すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「チボー家の人々」

2021-04-23 08:56:05 | 読書の楽しみ

 新宿の朝日カルチャーに野崎歓先生の「原語で楽しむフランス文学」という講座を受講しに行った。月一回、一年間でロジェ・マルタン・デュ・ガールの「チボー家の人々」の名場面のいくつかを読む、というものだ。昨日開講だったのだが、手術とその予後がどうなるのかが分からなかったから、受講できるかどうかもわからなかった。受けられて幸いだった。
 「チボー家」は一昨年2回続けて読んで、原語版も入手したのだが、「ぼくの語学力ではこれを読みだしたら一生かかる」と思い、早い段階で断念していた。今回ちょうどこの講座ができてうれしい。原語で、と言ってもおよそ2500ページもある大作のうち、せいぜい読めるのは100ページぐらいだろうが、それでも原作に触れた気にはなるし、いろいろ解説していただけるのもうれしい。
 板書の文字が読めないと困るので一番前の席に座ったから、後ろの方の受講生はよくわからなかったが、ほとんど女性で、年配の方が多いようだ。主人公の兄弟のうち弟のジャックは純粋だがかなりアブナっかしく、女性本能を刺激されるタイプだし、兄のアントワーヌは優秀な医師で優しく、女にもてるタイプだからなあ。講義が終わってから先生と熱心に話していた方は、「1947年ごろに初めて読んで…」というようなことを言っていた(ぼくの生まれた年!)から、80代の後半だろうか。「チボー家」は戦後、若者たちに熱狂されて、心の拠り所になった時代があったと聞いているから、彼女もその一人なのだろうな。
 それにしても、現在ではこの大河小説はほとんど顧みられていないように見えるのはどうしてだろう。世界がひどく不安定になっている今、あちこちで戦争や紛争や暴力が起き、疫病が蔓延している今、これはもっと読まれるべき小説だと思う。
 「チボー家」は、途中で構想が一変している。かなりバランスを欠いた作品に思われる。そのことが今はあまり顧みられない原因だろうか。でもこの変貌は高く評価したい。
 前半は家父長制度、宗教的価値観、ブルジョワ社会、に対する若者の反抗の物語、家庭小説と言うか、一種の成長小説と思われるが、中ほどの第一次大戦開戦直前の部分から一気に反戦平和を希求する社会小説に変貌する。弟のジャックが反戦行動に倒れた後、前線で毒ガスを吸って死を待つ身となった兄のアントワーヌはウイルソンの国際連盟構想に世界平和の実現を希求しながら果てる。
 ぼくたちはそのウイルソンの構想がけっきょく破綻し、その後第二次大戦が起きたことを知っている。1940年にこの大作を書き終えたマルタン・デュ・ガール自身もそのことは知って、かつ戦争の足音も聞いていた。それだけでなく世界もそのことを予感していた。だからこの作品は1937年にノーベル文学賞を受賞している。そしてぼくたちは今、社会制度の変革について、戦争や疫病との戦いについて、今一度熟慮すべき時に生きている。
 なお、今回のコロナでカミュの「ペスト」が再び脚光を浴びたが、野崎先生も言っていたが、「ペスト」と「チボー家」には共通点がある。主人公が医者であること。つまり社会の問題と闘う最前線に医学の役割があるということ。片方は疫病と、もう一方は戦争と、であるが、全力をもってそれと闘おうと意思し、行動する人間たちが、その過程の中で生きることの意味を見つけて成長していくこと。
 その戦いは「ペスト」では勝利と希望に、「チボー家」では暗澹たる敗北に終わるのではあるが。
 ついでながら、アントワーヌとジャックのそれぞれをめぐる恋愛模様も、たいへん豊かな、読み応えのあるものです。特に、アントワーヌとラシェル、ジャックとジェンニーの恋は。
 …退院2日後の12日に申し込みに行った時には新宿から住友ビルまで杖を突いて歩くのがやっと、だったのだが、昨日は並木道の新緑を楽しんで帰りは遠回りをする余裕があった。

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