことがきっかけで、あらためて台湾関係の書籍を読み漁っている。

かつて、FC2ネットワークというSNSをやっていた。
詳細は省くが、かつてそこに投稿した記事を転載する。


×××××××

今日、週刊新潮(もしかしたら文春だった可能性も)のグラビアで興味深い写真が掲載されていました。
中国の反日デモに対抗して日本でも中国に対するデモを行なっている写真。

その中に、台湾出身の方々も参加していて、そのプラカードに曰く、
「台湾の友達、日本をいじめるな!」という旨のことが書かれていて、
台湾と日本の絆は本当に深いものがあるとあらためて感じると同時に台湾の方々対してこれまたあらためて親密な感情を覚えてしまいました。

台湾と日本との深い絆を示すエピソードはことかかないですが、ここでは私の手元にある新聞記事から一つ紹介。

※台湾の台中駅を紹介する記事


(略)赤レンガの外観はどこか東京駅に似て見える。竣工は一九一七年。
終戦まで半世紀にわたった日本統治時代のまっただ中、国策として最大の事業の一つが鉄道の敷設だった。
(略)
現存する中では新竹駅に次ぐ古さだ。九五年に政府の指定文化財になった。
「自慢の吹き抜けをお見せできないで残念です。」と蘇鎮霖駅長(45)が天井を指した。
本来は高いアーチや凝った柱の装飾があるのだが、今は鉄筋の仮天井で覆われている。
二千百人以上が亡くなった九九年の台湾中部地震で、市内でもマンションが倒壊した。
ここも正面の垂直な壁の上部に亀裂が入った。
災い転じて何とやら、この機会にかけがえのない“財産”の本格保存をとの声が高まった。五年にわたって構造の補強、外壁のはり直しなど補修が続いている。吹き抜けが再び姿を見せるのは来秋の予定だ。
(略)
近くの雲林県から毎日予備校に通う張桜鶯さん(18)は「建物がクラシックできれい」とお気に入り。
「日本統治時代の建築は造りがしっかりしているし、味わいがある」と話す蔡正義さん(67)は台湾鉄道のOBで、ボランティアとして月に二十日ほど改札や乗客の案内をする。(後略)


2004年10月24日(日)讀賣新聞・日曜版より

いまでも、日本統治時代の駅を大切に使ってくれていることに心が打たれました。


(平成十七年五月九日)

×××××××

ほとんど、新聞記事の引用だが、台湾の方々が日本統治時代の建築物を大切に使ってくれていることが良くわかるエピソードだ。
九年前の自分と同じ感想になるが、心を打たれた。

それにしても、当時の私は文体が丁寧だね。

第46回衆議院議員選挙雑感

2012-12-19 21:50:31 | 政治・経済
平成24年12月14日。
この日、衆院第一委員室で党首討論が行われていた。

「一日も早く国民に信を問い、新しい政権が経済、外交を立て直していくべきだ」と解散を迫る安倍自民党総裁。
論戦が続く中、自民党議員の野次に対し、「聞いてください」と制止し、野田首相は云った。

「・・・定数削減は来年の通常国会でやり遂げる。この御判断をいただけるならば、私は今週末の16日に解散をしてもいいと思っています」

場内は一瞬静まり返り、すぐに「うおー」と声が響いた。
樽床総務大臣は驚いた顔で野田首相を見据えた。

メディアは、このとき安倍総裁は「狼狽した」と伝えるところもあったが、実際の映像や写真をみるととてもそういう風には見えない。
終了後も明らかにニヤケけた顔をしている。

狼狽えていたのは明らかに民主党議員の方だった。
田中文科相が云ったようにこのタイミングでの解散は民主党にとって「自爆テロ」以外のなにものでもなかったからだ。

この時の両党の議員の表情がそのまま選挙後の彼らの表情になる。

×××××××

果たして、選挙の結果は自民党の圧勝だった。
いや、各メディアが云うように自民党の圧勝というより、民主党の惨敗だった。
選挙翌日の新聞紙上には「潰滅的惨敗」の文字が躍った。

民主党は公示前の230議席から57議席へ四分の一程度に議席を減らし、
自民党は118議席から294議席へと二倍以上議席を増やした。

しかし、この結果は喜劇のようにもみえる。
前回の衆院選の結果をそのまま裏返しただけ。
違うのは党名と聞き慣れない政党がやたら票を伸ばしていることか。

前回の衆院選後にも云ったが、小選挙区制ではどうしてもこのような結果をまねきがちになる。
風が吹けばボロ勝ちする党とボロ負けする党が出る。
死に票が多く、民意が正確に反映されず、風が吹けば、特定の政党が圧勝する。
これを毎回繰り返す気か。
衆院選のたびに政権を交代させる気か。

もういいかげんにこの馬鹿げた選挙制度を廃止にするべきだ。
中選挙区制の復活をここに改めて明言したい。

×××××××

なんと、朝日新聞も小選挙区の弊について難じていた。
天声人語子曰く「小選挙区の破壊力、いまさらながら恐ろしい」、「小選挙区制がうっぷん晴らしの装置になっているようでもあり悩ましい」(24年12月17日付)と。

だがちょっと待って欲しい。(天声人語口調)
朝日は前回の衆院選挙でも同じことを云ったか?
自民が圧勝した途端、小選挙区の弊を難じるのはやめてほしい。

多くの新聞は前回の選挙ではまるで我がことのように民主党の圧勝に酔いしれ、小躍りしているかのような記事を書き殴っていたが、今回はどうだ。
自民党への恨み節と呪詛の言葉を投げつけている。(註)
ならば今後、新聞は支持政党を明言したうえで記事を書け。

×××××××

民主党の細野豪志が「民主党がどういう政党なのか、何をやりたかったのか、きちんと国民にお示しできなかった(ことが敗因)」というような話をしていた。
いや、それは逆で、国民が民主党がどういう政党で何をやりたいか理解したから今回の結果があるのではないか。

各局に出演しているコメンテーターやタレントは口をそろえて「今回の結果は予想外。ここまで民主が負けるとは・・・」とかなんとか云っている。
私としては全く予想どおりの結果。(私だけでなく多くの国民も予想していたことだろう)
タレントは別として、今回の結果が予測できなかった政治評論家はとっとと廃業するべきだろう。

×××××××

実はいまから四年後のことを考えて戦々兢々としている。
気持ちがうつろいやすい日本国民のこと。
いまの自公体制が四年後以降も続くとは思えない。
つまり、次の衆院選後は維新(第1党)、自民(第2党)、民主(第3党)、みんな(第4党)くらいになって、維新、民主、みんなの連立政権が誕生しないかという危惧だ。

そうなれば強力な新自由主義政権の誕生であり、それこそ、この前の民主党政権が可愛く思えるくらい最悪の政権になる。
私の危惧が杞憂となりますように!

×××××××

ところで、今回の選挙でもそうだが、私自身が政治的マイノリティであることを改めて実感した。
私の政治思想に一致する政党が存在しないからだ。
だから、比例をどの党に一票を投じるかいつも悩んでしまう。
もっとも、個人の政治思想と政党のそれがすべて一致するなんてあり得ないことだろうが、私の場合は一般人より深刻なように思われる。
白状しておくと私の政治・政策思想は、

反新自由主義、反グローバリゼーション、反TPP、反道州制、反行革、反消費増税、反米、反中共、尊皇・・・。

前半は共産党みたいだが、最後の尊皇で共産党とは決定的に違う。
『あび卯月日記』の方に書いたが、共産党が一言「天皇陛下萬歳」と云ってくれれば手をつなぐのに。
・・・と思ったが、共産党とは歴史問題や外国人参政権問題等でも考え方が異なる。
やはり、私にぴったりの政党なんぞ我が国には存在しないのである。

※なお、「共産党が一言~」の元ネタは三島由紀夫が東大全共闘に云った「君らが一言『天皇陛下万歳』と叫んでくれれば俺は喜んで君らと手をつなぐ」という言葉から。


*******

註:新聞各社の選挙後の反応については下記を参照のこと。

【朝日新聞】
小選挙区制がうっぷん晴らしの装置になっているようでもあり悩ましい。
ますますその場しのぎの国民受けに流れないか心配になる
http://www.asahi.com/paper/column.html

 戦前の反省をふまえた、戦後日本の歩みを転換する。そうした見方が近隣国に広がれば、国益は損なわれよう。
http://www.asahi.com/paper/editorial.html


【毎日新聞】
 とりわけ、安倍氏ら自民党が自衛隊を「国防軍」に改称する9条改憲や、尖閣諸島への公務員常駐の検討など保守色の強い路線に傾斜していることは気がかりだ。海外にも日本に偏狭なナショナリズムが広がることを警戒する声がある。冷静に外交を立て直さねば孤立化の道すら歩みかねない。
http://mainichi.jp/opinion/news/20121217k0000m070282000c2.html


