また週末に台風が来るようですね・・・。今年はどうなってしまうのでしょうか?被害がなければいいのですが!
さて今回のネタですが・・・
久しぶりのザ・トップナンバーです。車両は、北海道の気動車キハ24です。
キハ24は、北海道向け1機関搭載の両運転台車で、1967年に10両が日本車輌製造で製造されました。当初は1 ~4、9、10が函館機関区に、5~8が郡山機関区に配置されました。郡山に配属された車両ものちに北海道へ移動し、末期は全車がJR北海道に継承されました。1~4、9、10は函館を一度も離れずに、1992年から1995年にかけて全車廃車されてしまいました。
では私が見たキハ24のトップナンバーです。
キハ24-1+キハ40+キハ40 函館駅 1987.11。21 CANON nF-1 50mm
私にとってキハ24という気動車はあまり縁がある車両ではありませんでした。北海道に住んでいるときに、旅行で行った道東釧路で一度だけ見たことがあっただけです。その次に見たのが、この写真のときとなります。もちろん塗装は2色塗りの標準塗装でなく首都圏色しか見たことがありません。キハ40との車体断面の違いも興味深いものがありますね。いい意味で編成美を感じます。キハ24(キハ45系列)の、この何となくおじさん(笑)のような顔が私は好きなんです。しかしながら・・・早朝の函館駅での撮影で、露出がかせげずピントが甘いのは、私にとっていつもの事ながらお許しください。
このときは、青函連絡船が無くなる前に青函連絡船に乗ろうと渡道しました。翌年の春に青函トンネルの利用が開始され、青函連絡船が幕を閉じるという時代です。まさか、日本に鉄道用の海底トンネルができるとは・・・函館駅にてED79の試運転を見ても信じられませんでした。
さて今回のネタですが・・・
久しぶりのザ・トップナンバーです。車両は、北海道の気動車キハ24です。
キハ24は、北海道向け1機関搭載の両運転台車で、1967年に10両が日本車輌製造で製造されました。当初は1 ~4、9、10が函館機関区に、5~8が郡山機関区に配置されました。郡山に配属された車両ものちに北海道へ移動し、末期は全車がJR北海道に継承されました。1~4、9、10は函館を一度も離れずに、1992年から1995年にかけて全車廃車されてしまいました。
では私が見たキハ24のトップナンバーです。
キハ24-1+キハ40+キハ40 函館駅 1987.11。21 CANON nF-1 50mm
私にとってキハ24という気動車はあまり縁がある車両ではありませんでした。北海道に住んでいるときに、旅行で行った道東釧路で一度だけ見たことがあっただけです。その次に見たのが、この写真のときとなります。もちろん塗装は2色塗りの標準塗装でなく首都圏色しか見たことがありません。キハ40との車体断面の違いも興味深いものがありますね。いい意味で編成美を感じます。キハ24(キハ45系列)の、この何となくおじさん(笑)のような顔が私は好きなんです。しかしながら・・・早朝の函館駅での撮影で、露出がかせげずピントが甘いのは、私にとっていつもの事ながらお許しください。
このときは、青函連絡船が無くなる前に青函連絡船に乗ろうと渡道しました。翌年の春に青函トンネルの利用が開始され、青函連絡船が幕を閉じるという時代です。まさか、日本に鉄道用の海底トンネルができるとは・・・函館駅にてED79の試運転を見ても信じられませんでした。
お写真、貴重なものですね。興味深く拝見させて頂きました。
この車両は写真集で見たことがあるだけで、実際に見たり乗ったりする機会はありませんでした。
高運転台やパノラミックウィンドウがキハ22形よりも進化していることを感じさせてくれ、幅の狭い車体や台車がキハ40形よりも古い車両であることを感じさせます。独特な存在感ですね。
車両数は少なかったようですが、一貫して配置されていた函館では見慣れた車両だったのかもしれません。
風旅記: https://kazetabiki.blog.fc2.com
いつもありがとうございます。
キハ24ですが両数もそんなに多くなかったはずですよね。この車体は独特な形状ですよね!私は結構このデザインが好きだったんですが・・・。結局このときの函館と釧路で見ただけで、もちろん、塗装は首都圏色の一色塗りでした。ツートンの標準色を見てみたかったものです。