すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

賢者

2019-04-03 22:11:49 | 老いを生きる
 林内が美しい緑色の下草に覆われた、気持ちのすがすがしくなる林試の森を一周半して、目黒不動を通って自然教育園へ向かおうと、目黒川から駅に続く行人坂を登ったのだが、昨夜寝不足、というわけではないのに、今日は息が切れる。
 ちょうど出勤時間帯で、職場に向かう人たちに次々に追い越される。カツカツと気持ちの良い靴音を立てていく若い女性にも次々に抜かれる。仕事に行くのではなさそうな白髪の痩せた男性にも抜かれる。
 がっかりして、教育園には行かずに駅前のモリバに入ってコーヒーを飲んで帰ってきた。
 こんなことで、夏に三泊四日程度の北か南アルプスの縦走ができるだろうか? 
去年の今頃よりは調子が良いはずなのだが、まだまだ何段かギアを上げなければならなそうだ。果たして、それを最優先にすることなしに上げられるだろうか?(最優先というのは、ちょっと困る。) 
 三泊四日の道のりを四泊五日でゆっくりと歩く、というのは、小屋のいっぱいある北アルプスのメインルートなら可能だろうが、日数が増えれば疲労も蓄積するしなあ…

 …ところで、先週から何度も通っているが、目黒川の桜は今年はあまり美しい盛りにならなかったようだ。場所にもよるのだろうが(中目黒の駅より上流は良いのだそうだが)、雅叙園前の「太鼓橋」(平らな橋なのだが、なぜかこの名)から見ると上流側も下流側も、満開にならないままに葉桜になり始めているように思える。木の上の方の花が蕾のまま開かないで終わってしまうようだ。
 葉よりも先に花が咲く木は光合成で栄養を作れるのはもっと後だから、蓄えてある栄養を使って咲かなければならないのだろうが、もしかして、ここらの木は老化が進んで、梢の先まで栄養を届けるパワーがなくなっているのかもしれない。川面に張り出すように枝を伸ばしているから、上野公園など日当たりの良い場所に咲く桜に比べて、もともと厳しい条件にあるのではないだろうか。
 ただでさえも、日本全国のソメイヨシノは老化の時期を迎えているというのに。
 ここ数日、足の先が冷えて、厚い靴下を重ね履きしてふかふかのスリッパをはいてもまだ辛いぼくは、老いたソメイヨシノに同情してしまう。

 しかし、その日の体調の良し悪しで一喜一憂しても仕方ないではないか?
 若き日に持っていた力の喪失を嘆いたところで何になろう? 
 歳をとったら、理想は賢者になることだ。
 「子供に返ること」と言いたいところだが、それははた迷惑かもしれないし、それにぼくは無垢な子供だったわけではないのだし。
 「季節よ! 城よ! 無垢な魂が何処にある?」
コメント
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