【東京新聞】
有権者は白紙委任したわけではない。慢心にはしっぺ返しが待っている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/hissen/CK2012121702000176.html


【中日新聞】
 安倍自民党は勝利におごらず、野党の主張に耳を傾けて丁寧な国会運営に努め、地に足のついた政権運営を心掛ける必要がある。
 集団的自衛権の行使容認など、党の主張は一時棚上げすべきではないか。政治を機能させるための忍耐は、恥ずべきことではない。

http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2012121702000155.html


【信濃毎日新聞】
今回、迷って1票を投じた有権者は自民に全権を委ねたわけではない。巨大与党の勇ましい決断は危うい。
http://www.shinmai.co.jp/news/20121217/KT121216ETI090002000.php

安倍総裁は自民党の公約が全面的に支持されたと受け止めるべきではない。
http://www.shinmai.co.jp/news/20121217/KT121216ETI090006000.php


【北海道新聞】
大勝した自民党の安倍晋三総裁は、そこをかみしめる必要があるだろう。改憲や外交・防衛政策での強硬姿勢は特に気になる。首相として失敗した過去もある。
http://www.hokkaido-np.co.jp/news/fourseasons/


【沖縄タイムス】
国全体に堪(こら)える力が乏しくなり、選挙がうっぷん晴らしの場になっているのではないかと危惧する
http://article.okinawatimes.co.jp/article/2012-12-17_42854


【高知新聞】
自民党が掲げた看板は「日本を、取り戻す」。経済や教育、外交、安心を取り戻すというが、それがなぜ「日本を」となるのだろう。
http://www.kochinews.co.jp/?&nwSrl=296765&nwIW=1&nwVt=knd


【中央日報】(おまけ)
右翼の躍進は日本社会の右傾化の産物でもある。民主党政権発足に対する反作用でインターネットは「ネット右翼」と呼ばれる極右勢力に掌握された。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20121217-00000016-cnippou-kr

たかじん委員会を見ながら今年一年を振り返る

2012-12-09 17:28:07 | 社会・世相
今週のたかじん委員会は今年一年起こったことを振り返るという特集だった。
時間も30分拡大して2時間スペシャル。
平成24年を振り返る意味でも、久々にたかじん委員会で議論されたことについて雑感などを述べてみたりしたい。(敬称は原則的に略。御諒承の程を)


■大津いじめ問題

田嶋陽子が「殺人など学校内の犯罪行為は警察が対応すべき」と。ここまでは良かったが、「いじめている生徒が一番不幸」という論理を展開。
ちょっとまて。それは違うだろう。いじめられている生徒が一番不幸に決まっている。
無論、いじめる生徒が不幸な家庭環境におかれているケースはままある。
が、恵まれた家庭環境で決して不幸な身の上と思えないような奴がいじめる側に回るケースも少なくない。
そういう奴は成長しても過去にいじめっ子だったことなんて忘れて笑顔で暮らしていたりする。
こういう奴は不幸なのか。哲学的な文脈で論うなら不幸といえるのかもしれないが、一般人の感覚からすると不幸とはいえないだろう。
よく、犯罪者が一番不幸、殺人者が一番不幸などと加害者の方こそ不幸なのだと逆説的な論を展開する手合いがいるが、私には理解できない。
加害者の身の上がどうであれ、加害責任は免罪されないはずである。


■ロンドンオリンピック

津川雅彦が「ビデオ判定は反対。遊びなんだから・・・」と。それに対して、田嶋陽子が「一人の選手に国が何億も掛けているので、遊びのレベルじゃない」と。
これについては、田嶋センセの意見に同感。
オリンピックは遊びではなくて世界の国々が参加する商行為だ。ついでに、ナショナリズムのぶつかり合いだったり、その次ぐらいにスポーツマンシップ云々があるんじゃないだろうか。
というと、スポーツマンから怒られるか。


■スギちゃんの来年の芸能活動

桂ざこばが「勝手にやったらよろしい」、津川雅彦も「どうせすぐ消えるんだから、問題ない」と。
いや、その通りなんだが、それを云っちゃあおしまいよ感が(笑)
確かに、スギちゃんは他の芸(トークとか)も磨かないと短命になるだろう。
人柄は好きなのであまり早く消えて欲しくないのだが。
老婆心ながらスギちゃんにアドバイスすると、いまの稼ぎはいまだけのことだがら、無駄遣いせずにきちんと貯金することだ。
って、生々しすぎてすみません。
なお、勝谷誠彦が「(スギちゃんの芸は)いじめにつながらないからいい」と。
これも同感だ。


■尖閣諸島国有化

津川雅彦が「国有化にも問題ないと思うが、東アジアサミットがカンボジアのブノペンで開催された。ここに温家宝も野田首相も出席したが、カンボジアは中国派なので日本に発言を指名しない。野田が途中で退席した後、温家宝が南シナ海の領有権を主張。残った外務省の斎木外務審議官が猛反論した。つまり、国有化しておきならが、(首相が)先に帰ったりしてこういうことに関心を示さないことが問題」と。
そういうことがあったのか。野田佳彦という人は・・・。
竹田恒泰「まづは都が所有すべきだった。国有化してしまうとその後のカードがない。都に集まった15億円の行き場もなくなった。」
宮崎哲弥「7月-9月期の実質GDPが凄く落ちている。年率に換算すると3.5%。ひとつの要因は中国の輸出が鈍っている新聞はすぐ「尖閣問題が原因だ」と書くが、不買運動が起きたのは9月の後半からなので7-9月期のデータには反映されていない。では、なぜかというと中国の経済がもの凄い勢いで縮小している。欧州の需要が縮小して、中国の輸出が鈍化し、中国で作る製品の部品を輸出している日本の経済が悪化した。やはり日本経済が中国に一辺倒に頼る事は間違い。もっと東南アジアやインドやバングラディッシュ、オーストラリア等に市場を求めていくべきだという教訓を残した。」


■オスプレイの普天間配備
 
VTRで「オスプレイの事故率は海兵隊の全航空機平均より低いというデータもある」と。「も」というのはどういうことなのだろうか。
データによって危険だったり危険でなかったりするなら、一体、どのデータを信用すればいいのか。
加藤清隆はオスプレイは事故率は低いと。
また、勝谷誠彦は「沖縄のメディアがおかしい。中国の言論的な工作はある。動員もある。」と。
これが本当だとしたら由々しき問題だけれども、中国がそういうことをやるのは当たり前というくらいの意識を日本人には持ってほしい。
また勝谷氏によると、アメリカはオスプレイをグアムに持っていこうとしている。沖縄には司令部機能しかなくなる。だとすると、自衛隊がオスプレイを持つことも議論しないといけなくなる、とのこと。


■金正恩体制

竹田恒泰「正恩ではなくて、嫡男である正男が継ぐべきだった。私は彼をけっこういい奴だと思っている。核開発に反対しているし、改革開放路線を支持している。クーデターを起こすとしたら正男しかいない。正男はディスニーランドが好きなんだから日本政府は浦安の近くに住まわせるべき」
私も正男はけっこういい奴だと思っている。少なくとも正恩よりはいいだろう。
竹田さんの意見の後半はSFチックだが、楽しい筋書きではある。
勝谷誠彦は「正恩の母の高英姫(大阪出身)の父はプロレスラーだとされていたが、デイリーコリアの記者が大阪の旧日本軍の軍需工場で日本軍の為の衣服を作っていた人物であるとスクープした。これがバレると正恩は飛ぶ。日本の拉致担当者はこういうことを知らない」と発言。
ところで、今週あたり、北朝鮮はミサイルがミサイルを東シナ海方面に発射させようとしている。
これは日本が選挙中であることを考慮すると、どう考えても自民党、なかんづく安倍晋三への援護射撃としか思えない。
と、昨日いーじすさんと話したところだ。
安倍晋三は岸信介の時代から朝鮮半島とは繋がりが深い。(こういう事情は最近のネトウヨは知らないので笑える)
私はむしろ、そういう朝鮮とのパイプがあることは安倍晋三へのプラス評価になっているけどね。


■「マルちゃん正麺」バカ売れ!

