三ッ池公園の池のほとりのベンチで友人と話し込んだ。イチョウとカエデがそれぞれあざやかな黄と赤の影を水に映す、静かで美しい一日だった。彼女は今年、瀕死の大病から奇跡的な快復を果たしたのだった。
「生きながらえさせてもらった命だから、もう少し元気になったら、社会に少しでも恩返しができるような活動がしたい」と言っていた。
帰宅してから彼女から届いたメール(の一部)と、ぼくの返信(の一部)。
「私は、これからの人生に役目があるのなら、それとは自然に巡り合うのだと思いました。
やりたいことがあれば、まず元気でいること、身近なことを大切にすること。」
「vocationというフランス語が好きです。英語でも同じvocationまたはcalling。
これからの人生に自分の役目が見つかるとしたら、それは天が(ぼくはキリスト教ではないから「神」とは言わず、「天」なのですが、たぶん同じものだと思います)自分に役目を与えてくれた、そのことをするように呼んでいる、のだと思います。
呼ばれたときにその呼び声に応じられるように、心と体を整えておかなければならない。
・・・いま気がついたのですが、vocalも同じ語源ですね。」
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