すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

観音・マリア

2019-06-21 12:23:48 | 無いアタマを絞る
 (昨日の続き)シャカは悟りを得た後、初めのうちは教えを広めるつもりはなかったそうです。自分の悟ったことは世間の人の理解を得られないだろうと考えていた。けれど強く懇願されて話すことを決心し、それ以後は、身分や性別の隔てなく、人々に教え続けた…ということになっています。
 とはいえ、シャカの教団に女性が入れなかったのは確かなようです。これは、以下の理由によるものと思います。
 シャカのもとに集まってくるものたちは、教えを求めるもの全体、でなく、修行志願者たちに限って言えば、圧倒的に男性だった。というのは、当時のインド社会から見て、まず間違いないでしょう。彼らは、シャカの教えに従って自分も悟りに至りたいと、熱望していたが、しょせん、いまだ未完成なものたちです。彼らを修行に集中させるためには、ルールを設けなければならなかった。すなわち、働いてはいけない、盗んではいけない、禁欲しなければいけない、嘘をついてはいけない…などなど。修行集団の中に女性がいては修行に集中できない(禁じられていればなおさらのこと)ので、女性は入れないことにした。つまり、暫定的な方便だった。
 それを、シャカ亡き後の(不完全な)弟子たちが、女性は穢れたものであるから、というふうに解釈した、あるいは、問題をすり替えた。
 はじめは「女は成仏できない」ではなくて、「女がそばにいると修行に集中できないから、男が成仏できない」だった。だから、女は穢れたもの、と思い込もうとした(まったく、男ってやつは)。それが、固定観念になった。
 これは小乗の話。
 大乗は基本的には在家だから、家庭は持てるし経済活動もできます。そうした中で、日常生活が修行だと考えて、正しく生きればよい。これは大進歩。
 ただし、大乗でも、専門家集団は残ります。すなわち、僧侶、寺院。ここでは、小乗と同じ偏見と差別が残ってしまった。
 そこを打ち破ろうとしたのが、親鸞と一遍。親鸞は僧の妻帯を認め、一遍は、熊野権現から、「身分性別の区別なく念仏札を配るべし」という夢告を受け、一生それを実践した。
 しかし、ぼくはその後の両者の教団のことは知らない。たぶん、偏見は残っただろうな。

 …どうでしょうか?
 イエス亡き後、シャカ亡き後の、膨大な思考はほとんど、イエスやシャカを理解できなかった弟子や宗教者たちの築き上げた、迷妄です。
 イエスに還ろう。シャカに還ろう。
 あるいは、親鸞に還ろう。一遍に還ろう。
 
 さて、ここからは、雑談。
 ぼくが子供の頃一時通った村の幼稚園は禅宗のお寺の経営するものでしたが、毎朝、厨子の中から観音像を出してみんなで合掌していました。やさしい姿の像だったと覚えています。お母上は、観音像に似せて作られたマリア像を拝んでいたそうですが、ぼくの幼稚園の観音像はマリア像に似ていました。 
 あれは、仏教の中にわずかに入った、女性的要素かも知れない。
 ぼくは体の弱い子供だったようで、町の病院に通うのに幼稚園と両立できないから、ということで、そこは数か月で中退してしまいましたが、ずっと通っていれば、もう少しやさしい人間になれていたかな。
 マリア信仰は、キリスト教の「隣人愛」よりは、仏教の「慈悲」に近いと思います。
 ただし、そうでないマリア信仰もあります。
 若い頃、ノルマンディーの小さな村の農家にひと月ほど居候していたことがあります。村の入り口に、大きなマリア像が立っていました。そのマリアは、リンゴを口にくわえた蛇を踏みつけて、カッと目を見開いて、憤怒の顔をしていました。「邪悪なるもの村に入るな」、ということでしょうか。信仰というものの頑迷が形になったように思いました。
 素朴なものの持っている頑迷は、怖いです。原理主義というものもそうかもしれない。
 ぼくたちは、考えるということを大切にしなければ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 生きとし生けるものは | トップ | 花梨酒 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

無いアタマを絞る」カテゴリの最新記事