すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「ヴォルプスヴェーデふたたび」

2019-10-07 09:51:37 | 読書の楽しみ
 ヴォルプスヴェーデという村がどこにあるのか、詳しくは知らない。北ドイツのブレーメン近郊らしい。
 ただ、村の名前は以前から知っていた。19世紀末から第一次大戦にかけての時期、イギリスの「ラファエル前派」などと並ぶドイツのモダン・アート運動「ユーゲント・シュティール」の中心になった村だ。ロシア旅行から帰ってきたばかりの若い詩人ライナー・マリア・リルケが一時滞在し、結婚をしたことでも知られている。
 ドイツ文学科でリルケを勉強しようとしていたかつてのぼくには、その村の名は、彼がパリという大都市で底知れぬ孤独に苛まれる前の、束の間の美しい季節の象徴のように響いていたのだ。堀辰雄の軽井沢や信濃追分のような。

 …先日、武蔵小山の古本屋で、種村季弘の上記の本を見つけた。1980年刊行の、壁紙デザインのような花模様の装丁の美しい箱に入った、しっかりとした本だ。嬉しくなってつい買ってしまった。
 かの村に滞在中のリルケの様子がわかるのではないか、と思ったのだが、それはわずかで、ユーゲント・シュティール運動の全体像、それにかかわった主な芸術家たちの思想や行動や運命、世紀末、第一次大戦、その後のドイツ革命、から第二次大戦後までに渉るドイツの、そして世界の、社会情勢と、その情勢の中で運動の担った役割、などを詳述した美術評論書だった(まだ読みかけだが)。
 美術というのは音楽と同様、いやそれ以上に、ぼくには最も分かりにくい分野だ。美術潮流とその同時代については、ぼくは何一つ、感想さえ書けない。だが、これを読みながら、「ぼくはリルケに、ドイツ文学に、改めて戻っても良いな」と思った。時間さえあれば、ドイツ語文法にも(ぼくは語学を、会話のためではなく、読むために学ぶものだから)。

 …プラハに生まれ、母親に女の子として育てられ、軍学校と商業学校を中退し、ミュンヘン大学に学んだリルケは24歳の時、ルー・ザロメ夫妻に従ってロシアを旅行し、そこに生きる素朴な人々に深く感動を受け、「ここでは人間が大地の上に生きている」「こここそ故郷だ」「いつかは自分もここに住まなければならないだろう」と感じる。そしてそのあと、以前にフィレンツェで知り合っていたハインリッヒ・フォーゲラーを訪ねてヴォルプスヴェーデにやってくる。
 ここで、この本の短い引用をさせてもらう。

 …リルケは、ここで初めて自分が幼年時代の継続を生きていることを感じる。とはつまり、「あまりにもよそよそしい存在の中で道に迷ってしまわなければならなかった時以前に居た場所に、それらよそよそしいものすべてを立ち越えてふたたび結びつく」ことの絶え間ない浄福感である。…

 ここでこれを引用したのは、ぼくに思い当たることがあるからだ。   
 自分の幼年時代の幸福感、小学校6年から始まった東京での「あまりにもよそよそしい」生活の中での喪失感、結果、道に迷ってしまった自分…
 ぼくがこのごろ頻繁に山梨の山に行くのは、無意識のうちに幼年時代の取戻しをしている、という面があるかもしれない(水曜日には、乾徳山に行く)。

 たまたま手にした、自分にはほとんど縁のない美術評論の本の中でも、人は自分を考える手掛かりを得ることができる。
 このごろネットで本を入手することが多いが、たまには古本屋を覗いてみることにしよう。
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