宮崎哲弥が「私は袋麺の新製品が出ると、ほとんどすべて試食している。「マルちゃん正麺」が出てきたときに驚いた。本当に生めんに近い。乾麺なのに茹でてこんな麺になるとは想像できない」と感動を語ったが、他のパネリストで「マルちゃん正麺」を食べたことのある人は皆無であった。
みなさん、庶民じゃないですなあ。
宮崎哲っちゃんのあらたなる一面を見て高感度アップ。
私もマルちゃん正麺を初めて食べたときは驚いた。
よくもまあ袋麺でこれだけ生麺の食感を出すことが出来たものだと東洋水産さんに敬意を表した次第。
が、最近はあまり食べていない。袋麺を作るのが大儀に感じるからだ。って、どれだけ物ぐさなんだ。近いうちにまた食べてみよう。「近いうち」にね(笑)


■ネット殺人予告誤認逮捕

無実の人たちが次々に逮捕されるという事態に怒りを感じている。
サイバー捜査の杜撰さ、サイバー対策の脆弱さ、取り調べの杜撰さ。
警察も検察も猛省すべし。


■高速ツアーバス事故

規制緩和とデフレが引き起こした事故だと私はみている。
津川雅彦が「安いものは危険」、宮崎哲弥も「デフレが日本の構造を壊している」と。
同感だ。
ところで、あのバス事故を起こした運転手は日本語がほとんど話せない中国人だった。
なぜ、日本語を話せない人間が運転免許を取得できたのか。
実はあの後、中国人同士のマフィアが無線を使って試験を合格させるブローカーが摘発されている。
マスコミはこの二つの事件を関連付けさせないが、ここを追求するのがマスコミの仕事だろう、と勝谷誠彦。
また、関係ないが、田嶋陽子が「一時間頑張って、一時間半運転すると必ず事故を起こす」「私、スピード好きなの」とスピード狂発言。
怖すぎる(笑)


■生活保護不正受給問題

大阪市では月の最低賃金と生活保護費の逆転現象が起きている。
どこの国も「最低賃金>年金>生活保護費」となっている。
日本だけ、生活保護費が一番高くなっていると、辛坊治郎。
こういう、正直者が馬鹿をみる制度はどう考えてもおかしい。
河本の問題について繰り返し言いたくないが、ああいう例が続発すると、生活保護制度自体が危うくなる。
河本を擁護する人たちは、とりもなおさず、生活保護制度の崩壊を促進させていることを自覚するべきだ。


■NHK平清盛視聴率低迷

桂ざこば「NHKはなぜ視聴率を気にしないといけないのか」
まったく同感だ。NHKは視聴率を気にするべきではない。
放送局で唯一、視聴率を気にしないで本当に良質な冒険的な挑戦的な学術的な・・・そいういう番組を作るべき局がNHKだろう。
公共放送である以上、制約はあろうが、NHKには視聴率にしばられることなく攻めの姿勢で挑んで欲しいと願っている。
ま、あまりにも独善的だったり捏造や歪曲は勘弁だけどね(笑)


■全原発停止&大飯原発再稼働

まづ確認しておきたいのは原発は動いていても止めていても安全ではないということだ。
動いていても止めていても燃料がある以上、冷却し続けておかなければならない。
止めておいた方が比較安全という程度の話だ。
原発を安全化するには廃炉しないといけない。
問題はそこであって、停止したのちに廃炉にもってゆかねばならない。
その道筋をどうつけるのか。
また、加藤氏が指摘するように原発を全停止すると一日100億の燃料費がかかる。
年間で3兆円の費用がかかる。このことをどう考えるのかと。
しかし、脱原発穏健派の私としては、竹田氏が指摘するようにとっとと原発をやめることを決定すれば、原発にかかる費用は浮く(廃炉費用はかかるとしても)と思うし、
また、ウランもタダではなく、また可採年月も100年ほどだと考えると、原発は果たして経済的なのか、未来を託せるエネルギーなのかというと多いに疑問がある。
まぁ、この問題は稿を改めて書くべきだろうね。


以上、ざっくりと今年のトピックを振り返ってみた。
今年はブログをほとんど更新しなかったが、来年もこの調子だろう。

『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』(第一回)解説と感想と

2012-09-19 02:31:08 | 歴史・人物
NHKの土曜ドラマスペシャルで『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』が始まった。全五回。いま、二回まで放送されている。
近代史をテーマにしたドラマを見る時、内容と史実との違いを確認しながら観るのが案外楽しい。
別に「史実と違う!」と怒りたいのではない。ドラマでそれを云うのは無粋というものだろう。
ドキュメンタリードラマと称して史実と全く異なることをやるのは問題だと思うが、このドラマは冒頭に「このドラマは歴史に基づいて作られたフィクションです」と断りも入れている。
解説と感想と銘打っているが、「解説」というほど立派なものではなく、「突っ込み」と云った方が正確かもしれない。
映像作品を見る時は、突っ込みを入れながら観るのがなにより楽しいのである。
なお、私の浅い知識の範囲内での突っ込みのため間違い等があれば、さらなる突っ込みをお願いしたい。


○吉田茂はなぜ拘留されていたのか?
ドラマの冒頭、刑務所の中でダニとシラミと南京虫に刺され、痒みでのたうちまわる吉田の姿が映される。
憲兵にそれを訴えると、突然轟音がして、刑務所が破壊される。爆撃されたのだ。
この描写は事実で、実際に吉田は代々木の陸軍刑務所に拘留されてひと月たったとき、刑務所が空襲に遭い、焼け出され、目黒の刑務所に移った。そこも空襲でやられて今度は目黒の小学校に移り、そこで仮釈放となっている。
期間にして四十日ほどだったが、ではなぜ吉田は刑務所に入れられたのか。
これは、友人だった公爵の近衞文麿と関係がある。
敗戦の年、昭和二十年の二月、近衞文麿は昭和天皇に「近衞上奏文」と云われる意見書を提出する。実際に天皇に拝謁し、これを読み上げ、御下問にも応じている。
内容は「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」に始まり、国体護持のために一日でも早い戦争終結を訴えるものだ。
この上奏文の作成に協力したのが実は吉田茂だった。
どの程度彼が手を入れたかは不明確だが、近衞文麿と吉田茂と殖田俊吉(元官僚、当時近衞の側近)が共同で作成したされ、ジョン・ダワーの『吉田茂とその時代』(中公文庫)によると、吉田がこの上奏文を書いて、近衞が傍で見ていたように書いてある。
ただ、この上奏文には奇妙なところがあって、満洲事変以来、支那事変や大東亜戦争も国内の共産主義勢力の陰謀によって起こされたとしている点だ。したがって、このままでは日本で共産主義革命が起こると説く。
現在ではそんな事実がなかったことは明らかであるが、なぜこのような陰謀論を盛り込んだのか。
近衞の妄想という見方もあるが、吉田茂が昭和天皇を脅すために、わざとそういう書き方にしたとの見方もある。(註1)
ともあれ、これがきっかけとなって、吉田は九段下の憲兵隊に連行され、取り調べを受けたのち、代々木の刑務所に入れられた。
直接上奏した近衞についても、憲兵は「近衛はバドリオだ。これで始末するんだ」(註2)と意気込んでいたようだが、公家の五摂家の筆頭(註3)である近衞を逮捕することはできなかった。
しかし、このときもし近衞が逮捕拘留されていたら戦後の近衞の政治的な立場は大きく異なっていただろう。
吉田が戦後、総理になったのはこのとき拘留されていたことが大きい。一方の近衞は戦犯に指定されて自殺する。歴史とは皮肉なものである。


○玉音放送を録音する昭和天皇
昭和天皇役の俳優は大蔵千太郎という人らしい。知らない俳優だが、顔はともかく、玉音放送の声と抑揚は似ていた。
この玉音放送の録音は終戦の前日八月十四日の夜に行われた。一度目の録音を終えたとき、天皇が「どんな具合であるか」と訊き、録音技師は「数ヵ所お言葉に不明瞭な点がありました」と答えた。天皇自身も「声が少し低くうまくいかなかたったようだから」といい二度目の録音がなされた。玉音放送として流れたのはこちらの方である。少し声が高めに聞こえるのは一度目が低いとお感じになったからその反動だと思わる。
録音中、周囲の者たちは皆涙を流し、嗚咽に耐えていたという。また、天皇も眼に涙を浮かべていたと半藤一利『日本のいちばん長い日』(文春文庫)にある。ドラマでも嗚咽に耐える人(NHKの下村総裁か侍従か)が映っていた。


