すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

山笑う

2019-04-22 20:36:43 | 近況報告
 高尾駅から先、列車の車窓から見える沿線の山々が、枯れ山でなく、と言ってまだ緑でもなく、淡い緑と白の混ざった色にぼうっと烟るように見えた。 
 南(左)に高尾山、北(右)には景信から陣馬に続く尾根。やがて、並び立つ扇山と百蔵山。あの間の大きな登り下りは、結構きついのだ。南に倉岳山から九鬼山に至る尾根。北に岩殿山の大岩壁。再び南に高川山。北に大きな滝子山。その後方に、たぶん、笹子雁ヶ腹摺り山から大菩薩に至る高い峰々。
 ホリデー快速ビューやまなし号の2階席に座ったので、いつも車窓から眺めるよりずっと山並みが近く感じる。何度も登ったことのある、なつかしい山々―故郷の山々だ。
 今あの山々の中を歩くと、クヌギもコナラもイヌブナもカエデも、木々は柔らかな葉をちょうど開き始めたところなのだ。それを思うと、つい口元がほころんでうれしくなってしまう。こういう時期の山の様子を、「山笑う」というのだろうか。
 樹々は毎年生まれ変わるわけではなく、木という個体として何十年何百年と生きるのだが、毎年、新しい芽を吹き、花を咲かせ、実をつけ、それらはまた過ぎ去ってゆく。
 家族と、お墓参りに行く途中だ。塩山で降りて、観光寺として有名になってしまった恵林寺で、車で向かった弟一家と待ち合わせた。山梨の大イベントの「信玄公祭り」が終わった後だからだろうか、日曜日なのに境内はひっそりしている。
 墓地に向かう道の杉木立の真ん中に、今日は乾徳山がすっきりと立っている。見事な山だ。家の墓はその墓地の一番奥、他よりは石段を10段ほど登ったところ、歴代の住職の無縫塔が並ぶ傍らにある。由緒ある墓なのだが、ぼくたちのあと継ぐ者がいないので、いずれ墓仕舞いをしなければならないのは確実だ。
 境内にある「一休庵」という食事処の、昔は能舞台だった舞台の上にしつらえられたテーブルでみんなでミニ懐石御膳を食べる。と言っても、今回(昨日)は「何回忌」というような法事ではないので、家族だけ七人だ。一昨日が三年前に他界した母の誕生日だったのだ。舞台はガラス戸が立ててあるが、左右の戸が少し開いていて、涼やかな風が通って気持ちがいい。お互いの健康の問題や、亡くなった親族の思い出や、そんな話だ。
 帰りはぼくひとり、甲府によって北口駅前でカフェを開いている同じ年のいとこと、ぼくには大恩ある叔叔父母のお墓参りをした。ここのお墓は、「~家の墓」という文字の代わりに墓石に「~家合同船」と書いてあって、感慨深い。
 列車の中で上橋菜穂子の「鹿の王」を読んだ。ぼくは「精霊の守り人」シリーズは、特のその前半は、あまり好きになれなかったので、「鹿の王」も今頃になって読んだのだが、こちらは感動した。
 これについては、別途、じっくり考えてみたい。物語を紹介するのではなく、そこに盛られている、ぼくたちの生き方や死や人と人のつながり、あるいは生命というもの、についての考え方を(医療についてはぼくには荷が重いだろうが)。真木悠介の「自我の起原」にも密接に関連しているところだと思うので。
コメント
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