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鶴君の機関車観?(館?)

鉄道大好き!機関車大好き!鶴君のブログです。機関車ネタを中心に旅行あり、B級グルメありの雑記帳です。ご覧ください。

ザ・トップナンバー 717系

2020年05月24日 21時27分45秒 | トップナンバー
GWが終わりますと普通に勤務しなければなりません。勤務は基本的にカレンダー通りなので、休日以外はBlogの更新もままなりません。

さて今回のネタですが・・・ここのところ機関車ものが続きましたので、久しぶりに電車の話になります。仙台地区を中心に活躍した717系です。
717系は、国鉄が設計し、1986年に登場した近郊形電車です。2014年までには全廃されてしまいました。交直流用の413系とともに、陳腐化した交流直流両用の451、453、471、473、475、457系急行形電車の電装品・冷房装置・台車などを再用して車体を新造した近郊形電車なのです。

このときは、春の18切符消化のために、仙台まで牛タンでも食べに行ってみるかと出かけたときでした。仙台を離れるときにたまたま乗車したのがこの編成でした。では写真です・・・


クハ716-1 白石 2007.4.7 CANON EOS20D 24-105mm

717系は、抑速ブレーキを搭載しないため仙台を中心としながらも主に常磐線いわき - 岩沼間ならびに東北本線白石 - 利府間の普通列車で運用されていました。東北本線では福島 - 小牛田間での運用実績があります。保安装置については2001年から仙台地区で運用が開始されたATS-Psに対応するため搭載工事を施工しました。しかし、ATS-P搭載は対応しなかったことから、運用はいわき以北に限定されていました。その後、2007年3月のダイヤ改正で415系ならびにE721系が導入され、運用は原ノ町以北に縮小されてしまいました。2007年11月定期運用が終了し、2008年までに全車廃車となっています。

写真のトップナンバー編成は、種車の451系から郡山工場で改造されています。417系に準じた車体ですが、塗装は当初からアイボリーにグリーン帯のグリンーンライナーカラーでした。本当にたまたま乗車し撮影したのがトップナンバー編成だったので、今思うとビックリです。



ザ・トップナンバー ー利府のEF711ー

2020年03月01日 00時31分28秒 | トップナンバー
新型ウイルスの影響で仕事も大変なことになっております。皆様いかがでしょうか?
この騒ぎが早く収まってくれればいいのですが・・・

さて、今回のネタですが・・・タイトルの通りトップナンバーです。最近UPしていた解体の噂が飛び交う利府の保存交流電気機関車の最終回となります。最終回はED78の兄弟機でもあり東北唯一のF型電気機関車EF71です。

EF71は、ED75やED76500などと同一の意匠で、重連運転を前提に正面貫通路を設けたほか、冬期の窓ガラス破損を防ぐため正面窓上部にはツララ切りを備える。全長は18500mmに達し、側面の通風口は片側7組の外観となっています。1968年の奥羽本線米沢 - 山形間交流電化ならびに直流電化区間であった福島 - 米沢間の交流電化切替に伴い、急勾配を有する板谷峠での牽引定数を極力確保する必要から動軸6軸の「F形」として開発された形式です。前回UPしたED78形とは機器の共通化がなされ、KE77形ジャンパ連結器2基を通し両形式相互の重連総括制御が可能となっています。


EF711 利府新幹線総合車両センター 2007.8.25 CANON EOS20D 24-105mm

1968年の製造後、東北本線・磐越西線でED78形とともに試運転や性能試験を実施し、さらに先行して交流電化工事を完成した置賜 - 蔵王間で乗務員の訓練運転をおこなった後に、福島 - 米沢間で本格的な運用を開始し、全機が福島機関区に配置され「津軽」に代表される急行列車や普通列車・貨物列車のほか、1970年から運転を開始した寝台特急「あけぼの」の牽引など広汎に使用されました。当初はED78牽引列車の補機として福島 - 米沢間での運用を主体として、一部列車のみ山形まで牽引することとなっていたが、仙山線の使用電機をED78に統一した1970年以降は機関車運用が変更され旅客列車を中心に本形式の単機ないし重連で福島 - 山形間を直通運転することも多くなりました。編成重量の関係から特に重連運転を必要とした一部の列車を除くと本務機と補機の区別が曖昧なものとなってしまいました。1990年より福島 - 山形間標準軌化による山形新幹線建設工事が始まり、福島 - 米沢間の単線化に伴い定期夜行列車での運用が消滅してしまいました。それ以後も残った普通列車と貨物列車、臨時列車などの運用も、1991年をもって終了してしまいました。一部は東北本線で臨時運用に投入されることもあったようですが、一般区間に適応しない特殊設計であるため他線区への転用が難しく、1993年までに全車が除籍され形式消滅してしまいました。