○髭を気にする近衞文麿
終戦後、東久邇宮内閣で副総理格の国務大臣となった近衞が妻の千代子に髪の手入れをされながら「近衞文麿の口髭はヒトラーに似ていると・・・」と悩むシーンがある。本当にそんなことがあったのか。
近衞は首相就任直前の昭和十二年四月一五日、次女温子の結婚式の前夜の宴で自らヒトラーの仮装(今風に言うとコスプレ)をしたことがあった。この時の附け髭はわざわざ浅草まで買いに行ったという。
ウィキペディアには「物議をかもし」たようなことが書かれているが、さほど、物議をかもしたようにも思えない。
首相に就任した直後、婦人運動家の市川房江(戦後、参院議員)は月刊雑誌「評論日本」(昭和十二年七月号)に「近衞公は、婦人連の間でも相当の人気がある。(中略)お嬢さんの結婚の送別仮装会のために、わざわざヒットラーの髭を浅草迄買ひに行つた所を見ると、よき夫、よき父であるらしいといふ結論に達したやうである」と書き、好意的に紹介しているし、プロレタリア作家の宮本百合子も「どの新聞にも近衛公の写真が出ていて大変賑わしい。東日にのった仮装写真は、なかでも秀抜である。(中略)文麿公が、髪までをヒットラー風に額へかきおろし、腕に卍の徽章をまいて、ヒットラーになりすまして笑いもせず貴公子らしく写っている姿は、相当なものである」(東京日日新聞 昭和12年6月4日)と書いている。
少なくとも、戦前においては近衞の髭はヒトラーに似ていると否定的に言われた可能性は低いだろう。社会大衆党の西尾末広も国会で「ムッソリーニの如く、ヒットラーの如く、スターリンの如く」強い指導者になるべきだと首相になった近衞を激励している。本人も言われて嫌ならわざわざヒトラーの仮装をやりはしなかったろう。
問題は戦後だが、戦後ならあるいはそういう悪口を言う者もあったかもしれない。ただ、それを証明する資料を見たことはない。


○日本の分割統治と軍票の使用
近衞が千代子夫人に「日本は四つに分割統治され」「通貨は連合国の軍票を用いることになる」と説明するシーンがある。この案は本当にあった。
当初の案では北海道と東北をソ連が、関東中部近畿はアメリカ、四国が中華民国(註4)、中国と九州をイギリス、東京は四カ国で共同、大阪はアメリカと中華民国が分割占領するというものだった。
マッカーサーの意向で米軍の単独統治となったものの、もし、分割統治が実現されていたと思うとゾッとする。おそらく、南北朝鮮や東西ドイツより悲惨な結果を招いたのではなかろうか。
また、軍票(連合軍の軍票はB円と呼ばれた)の使用については、大蔵官僚の巧みな交渉が功を奏して、連合国は早期にこれを回収した。この交渉は極秘のもので、誰がどんな交渉をしたか真相は分からない。(野口悠紀雄『戦後日本経済史』(新潮選書)18頁)
これも実施されていたら日本の戦後経済は全く別の姿になっていただろう。
なお、既に印刷されていたB円は、そのまま沖縄へ運ばれ、沖縄の法定通貨となり、ドルに切り替わる1958年まで使用された。


○進駐軍用の特殊慰安施設
アメリカ軍が日本に進駐したとき、最初の10日間、神奈川県下だけで1336件の強姦事件が発生し、特別調達庁(現在の防衛施設庁)の資料によると占領下の7年間で米兵に殺された者が2536人、傷害を負った者が3012人いたといわれている。
従って、「国が占領されるということは女性が犯されるということですよ」と云った近衞の懸念は杞憂ではなかった。
1945年8月19日、就任二日目の近衛は坂信弥警視総監に対し「君が先頭に立って、日本の娘の純潔を守ってくれ」と言ったと広岡敬一『戦後性風俗大系 わが女神たち』(小学館文庫)にある。
近衞がこの種の発言をしたことは今回調べてみて初めて知った。
ドラマにあるように池田勇人が資金の調達に関して特に大きく尽力したことも事実であるようだ。
 

○キャベツをちぎる吉田
吉田がキャベツの葉をちぎって、 葉巻ケースの中に散りばめているシーンが二度程出てくる。
これはドラマ制作スタッフのブログで次のように解説されている。

「葉巻は、乾燥すると味が損なわれます。又、湿気が多すぎると、それはそれで保存状態があまりよくありません。吉田茂は、誰に習ったのかは判りませんが、このようにキャベツを葉巻ケースに入れる事で、葉巻が適度な湿度の状態で保存できる事を知ったようです。 以来、彼は大好きな葉巻を美味しく吸う為に、このようにキャベツの葉を入れて保存するのが日課となったようです。これだけは、誰にも任せなかったようです。」(土曜ドラマスペシャル 負けて、勝つ#19 豆吉が教える「吉田茂」豆知識コーナー第1回http://www.nhk.or.jp/drama-blog/1550/130995.html)

少し訂正と補足を加えたい。茂の娘・麻生和子が著した『父 吉田茂』によると、葉巻の箱の中にはちぎったキャベツを入れたのではなく、「箱の中にはキャベツの葉を一枚入れておきます」(同書、47頁)とある。それを戸棚にしまうのだ。また、キャベツの葉だけでは湿気が足りないので、戸棚の中には、かならず水の入ったコップを置いていた。(同)
これに関してエピソードがある。吉田が憲兵隊に連行されたことは先に述べたが、連行されながら吉田は家人に「煙草、気をつけてくれよ」と言い置いた。
これは、湿気を保つために煙草の管理に気をつけろという意味だったのだが、憲兵隊は葉巻に重要なものが隠してあると勘違いしたようで、翌日、再び吉田邸を訪れ、葉巻の箱を押収していった。葉巻はすべてバラバラにほぐされたあと、焼却処分されたとのことだ。孫の麻生太郎は「くやしがる祖父の顔が目に浮かぶようだ」と『麻生太郎の原点 祖父吉田茂の流儀』(徳間文庫)に書いている。
また、前出のスタッフブログの記事には(吉田茂は葉巻を吸うとき)「火を点けるのは必ずマッチを使う・・・。どうやら、ライターで葉巻に火を点けるのは品性に欠けると思っていたようです・・・。」とある。
これにも少し補足すると、吉田が葉巻を吸うとき必ずマッチを用いたのはライターのオイルの匂いを嫌ったことも理由だったようだ。


○パリ講和会議
吉田と近衞が敗戦後の瓦礫を歩きながら、パリ講和会議を思い出すシーンがある。
「講和会議の夜は私もあなたも酷く酔っていました」(吉田)
「欧州大戦に勝利したにもかかわらず、会議における日本は蚊帳の外だった。英国と米国の論理に振り回され何も言えなかった」(近衞)、「はい。」、「泣いたな・・・」、「泣きました」。
回想シーンでは吉田は芦田均と酔っている。
近衞が近づき、芦田は吉田に「立ってください。近衞公爵です」と促すが、吉田は酔ったまま「近衞がなんだ?クソったれ!」と悪態をつく。
近衞は吉田の呑んでいたワインの瓶をぶんどりラッパ飲みして咳き込みながら「私もそう思う。こんなことでは国際政治の中で生き残っていくことはできない」。
吉田は立ちあがって「そうです・・・だから俺たちは日本の外交能力を高めていくしかないんですよ!」と叫び、吉田と近衞は肩を組みながら、「英国クソくらえ!米国クソくらえ!」とクソくらえを合唱する。実にいいシーンだ。
が、実際にこのようなことがあったかどうか。パリ講和会議の日本全権団にこの三人が随行したのは事実だが、近衞関係の文献を読み漁っても、吉田と近衞がこのようにして親交を深めたことを示す資料は確認できなかった。
そのような資料があれば、どなたか是非教えていただきたい。多分、創作だとは思うが、本当だった素敵だなと思う。
吉田と近衞の親交はいつごろからだったろうか。昭和九年、近衞が息子の文隆をアメリカに留学させる折、吉田に相談したとあるので、この頃にはそれなりに親交があったとみていいだろう。
その後、大東亜戦争の和平工作において、二人は深く結び付く。


○一億総懺悔
瓦礫を歩く吉田と近衞のシーンの続き。
近衞が「今政治の中枢にいる者たちは国民総懺悔と言って連合国の言いなりになろうとしている」(要旨)と話す。
国民総懺悔とは東久邇宮内閣が唱えた「一億総懺悔」を指すのだろう。一億総懺悔とは敗戦に至って、日本国民一億(実際はこの当時、七千万ほど)は総懺悔すべしという意味合いだが、日本国民が懺悔する相手は誰か。
一般に連合国やアジア諸国に対してと解される。実際にそのように受け取った国民は多かっただろうが、東久邇宮の意図は施政方針演説の「敗戦の因って来る所は固より一にして止まりませぬ、前線も銃後も、軍も官も民も総て、国民悉く静かに反省する所がなければなりませぬ、我々は今こそ総懺悔し、神の御前に一切の邪心を洗い浄め、過去を以て将来の誡めとなし、心を新たにして・・・」というくだりにあるように、神の御前に対してと解すことが妥当だろう。言はば、日本の神々、あるいは天皇陛下に対して敗戦に至ったことを懺悔するという意味合いが強いのだ。(註5)


