すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

七十プラス一

2018-08-07 21:30:27 | 無いアタマを絞る
 誕生日のコメントをくださった皆さん、ありがとうございます。

 お祝いの言葉をいただいていて、以下のようなことを書くのは大変失礼で、へそ曲がりかもしれないのですが…
ぼくは人の誕生日を覚えるのがとても苦手なのです。一緒に暮らしている家族の誕生日さえ、時々分からなくなるくらい。
 だから、大変申し訳ないのですが、ぼくの方からお誕生日のコメントをお返しすることはないのではないかと思います。あしからず。

 なぜ、覚えられない、あるいは覚える気がない、のか?
 誕生日というものを祝うという感覚が欠けているからなのだと思います。
 誕生を祝うという感覚も。
 別に、自分がこの世に誕生したことを疎ましく思っているとかいうわけではありません。
 同時に、ことさら喜ばしいことだとも思っていません。

 さらっと受け入れるだけ。
 そして、できるだけさらっと生きたい。

 でもまあ、今日で71です。まあ、よくここまで生きてきたものだ。
 節目という意味では去年70の節目だったわけだけれども、この春で仕事をやめたせいか、今年の方がどちらかというと節目感は強いです。
 第一回目の、という感じか。

 さて、若い頃愛読したアイルランドの詩人ウィリアム・バトラー・イエーツの詩の中から、いまの自分にぴったりの詩をひとつ。

   七十歳(ななそじ)
       (日本の詩調に真似て)

さても、世に魂消(たまげ)たることかな、
七十歳までこの俺(われ)、生き永らへんとは。

 (めでたさや、春の花々、
 春ここにめぐり来しよな。)

七十歳までこの俺の生きにけり、
襤褸(らんる)まとう乞食ともならで。
七十歳までこの俺は生きにけり、
大人、童(わらべ)の七十歳を経しこの俺、
悦びに踊りしこと、ゆめ、あり申さずよ。
    (尾島庄太郎訳)
コメント
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