すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

スポーツ

2018-08-27 10:31:55 | 無いアタマを絞る
 アジア大会をやっている。同居する家族は、毎晩TVを見ている。新聞では大した扱いをしていないが、TVではキャスターや解説者が話を盛り上げている。はたで聴いていると、かなり大げさに盛り上げている感じ。
 偏屈老人は、あれを「やめようよ」というつもりはないが、スポーツは大きく2種類に分けることができる、と考えている。
 勝敗のあるスポーツと、ないスポーツ。
 大概のスポーツには、勝敗があると思うかもしれない。勝敗があるからこそ面白いし感動があるのだ、と思うかもしれない。まあ、見ている分にはそうかもしれない。
 勝敗のないスポーツというのはいっぱいある。
 登山は、まずそうだ。ジョギング。ウオーキング。サイクリング。シュノーケリング、ヨット、ハンググライダー。
 これらのスポーツはもちろん、競技として勝ち負けをつけて行おうとすればそれもできる。そうするのとしないのとでは、全く違う味わいのものになる。
 そういう意味では、親子や友人で、あるいは職場で昼休みなどに同僚と楽しむキャッチボールもそうだ。競技としてではなく型の習得として行われる場合の、太極拳、長拳、空手などの武道もそうだ。
 若い頃、アルジェリアで仕事をしていた時に、通訳の先輩にヨットの手ほどきを受けたことがある。彼はマルセイユでヨットを買って、地中海を渡ってアルジェリアに赴任していた。「日本に帰るときはホーン岬を回って帰りましょう」などと言っていた。
 その後、彼とは仲たがいしてしまって、ぼくのヨットはそれで終わりになってしまったが、あれは楽しいものだ。
競技として行う時には、風の向き、強さ、潮の流れなどの条件が、ヨットの性能とともに、すべて、勝つための要素として計算されなければならない。競技でなければ、風も波も気温も天候も太陽の位置や強さも陸の風景も、すべては今自分がそこにいて生きていることを楽しんでいる、一つ一つの味わいになる。
 上に挙げたすべての、勝ち負けのないスポーツについても同じだ。勝ち負けのないスポーツは、見て楽しむものではない。自分が体を動かさなければ始まらない。
 歳をとってもそれなりに。
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