○牧野伸顕について
吉田茂の岳父・牧野伸顕について、少しだけ触れておきたい。ドラマの中で吉田に「政治家は頭を下げるのが仕事だ。あんた出来るか?」と訊いている人物だ。
牧野伸顕は大久保利通の次男で牧野家へ養子へ行き、牧野姓となった。東大中退後、外務所に入り、県知事、外交官を経て大臣を歴任し、内大臣(註6)となり昭和初年の天皇を補佐した。親英米派として、二・二六事件のときには襲撃を受け辛くも生き残った。
この伸顕の娘・雪子の夫が吉田茂である。つまり、麻生太郎には大久保利通、牧野伸顕、吉田茂の血が流れていることになる。
なお、吉田茂の実父は土佐の民権運動家だった竹内綱(たけのうちつな)という人物で、茂は吉田家へ養子へ行き、吉田姓となった。この時代は養子だらけで少々ややこしい。竹内綱は衆院議員を務めたのち実業家となっている。


○吉田とマッカーサーの会談
ドラマで吉田がマッカーサーに逢った時、椅子に腰かけ、葉巻を吸うシーンがある。
それだけでも、結構勇気のある行動だと思うのだが、マックから葉巻を勧められた吉田は「いや、結構。それはフィリピン産でしょう?私はハバナ産しか吸いません」と応じない。
これは実際にあったやりとりだ。『父 吉田茂』で麻生和子はマックの高飛車な態度がそうさせたのではないかと解説している。
また、「敗戦という重苦しい現実があったから(略)「わーい、ざまあみろ」というくらい痛快で嬉しく感じられた」と回想している。
またドラマではマックが机の周辺を歩き回りながら日本占領施策の概要を話し、吉田が含み笑いをして、「何がおかしい?」と問われ、「閣下はよく歩かれます。まるで檻の中のライオンだ」と答えるシーンがある。
いかにもドラマの創作シーンのようだが、これも実際にあったやりとりである。
マックは部屋をライオンのように歩く回る癖がって、前出の和子本ではマックが「なにを笑っているのだ?」と尋ねて吉田は「あなたがあんまり歩きまわるから、ライオンの檻のなかにいるみたいな気がしておかしくなった」と答えたそうだ。ドラマではそのあとマックは「私が怖くないのか?」云々と言っていたが、実際には吉田の答えに笑っていたそうだ。


○昭和天皇・マッカーサー会談
このとき、昭和天皇とマッカーサーの写真はドラマにあったように三枚とられている。一枚目はマックが目を閉じており、二枚目は昭和天皇の口が開いていたため、三枚目が新聞に掲載された。
ドラマでは突然の写真撮影に困惑している昭和天皇が演じられているが、実際にこの撮影は抜き打ちのもので、天皇が困惑したのも無理もない。
東久邇宮内閣の山崎巌内務大臣は写真を掲載予定の新聞を発禁にしようとしたが、GHQから圧力がかかり、結局、九月二十九日の新聞に掲載されることになる。
この写真について、高見順は「かかる写真は、誠に古今未曾有」といい斎藤茂吉は「ウヌ、マッカーサーノ野郎!」と日記にしたためた。佐幕派の永井家風も「幕府滅亡の際の徳川慶喜も今日の天皇より遥かに名誉ある態度をとったのではなかったか」と慨嘆している。
この写真が掲載された新聞が壁に貼られ、それを見た国民が俯きあるいは嗚咽し、一人の男が「見るな、見るな・・・」と新聞を引きちぎるシーンがドラマにあったが、当時の日本国民の衝撃をよく表現していると思う。


○東久邇宮内閣の総辞職
白洲次郎が吉田邸を訪ね、「東久邇宮内閣は総辞職だな」といい、吉田が「写真のせいか?」と応じるシーンがある。
ドラマの構成的にもそう思えてしまうが、東久邇宮内閣が総辞職したのは写真が原因ではない。
実際には、十月四日にGHQが政治犯の釈放、思想・宗教・言論の自由を束縛する法律の撤廃並びに内相、警視総監、全国警察部長、特別高等警察全員の罷免など民主化の指令を内閣に出したことがきっかけだ。東久邇宮は約四千人の罷免・解雇は実行不可能として翌日に「今後は米英をよく知る人が内閣を組織するべし」と言って総辞職した。
なお、東久邇宮内閣は東久邇宮殿下と緒方竹虎(元朝日新聞社代表取締役副社長)を主軸とし、近衞公の援助の下に組閣が進められ、緒方竹虎は内閣書記官長、近衞は無所任の国務大臣として入閣しており、緒方の関係者として山崎巌内相(緒方の同郷人)、前田多門文相(朝日新聞論説委員)、太田照彦首相秘書官(朝日新聞論説委員)、中村正吾緒方書記官長秘書官(朝日新聞政治部員)らが入閣ないし内閣に参画している。
このような経緯から東久邇宮内閣は「緒方内閣」「朝日内閣」と呼ばれることがある。


○細川護煕と麻生太郎
まさかとは思ったが、この二人、ドラマに出演していた。
勿論、本人ではなく子役が演じていたのだが、第一回で一番笑ったのが麻生太郎が吉田茂の部屋のソファーで飛び跳ねているシーンだ。太郎、飛び跳ねすぎ。
母親の和子から「コラ太郎!おじいちゃんの部屋に入ったら駄目って何度云ったら解るの?」と注意されているくだりは思わずニヤリとさせられた。実に麻生太郎らしい。
蛇足だが、このシーン、某巨大掲示板の実況スレでも大盛り上がりを見せていた。
細川護煕は近衞文麿の次女・温子と細川護貞の子。後に総理大臣になったあの細川護煕だ。
五十五年体制を崩壊させ、人気もすこぶる高かったが期待外れの結果に終わり、気づけば内閣を投げ出していた。このあたりの経緯が祖父の近衞文麿に類似しているとして、批判されたものだ。
なお、護煕の弟・忠輝は近衞家の養子となり、現在、近衞の当主。日本赤十字の社長を務めている。顔は兄以上に公家顔。文麿の面影も強い。


○近衞文麿の戦犯指定
マッカーサーから新憲法の作成を指示された近衞。これも実際にあったことだ。
しかし、アメリカお得意の手のひら返しによってこれは無かったことにされた。
マッカーサーから直々に憲法作成を指示され、意気込んでいた近衞だが、有頂天から奈落の底へ突き落される。
なぜ、アメリカが手のひらを返したのか。
これはアメリカ国内で近衞に対する批判が高まったことが原因とされる。
十月二十九日にニューヨークタイムズは近衞批判記事が掲載され、日本でも朝日新聞と毎日新聞がこれを掲載した。
また、11月5日にはGHQの対敵情報部調査分析課長だったE.H.ノーマンがアチソン政治顧問に近衞を弾劾する「覚書」を提出し、十日後に近衞の戦犯指定が決定される。
この覚書の提出について、終戦当時内大臣だった木戸幸一による策略という説がある。
木戸は近衞と同じ公家の仲間で古くから親交があった。第一次近衛内閣のときには初代厚生大臣として入閣もしている。
戦後、近衞は天皇の退位論を主張する。敗戦の責任をとって、退位し法王になって京都へお戻りいただくのが良いというのだ。近衞にしか主張できない大胆な意見だ。
しかし、そうなれば、内大臣である木戸に責任が及ぶ。そこで木戸は姪婿の都留重人とハーバード大学で親友だったE.H.ノーマンに近衞を弾劾した覚書を作成させたというのだ。
確定的な証拠は発見されていないが、この覚書の中で近衞については「かれは、弱く、動揺する、結局は卑劣な性格」「淫蕩なくせに陰気」などとほとんど罵詈雑言なのにくらべ、木戸幸一については「頭脳のすぐれた人物」「素直で断乎とした資質」「果断で鋭敏な人物であり、かつて友人であった近衞とは対照的」などと美辞麗句で埋め尽くされている。
近衞と木戸とのあまりの対照的な書きぶりはやはりどこか臭うところがある。
また、ノーマンは共産主義者(共産党に入党しており、ソ連のスパイだったという説もある)であり、近衞上奏文に見られるように共産主義を敵視する近衞に憎悪を抱いていたという見方もある。
いづれにしても、政治的な力が働いたことにより近衞が戦犯指定されたことは確かなようである。


