すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「音楽」

2020-09-06 09:37:02 | 
 町は窪地の中にあった。砂丘をまわりこむと突然、無数のナツメヤシと白い家並みが現われた。夕暮れだった。もう街路に遊ぶ子供の姿はなかった。バスを降りたときから音楽は聞こえていた。単調な旋律が複雑なリズムに乗ってとぎれることなく続く。食べ物屋の長椅子で豆のスープを飲み、酵母の入らぬパンをかじった。町の男たちは誰も口を開こうとしなかった。音楽は潮騒のように低く寄せては返し寄せては返した。いやこの町の人たちは潮騒などというものを知っているだろうか。むしろその音は遥から届く啓示のように、かすかにしかし確実に人々の意識に入り込み、生活を律しているようだった。

 疲れ切った体を投げ出してうたたねをした。その眠りの中にも音楽は続いていた。夜更けにホテルの窓を開けた。風が部屋を通り抜けた。昼間の熱気が嘘のように夜の風は涼しい。音楽はまだ続いている。ひび割れた笛と太鼓と喉の奥をふるわせる独特の声が風に乗って近くなり遠くなる。明け方近く、ホテルを抜け出した。明かりのない街路を音の聞こえてくる方へと歩いた。低い半月屋根の窓のひどく少ない家々がナツメヤシの黒い陰の間にうずくまっている。

 町のはずれに着いた。音楽はその先の闇の向こうから聞こえている。目の前の砂丘をのぼった。足元の砂が崩れる。頂に立つと前方にさらに砂丘のうねりが黒く続いて闇に溶け込んでいる。いちめんの星だった。そのまましばらく歩いた。振り向くと窪地の底の明かりのない町はもうどことも知れなかった。
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