すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

白い鳥(2)

2018-03-10 11:28:58 | 夢の記
 …ある日、恋人に「両親に会って」と言われる。日曜日に家を訪ねていくと、広い公園の真ん中にある大きな木に案内される。木の幹の中がエレベーターになっていて、二人で乗るとどこまでもどこまでも上っていって、雲の上に出てしまう。雲の上で、彼女の家族たちに紹介される。そこでぼくは初めて、「彼女はじつは白い鳥だったのだ」ということを知る。同時に、「彼女は地上で生きるために仮に人間の形をしているのだ。それはひどく苦痛なのだ。だから鳥の形に戻る方が幸せなのだ」ということを直感する…

 彼女の家族たちは、はっきりした鳥の形をしてはいませんでした。漠然とした、明るいもやのような姿で、だから「鳥なんだ」と思ったのも、夢の中で私がその姿を見たのではなく、私が直感したことです。
 “恋人”というのも、はっきり昨日お話しした彼女というわけではなく、夢が覚めてから「彼女のことだ」と思ったのです。

 明け方この夢を見た日の次の日の職場の朝のミーティングで、彼女と私の共通の友人で、かつて勤めていたフランス語学校のかつての同僚から、「彼女が昨夜亡くなった」という電報を受け取りました。
 その電報は前夜にはアルジェリアの郵便局に届いていたものかも知れず、そうするとほぼ、私が夢を見た時間と重なります。

 もう一度言いますが、これは作り話ではありません。実際に私に起こったことです。
 ここで言いたいのは、超常現象の話ではありません。

 一週間前のドアの件も、この夢も、私が、彼女が近いうちに死ぬだろうことを予感していて、そのことが、日本を離れて遠くに来てしまった自分の心の中で気になり続けていた、ということをあらわしています。
 それだけでなく、彼女の死を受け入れる心の準備を無意識のうちにしていた、それも、彼女と私の関係が自分で納得のいく美しい関係で完結するよう、無意識のうちに準備をしていた、もっと端的に言えば、彼女が私に愛想を尽かしてパリに行ってそこで恋人を作って…ということを、私があまり気にならない形に処理をつける、それがこれから思い出を保っていくために必要だから、ということを、無意識のうちにしていた。
 私は自分の心の中に彼女が居続ける場所を見つける作業を、彼女が死ぬ前に無意識のうちにしていた、ということだと思います。

 これは夢についてのお話というよりは、人の心の働きについての話です。
 しかし結果的に、それがオカルト的超常現象や、予知夢による告知という形になっている。
 逆に、世の中にたくさんある超常現象や予知夢というようなものは、じつは超常ではなく、無意識的な心の働きから起こっていることが多いだろう、というのが、私の考えです。

 だからそれらは意味がない、のではありません。
 オカルト的思い込みから離れることができさえすれば、それらは人の心の働きを考える上での重要な手がかり、不安や妄想や強迫観念から解放されるための重要な手がかりになり得るのです。
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