○近衞文麿の自殺
ドラマでは近衞の自殺について、間接的に表現されている。よく観ていないと近衞が病死したようにも取れる。
戦犯に指定された近衞に吉田は言う。
「入院のお支度ができました。そうなれば訴追もしばらく猶予されます。その間に戦犯訴追の取り消しを・・・」
近衞はこの提案を拒否する。
「もういい。入院するということは逃げるということだ。逃げるということは戦争責任を認めるということだ。私はヒトラーではない。東条でもない。私は・・・これもまた運命か」
咳き込む近衞。吉田は近衞の背中をさする。
「もう、ここには来るな。君まで戦犯の容疑がかかるぞ。」
「申し訳ありません。何もお力になれませんでした。」
「君はそれでいい。君は政治家なんだ。僕はね、君が羨ましい。好きなことをして好きなことを言って、実に自由だ。出来ることなら君のような人間になりたかった。僕よりも君はもっと良い総理になっただろう。いや、そうだ、君がいつか総理になればいい。総理になって日本国を立て直してくれ。」
吉田の近衞の友情が美しい。感動的なシーンだ。
荻外荘(近衞の住居)を後にするとき、吉田は千代子夫人に言う。
「・・・ピストルや毒薬のようなものをお持ちでないか。どうかそのようなことにならぬように十分御注意を」
千代子夫人は答える。
「吉田さん、私はあの方が何をなされようと止めるつもりはございません。あの人が望むのならば、私はその望みが無事に遂げられるのを願うのみです。誰が何を申しましょうと、あの人は一国の総理になった人物です。なぜ逆らえましょうか。」
次のシーンで近衞は千代子夫人に背中を拭いてもらっている。先日見た寄席の話をしたあとに「・・・筆と紙はありますか?」
画面は代わり、沈痛な面持ちの吉田のもとに芦田均がやってくる。「五十五歳・・・若すぎる!どうして助けて差し上げられなかったのです!?見殺しではありませんか」
「そうだ、私が殺した・・・」と悲しそうに吉田は言う。

ここまでのシーンは事実と創作が複雑に折り重なっていてる。史実はどうだったかやや長くなるが書いておこう。
まづ、近衞に入院を提案したのは主治医や後藤隆之助、山本有三、富田健治など近衞に近しい人たち。
この中に吉田の名前は確認できない。むしろ、吉田の部下であった外務省の中村豊一公使は巣鴨に入所する前日、病気であってもなんであっても巣鴨プリズンに来てくださいと近衞を説得した。
その時、近衞は「猶予のことは、やめましょう」と入院案を取り下げて、山本有三が「ではどうする・・・」と問うと「裁判を拒否するつもりだ」と答えてる。
次に近衞が吉田に言った「君が羨ましい」という言葉。これは史実では弟の秀麿に言ったとされる。
近衞文麿の実の母は文麿の生後間もなく産褥熱で亡くなっており、秀麿とは異母兄弟になる。秀麿は音楽家で嘗て東京音楽学校の改革を構想し、そのことが原因で兄と衝突し不仲になっていた。終戦、ドイツのベルリンにいたが、アメリカ軍に捕えられ、偶然、文麿に逮捕令が発せられた日、帰国していた。文麿と十二月の十二日か十三日に逢い、その時「今になってみると、お前が羨ましいよ」と兄はしみじみと言ったと回想している。(註7)
おそらくこの言葉がドラマでは吉田茂に言ったことになっているのだろう。
あの感動的なシーンはほとんどドラマの創作とみていいだろう。少し残念な気がするが。(註8)
さて、千代子夫人が言った「あの人が望むのならば、私はその望みが無事に遂げられるのを願うのみです。」という言葉。
この言葉はドラマとは違ったシチュエーションで発せられている。
近衞が服毒自殺する直前、秀麿、通隆(文麿の次男)、昭子は自殺に使えそうなものを探しまわった。ただ一人、千代子夫人はそれに加わらず、「あなたたちは探したらいいでしょう。でも私はお考えの通りになさるのがいいと思うから、探しません」といい、秀麿たちを慄然とさせた。
最後に、近衞が自殺する直前に「筆と紙」を用意させたのも千代子夫人ではなく実際は次男の通隆だった。
通隆が何か書いて欲しいと促すと、近衞は「僕の心境を書こうか」といい、筆と紙を求めたが、近くに筆がなかったので鉛筆と紙を渡すと「もっといい紙はないか」と言われたので通隆は近衞家の用箋を渡した。
近衞は床の中に寝たまま硯箱の蓋を下敷きにして鉛筆で心境を書きつづった。このとき書かれた文章が実質的に近衞の遺書になる。
ここに引用しておこう。

「僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。之に対して深く責任を感じて居るが、所謂戦争犯罪人として米国の法廷に於て裁判を受ける事は堪へ難い事である。殊に僕は支那事変に責任を感ずればこそ、此事変解決を最大の使命とした。そして、此解決の唯一の途は米国との諒解にありとの結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から今犯罪人として指名を受ける事は、誠に残念に思ふ。しかし、僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国に於てさへそこに多少の知己が在することを確信する。戦争に伴う昂奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に本づく流言蜚語と是等一切の所謂興論なるものも、いつか冷静を取り戻し、正常に復する時も来よう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されよう。」(註9)

死の直前にこのような文章がすらすら書けることにまず驚かされるが、文面をみるに彼は戦争終結に努力した自分が戦犯として裁かれることを受け入れることが出来なかったのだろう。
実際、近衞は「戦争前には軟弱だと侮られ、戦争中は和平運動者だとのゝしられ、戦争が終われば戦争犯罪者だと指弾される。僕は運命の子だ」と旧知の新聞記者につぶやいている。(註10)
しかし、近衞はなぜ死を選ばなければなかなかったのか。
これも本人の言によると「自分が罪に問われている主たる理由は、日支事変にあると思うが、日支事変で責任の帰着点を追求して行けば、政治がとしての近衞の責任は軽くなり、結局統帥権の問題になる。従って、究極は陛下の責任ということになるので、自分は法廷に立って所信を述べるわけにはゆかない」(註11)ということになる。
つまり、天皇をお守りするために自ら死を選んだともいえる。そういえば、近衞を評価しすぎであろうか。
 

○マッカーサーの描かれ方
第1回を見る限り、マッカーサーは尊大で傲岸不遜な人物として描かれている。日本のドラマにおいて、マックをここまで嫌な奴として描く作品は珍しいかもしれない。私の印象では、これまでマックは好意的に描かれることが多かったように思う。
これは我が国が戦後レジュームから脱却しつつある傾向と見て良いのだろうか。
が、実際の吉田のマックの印象は決して悪いものではなく、自著『世界と日本』(中公文庫)の中で「物わかりよく呑みこみも早い人」と評価し、「占領の恩人」とまで言っている。 
もっとも、吉田は腹芸が得意な人物であったのでどこまで本音を述べているかは議論の余地があろう。吉田のマッッカーサー観の検討は次回以降に譲りたい。


○俳優の配役について
最後に配役について個人的な感想を。
吉田茂役に渡辺謙を起用したことには賛否があるようだが、私はだんだん彼が吉田茂に見えてきたので決してミスキャストではなかったと思う。むしろ、しっくりきている。
ミスキャストだと思うのは近衞文麿役の野村萬斎で、品の良さは近衞を彷彿とさせるが、話しぶりとキャラクターは実際の彼とは乖離している。これはむしろ演じ方の問題であろう。野村のミスなのか演出家のミスなのかは不明だが、近衞はあのように声を張り上げで話す人物ではない。もっと鼻から抜けたような声で静かに話すタイプだった。
ちなみに、ドラマでマッカーサーと並んだ時、身長差があったが、実際の近衞の身長は180cmあり、マッカーサーとほぼ同じであった。
芦田均に篠井英介をもってきたことも良かったと思う。顔は似ていないが、雰囲気が私の想像する芦田に近い。篠井さんは今年で五十三歳だという。若い。


以上、『負けて、勝つ~戦後を創った男・吉田茂~』第一回について、史実との違いを検討しながら感想を添えた。冒頭でも述べたように、史実と異なる点を指弾する意図は固よりない。ドラマをより楽しんでいただける材料になれば幸いである。


