すべての頂の上に安らぎあり

今日はぼくに残された人生の最初の一日。ぼくは、そしてぼくたちは、この困難と混乱の社会の中で、残りの人生をどう生きるか?

「秘密の花園」

2019-03-07 21:04:17 | 読書の楽しみ
 子供の頃、児童文学をたくさん読んでおいてよかった。それは今でも僕の大切な財産だし、それだけでなく、ぼくはかつて危機的な状況にあって、その時子供の頃の読書体験に支えられて生きてきたと思う。
 田舎の、祖父の暮らす離れの座敷には、書棚に少年少女世界文学全集と、同じく日本文学全集があった。祖父がそれを読んだかどうか知らない。祖父は当時すでにほとんど口がきけなかった。「長男は家業を継ぐのだから学問の必要はない」という理由で高等教育を受けさせてもらえなかった祖父は、少年少女~が唯一可能な読み物だったかもしれない。
 ぼくはその本を片っ端から読んだ。「ロビンソンクルーソー」も「トムソーヤ」も「若草物語」も「十五少年」も「宝島」も「巌窟王」も、「源平盛衰記」も「里見八犬伝」も「次郎物語」も…その多くはダイジェスト版だったかもしれないが。
 最近、バーネットの「秘密の花園」を読み直した。岩波少年文庫の新訳が2005年に出ていて、旧版でも読んでいるから、少なくとも3度目だ。改めて、大いに感銘を受けながら、かつ納得しながら読んだ。
 簡単に書くが、同じ著者の「小公子」、「小公女」とは大きく異なる点が二つある。
 前2作はいずれも、主人公が純真で愛らしくて利発で人懐こくて思いやりに満ちていて、だれもが彼らを好きにならずにはいられない存在であり、彼らと接することによって、頑なな心を閉ざした人たちが幸福になってゆく、という話なのに対して、「花園」の主人公メアリは、裕福な家庭ながら親に愛されないで育った、人に命令することしか知らない、不健康で意地悪で癇癪もちでやさしさのかけらもない、可愛げのない子供だということだ。あとで登場する彼女のいとこコリンは、それに輪をかけたような子供だ。
 物語は、この二人が次第に、人の心の分かる、明るくて健康な子供に育ってゆく過程なのだが、そのために契機となる人物が何人かいる。中でも重要なのが、女中のマーサの弟のディコンと、母親のスーザンだ。
 二人とも、素朴で優しくて思いやりに満ちていて、「小公子」のセドリックや「小公女」のセアラのような、誰もが好きにならずにはいられない存在で、メアリとコリンはこの二人とのかかわりを通して変わってゆく。
 …というと、まるで主客を入れ替えただけ、のように思われるかもしれないが、ここで前2作と異なる第二の点が重要だ。それは、自然の持つ働きだ。
 新鮮な空気、季節とともによみがえり、芽を出し、育ち、花を咲かせる植物たち、人間と心を通わせることのできる小動物たち、それらに囲まれ、それらの中で遊んだり働いたりすることを通して、人は少しずつ、体と心の健康を取り戻してゆく。その自然の描写も大変美しい。
 自然は、人が健やかに育つために、健やかに生きていくために、必須なのだ。
 それは現代でも変わらないはずだ。
 だから、ぼくたちの生きているこの社会は、深刻な困難な問題のただなかにある。自然から力をもらえなくなってしまったからだ。
 皆さん、「秘密の花園」読みましょう。岩波少年文庫に入っています。
 今の子供は本を読んでいるかなあ。インターネットをする時間が小学生で平均約2時間、というニュースを先日していたが、本も読んでないし、ましてや自然の中で遊んでいないのだろうなあ。
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