すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

見田宗介さんの著作

2017-08-07 21:34:25 | 社会・現代
 今夜はフラット・マンドリンのレッスンの日だったのだが、台風の雨がひどいので、楽器を濡らしたくないので、お休みにしていただいた(お休みにしたらなんだか小降りになったようだ)。
 時間ができたので、昼間アマゾンから届いていた「現代思想2016年1月臨時増刊号、総特集見田宗介=真木悠介 未来の社会学のために」を読み始めた。
 巻頭は、見田さんと加藤典洋氏の「現代社会論/比較社会学を再照射する」という対談で、次いで見田さんの「現代社会はどこに向かうか(2015版)」という論文だ。
(ぼくは見田さんのゼミ生でもないし面識もないので、「さん」付けはおかしいのだろうが、この人のことは心情的に呼び捨てにはし難いので、つけることにする。)
 ぼくは頭があまり緻密ではないので、これまで「現代思想」などというような本は興味を持って買ってもたいてい理解できなくて投げ出してしまっていたのだが、今回はわかりやすく読むことができた。
 前者は見田さんのこれまでの著作に現れた、現代社会を理解し、乗り越えていくための思想を、見田名で書かれたものと真木名で書かれたものの関連性をポイントにまとめたもので、後者は見田宗介著作集Ⅰの巻末に置かれた著作を加筆訂正したものだ。
 前者は対談で、後者は以前に読んだものの加筆なのでわかりやすかったのだろう。
 改めて、「家にあるこの人の著作をみんな読み直してみよう」と思った(読んでないものも含めて、ほとんどある)。
 様々な人が現代社会の危機に警鐘を鳴らしている。そういう本は数限りなく出版されている。これから危機が一層深まるにつれて、それはますます増えるだろう。
 危機を叫ぶことは誰にでもできる。現代に生きるほとんど誰もが、それを身に迫るものとして、何らかの形で感じているからだ。
 だがその危機を乗り越える可能性のパースペクティヴを示すことができているものはほとんどない。
 見田さんの著作にはそれがあると思う。
 この人の著作を読み直し、読み込んでいけば、数限りなく出版されるそのほかの著作はほとんど気にする必要がない、とぼくはここに希望のようなものを改めて感じている。
コメント
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