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(註1)例えば、保阪正康・広瀬順皓『昭和史の一級資料を読む』(平凡社新書)251頁。
(註2)矢部貞治『近衞文麿 下』(弘文堂)543-544頁
(註3)公家(華族)にもランクがあり、もっとも高貴な家は五摂家と謂われ、その筆頭が近衞家だった。つまり、日本において、皇室に次いで高貴な家柄となる。近衞家と皇室はいわば親戚のようなもので、近衞は首相時代、昭和天皇に拝謁するとき、椅子に腰かけさらに脚を組んで天皇と話をしたという。それまでの総理大臣は椅子を用意されていても坐る事もなく、立ったまま上奏していた。宮中の人間からは「近衞公が拝謁したときは椅子が温かい」と言われたいたという。
(註4)中華人民共和国(中共)ではないことに注意。中共はこのときまだ成立していない。 中華民国はいまの台湾で、日本が戦争を戦った相手は正確には今の中共ではなくて、台湾を統治している中華民国政府(蒋介石)とであった。
(註5)東久邇宮の演説文はこのあと「征戦四年、忠勇なる陸海の精強は、酷寒を凌ぎ、炎熱を冒し、つぶさに辛酸をなめて、勇戦敢闘し、官吏は寝食を忘れて、その職務に尽瘁し、銃後国民は協心尽力、一意戦力増強の職域に挺身し、挙国一体、皇国は、その総力を戦争目的の完遂に傾けて参つた。もとよりその方法に於て過を犯し、適切を欠いたものも尠しとせず、その努力において、悉く適当であつたと謂ひ得ざりし面もあつた。然しながら、あらゆる困苦欠乏に耐へて参つた一億国民の敢闘の意力、この尽忠の精神力こそは、敗れたりとはいへ、永く記憶せらるべき民族の底力である。」と続くことから、やはり連合軍に対する謝罪の意味は薄いと思われる。
(註6)内大臣の官命は大宝律令以前からあり、朝廷の政務、儀式などを仕切っていた。明治四十年施行の「内大臣府官制」では「内大臣府に於いては、御璽国璽を尚蔵し及証書勅書其の他内廷の文書に関する事務を掌る」と第一条に定められている。いわば、天皇に代わって印鑑を保持しておく仕事を担っていた。当初は権限の低い官職であったが、元老の減少・消滅とともに後継総理の奏薦などで次第に強い発言力を持つようになり、木戸幸一の時代には天皇を常時輔弼(つまり秘書役)する役割を担っていた。
(註7)岡義武『近衞文麿 「運命」の政治家』(岩波新書)230頁
(註8)戦犯指定後の近衞と吉田がどのような接触を持ったかは、私の知り得る限りではよくわからない。ただ、十年以上前に日本テレビで放映されたあるドキュメンタリー番組で、吉田茂は天ぷら屋で近衞に戦犯指定を告げたとする再現VTRが放映されたことがあった。以来、私はそれを事実として信じていたのだが、このエピソードを紹介する文献に出会ったことがない。捏造とも思えない作りだったのだが、真相を知りたいものだ。
(註9)岡義武、前掲書233頁
(註10)旧知の新聞記者とは毎日新聞の伊東治正記者。近衞のつぶやきは昭和二十年十二月十七日付「毎日新聞」の伊東の記事による。
(註11)有馬頼義『宰相近衞文麿の生涯』(講談社)13頁。この近衞の言葉は死の直前に友人の後藤隆之助に語ったもの。

「大津いじめ事件」について一言

2012-07-26 21:58:21 | 社会・世相
昨年十月、滋賀県大津市の中学校でいじめによって男子生徒が自殺した。
いまになって明るみになり、連日メディアが騒いでいる。
いじめの内容は凄惨を極めるもので、「いじめ」というより殺人未遂、傷害、暴行、恐喝、窃盗・・・と云った方がいい。

「いじめという言葉をもうやめよう。傷害、暴行、恐喝、窃盗ときちんと実態にあった名称で呼ぶべきだろう。そして、そのような刑法犯はとっ捕まえて少年院にでも放り込めばいい。」
とツイッターでつぶやいたが、改めて強調しておきたい。

この事件で一番悪いのいじめた生徒だ。
二番目がそれを知っていて無視した教師。あとは教育員会が続くか。

いじめた生徒を難じるのはここではしない。
他の正義漢たちにお任せしよう。
ここでは学校について一言いいたい。

なぜ学校はいじめについてほとんど有効な対応ができないのか。

全国の小中学校は文部科学省の学校評価制度によって評価される。
いじめや不登校という問題が明るみにでると、学校や校長の評価が下がる。
それで、学校はいじめを明るみにしない。あっても隠蔽する。

古谷実に『僕といっしょ』という漫画があるが、作中に主人公の知人の小学生が学校でいじめを受けているシーンがある。
突然、校長室の絵になり、校長が一言「いじめはありません」。
この漫画はギャグ漫画だが、そういうギャグのような実情が現実にある。

実際にこの大津の事件でも校長は「学校は気づいてなかったんですわ」とのたまっている。
自殺した生徒は担任の教師にいじめについて相談したが、教師は「そんなんどうでもいいから」「君が我慢したら丸く収まるから」と対応した。

鳥取県の中学でも似た話がある。
いじめを目撃した女子生徒が教師に訴えると
「いじめた側には家庭問題でいろいろ大変なことがあるのでそれくらい赦してやれ」と対応されたという。
悪いのはいじめを受けた側で、いじめた方は何も悪くないような言い草だ。

こういう学校側の対応を知って、私は漱石の『坊つちやん』を思い出した。

主人公の「坊っちゃん」は新任教師として松山の中学校に赴く。
そこで生徒から連日いやがらせに遭うのだが、宿直の夜には蚊帳の中にバッタを入れられ、二階からは騒ぎたてられた。

その処分についての職員会議が開かれる。
そこで教頭の「赤シャツ」は、事件を起こした生徒たちに「厳重な制裁を加えるのはかえって未来のためによくない」といい、
「少年血気のものであるから活気があふれて、善悪の考えはなく、半ば無意識にこんな悪戯をやる事はないとも限らん」と生徒を擁護し、「なるべく寛大なお取り計らいを願いたい」と締める。
他の教師たちも、みな賛同する。

事件を起こした生徒には悪気があったわけではないから、まぁ、穏便に済ませましょうと。
小説の中の話とはいえ、明治の昔から教育現場では似たようなことが繰り返されてきたのかと肩を落としたくなる。

しかし、このあと数学教師の「山嵐」がその場の空気を打ち破り反論する。
長くなるが引用する。

「私は教頭及びその他諸君のお説には全然不同意であります。
というのもはこの事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新米の教師某氏を軽侮してこれを翻弄しようとした所為とより外には認められんのであります。
教頭はその源因を教師の人物いかんにお求めになるようでありますが失礼ながらそれは失言かと思います。(略)
軽侮されるべき至当な理由があって、軽侮を受けたのなら生徒の行為に斟酌を加える理由もありましょうが、なんらの源因もないのに新米の先生を愚弄するような軽薄な生徒を寛仮(かんか)しては学校の威信に関わる事と思います。
教育の精神は単に学問を授けるばかりではない、高尚な、正直な、武士的な元気を鼓吹すると同時に、野卑な、軽躁な、暴慢な悪風を掃蕩するにあると思います。
もし反動が恐ろしいの、騒動が大きくなるのと姑息な事を云った日にはこの弊風はいつ矯正出来るか知れません。
かかる弊風を杜絶するためにこそ吾々はこの学校に職を奉じているので、これを見逃すくらいなら始めから教師にならん方がいいと思います。・・・」

武士的な元気を鼓吹とは若干時代的ではあるものの、感動的な反論だ。
特に最後のくだりは教師ではない身にも万感迫るものがある。
そう、いじめを見逃すくらいなら始めから教師にならん方がいいのである。

大津の中学校には「山嵐」が居なかったのだろう。
それが悲劇を生んだ一因であることは間違いない。

いじめ事件は大津だけの問題ではない。
全国津々浦々で似たような事例があろう。
教師はいまからでも遅くない、「山嵐」の演説を一回でも朗読するべきだ。

生活保護制度についてちょっとだけ考えてみた

2012-06-20 00:02:30 | 社会・世相
テンプレートが勝手に変わっていると思ったら、「60日間投稿が無いためテンプレートを切り替えております。ブログを更新いただくと元のデザインに戻ります。」とあった。
なにそれこわい。

ということで、ツイッターでのつぶやきを再録。
一昨日(6月17日)にやっていた「池上彰の学べるニュース」の「生活保護」についての箇所の概要をかいつまんで記す。
何かの参考になれば。
なお、下記「*」の内側の記述は私の意見を記したのではなく、番組でなされた解説やゲストのコメントを記したまでなので、御留意いただきたい。

**********************

受給者が過去最多210万人を突破した生活保護。
国家予算、約90兆円のうち3兆7,000億円が使われている。
いま問題になっているのは不正受給だけではなく受け取る側にも行政にも難題が山積みしている。

生活保護は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利(憲法25条)に基づいて、最低限度の生活を自力で確保できない人に対し、国や地方自治体が面倒をみる制度。
では、「最低限度の生活」とはなにか?

