理科オンチの心配性の妄想と思って読んでほしい。
今年コロナ禍で改めて脚光を浴びた小松左京のSF「復活の日」は、いま手元にないが確か、宇宙空間から持ち帰った微生物が生物兵器として研究される間にDNAの変異を起こして、南極にいた人間以外の全人類が滅亡する話だったはずだ。
真空の、超低温の、放射線だらけの宇宙空間に生息できる細菌ないしウイルスがありうるかどうかぼくは知らない。しかし小松左京はありうるという前提で書いているはずだ。
逆に超高圧高温の、とても生物が生きられそうにない深海の海底火山の付近になら、嫌気性の細菌の存在が確認されている(その細菌は酸素のあるところでは生存できないから、地上に広がる心配はない)。それなら、宇宙空間で、というのもありうるだろう。
ところで、はやぶさ2のカプセルの話だ。コロナのせいでどうしても暗い話題になる今日この頃、日本の科学技術の大成功の、夢のある、明るい話題として取り上げられるカプセルだが、あれって、本当に開けても大丈夫なのだろうか?
あの中には有機物(つまり、生命の元になりうる炭素化合物)が含まれていて、しかもそれからガスが発生しているのだそうだ。それで、人類にとって未知のウイルスなどが入っている可能性はゼロなのだろうか?
もしそういう可能性がゼロではなくて、しかもそのウイルス(と仮に呼ぶが)が今まで生存していたリュウグウの地表とは全く異なる環境である地球の大気の中でも生存することができるとしたら、また、例えば人間の体内でも生存することができるとしたら、玉手箱はコロナ以上の災厄をもたらすことにならないのだろうか?
浦島が乙姫様からもらった玉手箱の中には、300年の時間が入っていた。だから浦島はたちまち白髪に、あるいは白骨に、なってしまった。今から千数百年前の日本人が考えたこの想像力豊かな話が好きだが、現代の玉手箱はどうだろう? エボラ出血熱のウイルスなどと同じ、バイオセーフティー・レベル4の施設内で開けたほうが良くないだろうか?
これはぼくの荒唐無稽の杞憂かもしれない。でも、知らないことに対しては慎重かつ謙虚であるべきだろう。手離しで喜んでいてよいのだろうか?