月はやはり白く輝くほうが良い。一昨日の晩、ぼくと同じように感じた人は多かったのではないだろうか。だんだん欠けて行くのを見ている間は、確かに興味深かったのだが、皆既月食になった後のあの赤黒い月には、何か禍々しいものを感じた。人は古代から皆既日食には凶事の予兆を読み取っていたようだが、月食にも同じことを感じる。
それでも双眼鏡で見ると、赤い円の縁のあたりは真珠の光沢のようなものがないではなかった。だが、皆既が終わって再び白く輝きだした時、ほっと安堵を覚えた。だんだん大きくなり満月に戻って行く光を眺めながら、安心感と共に嬉しさが込み上げてきた。
やはり月は、ことに秋の月は、白く煌々と輝いていなければならない。440年ぶりだかの見ものは、マスコミが言うような「この天体ショーを見逃しては損」などというものではない。かぐや姫が今でも住んでいそうな澄みきった月が良い。
戻った白い光を見ながら、三木露風作詞・本居長世作曲の名歌曲を思い出した。
白月
照る月の 影みちて
雁がねの さおも見えずよ
わが思う 果も知らずよ
ただ白し 秋の月夜は
吹く風の 音さえて
秋草の 虫がすだくぞ
何やらん 心も泣くぞ
泣きあかせ 秋の月夜は
旋律を載せられないのは残念だ。動画をご覧ください、と言いたいところだが、動画でもあまり良いのは無いように思う。大変難しい曲なのだ。出だしの「照る」の高音で躓いてしまう。抑えて出すことができずに耳障りな大声になるか、感情過多になるかだ。これはむしろ、月を眺めながら口ずさむか、心の中で歌うのが良い。
秋の月の歌というと、滝廉太郎作詞・作曲の「秋の月」という名曲もあるが、詩だけだと平凡で(月並みで)、「白月」の方がずっと味わいが深いように思う。なお、「荒城の月」は冬の月の歌なのでここでは取り上げない。
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