父33歳、母29歳、子4歳で東京23区在住のモデルケースなら、最低生活費:17万2170円、住宅扶助:6万9800円。
最大で24万1970円が扶助される。さらに、医療費や税金は免除される。

六角精児「うちの劇団員よりもらっている」 
高畑淳子「私たちの周りの売れない役者はこんなにもらっていない」 
つるの剛士「下手にバイトするよりもいい」 
土田晃之「下手に働くより全然いい」 
池上彰「そこが問題になっているということなんです」

生活保護受給者は冷蔵庫、洗濯機、炊飯器等を購入するとき補助金が支給される。
テレビ、パソコン、エアコン、ケータイは保護費の中からやりくりすれば購入可。
国民の7割以上が持っているものは基本的に持って良い。
貴金属や株券など資産価値の高いものは売却を指導される。

【生活保護の問題点1】
最低賃金837円で一月に22日間働いて、14万7312円。夫婦二人で月に約29万円。
税金等を引かれて実際の手取りは二十数万円になる。
働いて稼ぐより生活保護の方が手取りが多い場合があるため、不公平感が生まれる。

池上彰「一度生活保護を受けると働こうとしなくなる人がいる」 
高畑淳子「私の世代は生活保護は貰いたくないというか、死んでも貰わんぞという意識があった」 
中村橋之助「こんなに貰えるなら、普通の精神をもっていても気持ちが萎える。人間は楽な方楽な方に行きたい生き物」
つるの「もう少し生活保護の支給額を下げたらどうなのか?」 
池上彰「今まさにそれが議論になっている。今回、芸人さんの話(河本の件)が大きなニュースになったのも生活保護の支給額を減らそうという動きの中で格好の話題として国会で取り上げているという部分がある」

【生活保護の問題点2】
偽装離婚して母子家庭を装ったり、仮病を使い生活保護費を不正受給する例がある。
厚労省の調べでは生活保護の不正受給は2010年度で129億円にのぼっている。

【生活保護の問題点3】
不公平感や不正受給を踏まえ、受給を厳しくすると本当に必要な人に生活保護が行き渡らなくなるという問題がある。
2007年、北九州市で生活保護を打ち切られた男子が餓死した例もある。

【生活保護の問題点4】
ケースワーカー(行政の生活保護担当者)が人手不足で現場が混乱している。
受給資格の調査での親族への確認に強制力がなく、確認が取れないことも多い。
一人のケースワーカーが150世帯を担当している場合もある。

土田「行政のケースワーカーが足りないのなら、民間でケースワーカーの会社を作ればいいのではないか。雇用不足も解消される。」 
池上「なるほどね。」

フランスでは生活保護受給者に対し、雇用支援として、簡単・短時間の仕事を紹介し、少しでもお金が稼げるようにやっていく。
やがて、きちんと仕事をできるようになったら保護から卒業してゆくプログラムを組んでいる。
日本の場合は稼いだ分だけ保護費が減ってしまう。

アメリカでは食料品だけが買えるクレジットカードを渡される。
これなら、パンチコ代に使われることもなくなる。

池上彰
「働くことの喜びを味わってもらうような仕組みづくりは大事」
「特定の個人をケシカランと云っているだけでは済まない」
「これからの日本がどうあるべきかというときに社会保障全体の中での生活保護を考えるいい機会になると思う」 (終)

**********************

以下は私見。

次長課長の河本の生活保護「不正受給」問題でにわかに注目をあびるようになった感がある生活保護制度だが、現状で種々問題があるのは事実だろう。

ところで、河本の件では「河本を叩いている人は自分も将来親を養う立場になるという想像力に欠けている」という意見が散見されたが、推定で五千万以上の年収があり、自分と奥さんのために158万円と42万円の腕時計をポンと買えるような立場でかつ親を扶養しないという状況は想像し辛いのではないか。
どのような立場であれ親は必ず扶養するものだという考えには与しないが、これだけの稼ぎがあって、親をまったく扶養せず生活保護を受給させるというのは社会通念に照らしても、批判されても仕方ないのではないかと思う。

したがって、それ自体が目的化したような河本叩きには与したくないのだが、ヒステリックな程に河本を擁護する人が居たことはそれはそれで意外であった。
本来、このような「不正受給」は生活保護制度の健全な運用において、あってはならず、むしろ、福祉国家を是とする立場の人間こそ、難じるべき問題であるのに、どういうわけかそのような立場の人たちが河本を擁護する光景は理解に苦しむものがあった。
いぢわるな云い方をすれば、河本を擁護すればするほど社会一般の生活保護制度に対する風当たりが強くなり、福祉国家派にとってはマイナスの効果しか齎さないと思うのだが。
ひょっとして、河本擁護派は実は生活保護制度を廃止させたい勢力なのかもしれない。

さて憎まれ口はこのくらいにして。
私は福祉国家を標榜する立場であって、生活保護が本当に必要な人に必要な分だけ、保護がなされるべきだと考えている。
よって、不正受給には怒りを覚えるし、あってはならないことだと考えている。
番組でも指摘されていたが、それによって制度に対する輿論の風当たりが強くなり、生活保護の受給基準が厳密化されると、本来、保護が必要な人たちにゆきわたらなくなる懸念もある。

いづれにしても生活保護制度のあるべき姿について、税と社会保障の一体改革の中でも国民が真剣に考えてゆかねばならない問題であることは間違いないだろう。

(最後はあたりさわりのない感じでまとめてみました)

「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」の気持ち悪さ

2012-04-15 22:11:08 | 政治・経済
ダッ!ダッ!脱・原発の歌/制服向上委員会
http://www.youtube.com/watch?v=ByP8m3XOZdw

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制服向上委員会というアイドルグループが、「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」なる反原発ソングを歌っている。
はっきり云って気持ち悪いことこの上ない。
イメージが湧かない人はAKB48が

忘れないから 原発推進派
安全だったら あなたが住めば良い
みんなに迷惑かけちゃって 未熟な大人ではずかしいよネ
ダッダッダッダッ脱!原発を! ダッダッダッダッダツ 大きな声で
世界へ向けて叫ぼう危険な現実を
(「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」詞:鈴之助 より引用)


などと歌っている姿を想像してみるといい。 

私が原発推進派だから「反原発ソング」を気持ち悪いと云っているのではない。
むしろ、私は脱原発派に近いといってもいい。
例えば、他にも制服向上委員会は「悪魔・野田・TPP」なる反民主党・反TPPソングを歌っている。
云うまでもなく私はTPPにも民主党政権にも大反対の立場だが、同様に気持ち悪さを抱くのだ。

なぜか。
アイドルグループに政治的プロパガンダをやらせることの気持ち悪さだ。

政治的主張を歌に乗せること自体はまだいい。
反原発ソングでいえば、ブルーハーツが歌った『チェルノブイリ』に寸毫の違和感も感じないし、
福島の原発事故後ではステルスマン(平沢進)が歌った『原子力』はむしろお気に入りの曲でポータブル音楽プレイヤーに入れてしょっちゅう聴いているほどだ。

無論、歌詞やメロディーのクオリティにも左右されるし、聴くに堪えない政治ソングも多い。
制服向上委員会のそれは、歌詞になんの諧謔もなく、政治運動のアジビラと同レベルかそれ以下。
そんな歌をアイドルグループというより田舎の小娘が集まったような集団に歌わせる。
ちょっと異様な光景だ。

だいたい、反原発ソングを歌いたいなら、自分でやればいい。
忌野清志郎も斎藤和義も自分の主張を自分の歌にして自分で歌っていた。
他人に(それもアイドルに)歌わせようとはしなかった。

しかも、制服向上委員会のメンバーは大人に云われた通り、命令通りに歌っているだけじゃないか。
「違う、彼女らは自分たちの意志として歌いたいのだ」という反論があるなら、それは洗脳されているだけではないか。

仮に制作者サイドが「アイドルに反原発ソングを歌わせることによって輿論を喚起される」というような戦略を立ててやっているなら、それは老婆心ながら即刻辞めることをお勧めする。
自分たちがどう感じているか知らないが、あの歌や映像を聴いたり見たりして、一般人が抱く感想は違和感であり、あるいは嫌悪感だ。
B級のアイドルグループが安い歌詞と単調な曲に乗せて反原発を歌う。
この光景を見て違和感を感じないとすれば、その人は相当感性が鈍っている。

制服向上委員会は頭脳警察のPANTAや中川五郎ら左翼音楽家に乗っ取られててからおかしくなったといわれている。
なるほど、アイドルグループに反原発ソングを歌わせるのはかつての左翼の感性だ。
こういう一般大衆の感性と乖離した彼らのそれが、左翼運動に対する一般大衆の支持を失わせこんにちの左翼の衰退があるとすれば、彼らはいまだにその弊を引きずっていることになる。

こういう「反原発」の連中がいるから、私は脱原発寄りにも拘わらず、態度を鮮明にしたくないし、反原発運動なるものに関わりたくもないのである。