鉄道雑誌等で見た優等列車を重連で牽引する姿は機関車好きにはたまらないものがありましたが、私が見た現役時代のEF71は、数量の50系客車を牽引し峠に挑む姿です。持て余るパワーを抑えて軽量編成を牽引する姿には寂しいものがありました。

ザ・トップナンバー 利府のED781

2020年02月16日 20時37分46秒 | トップナンバー
暖かくなると寒くなる・・・暖かくなると花粉が飛び出す・・・という訳で、身体の調子も鼻の調子も???な私です!
困ったものですが、年中行事の花粉の季節なので、花粉がおさまるのを待つだけです(笑)

さて、今回のネタですが、ちょっと間が空きましたが利府の保存機関車シリーズです。
今回は仙山線や奥羽本線で活躍したED781です。まずは写真を・・・


ED781 利府新幹線総合車両センター 2007.8.25  CANON EOS20D 24-105mm

ED78は、1968年の奥羽本線米沢 - 山形間交流電化ならびに福島 - 米沢間の交流電化切替に伴い、急勾配を有する板谷峠の通過対策を主として開発された交流電気機関車です。ED94の試験結果を基に1968年から製造されました。急勾配保安対策として空転検出装置を追加し、回生制動時の過速度検知空気ブレーキ・基礎ブレーキの施錠機構・主電動機短絡ブレーキを装備しています。東北線経由時代の「あけぼの」「津軽」はもちろんのこと、臨時運用で「北斗星」の迂回列車も牽引したことがある形式です。

利府にいた保存車の解体が噂される中で、このED781だけは運命が変わっています。2015年6月に茨城県の日立製作所水戸工場に保存展示されることになったのです。当時は何故?と思っていましたが、他のカマが解体される中にあって製造会社で屋根付きで保存される同機の写真を見ると、安堵の気持ちでいっぱいです。機会があれば再会したいと強く思う機関車です。


ED781履歴
1968.5 日立製作所水戸工場にて新製
1968.5 福島機関区
1987.2 廃車
       保管 JR東日本福島機関区
       保管場所移動 利府駅構内
2005.3 保管場所移動 仙台総合車両センター
2015.6 保存場所移動 日立製作所水戸工場

ザ・トップナンバー  利府のED771

2020年01月11日 22時15分55秒 | トップナンバー
暖かいような寒いような日が続きますね・・・。なんか不思議な冬ですね!
Blog更新が遅くなってしまい申し訳ありません。年が明けて1週間で母がまた入院してしまったので、家の中がドタバタでして!まあ検査結果は悪くはなかったので良かったですが、一時はどうなることかと心配させられました。

さて、今回のネタですが・・・
利府のトップナンバー機関車です。今回はタイトルの通りED771です。

ED77は、交流電気機関車の標準形式となったED75の仕様を基に軸重制限のある線区への入線とサイリスタ位相制御の実用化をおこなった機関車です。ED75の許容軸重を下回る東北地方の縦断線での運用が計画され、磐越西線郡山 - 喜多方間電化時に投入されたものです。全車とも福島機関区に配置され、会津若松運転区に常駐し運用されていました。仙山線や田沢湖線への投入が当初検討されていたようですが、前者は運用上奥羽本線との共通運用を行うメリットから回生ブレーキを使用するED78が投入され、後者は電化が貨物列車全廃後のため専属機を配備するメリットがなくなってしまったためです。1987年の国鉄分割民営化の際には、9~15の7両がJR東日本に承継されました。その後、磐越西線の軌道強化によりED75が走行可能となったことで1993年までに運用を終了し全車廃車となりました。


ED771 仙台総合車両センター  2007.8.25 CANON EOS20D 24-105mm

1965年に日立製作所で製造されたED931がED77の試作車です。後にED77901として活躍したことで有名な機関車です。ED77の車体はED75をベースにしたもので、デザインも踏襲されています。しかし、中間に無動力台車を装備するため車体長が延長されたほか、耐寒耐雪構造を強化のため従来屋根上に設置されていた機器を室内に配置しています。また、さらに運転室側窓は下降式にするなど相違点があります。

ED771履歴
1967.5 日立製作所水戸工場にて新製
1967.5 福島機関区
1987.3 廃車
       保管 JR東日本福島機関区
      保管場所移動 利府駅構内
2005.3 保管場所移動 仙台総合車両センター

解体の噂を聞いてから、多少の時間がたちましたが、実際のところどうなっているのかは確認できていません。無事であることを祈るばかりですが・・・。

ザ・トップナンバー 利府のED751

2019年12月28日 22時18分09秒 | トップナンバー
いよいよ年も押し詰まってきましたね・・・。
我が家も年の瀬の準備をし始めましたが、間に合うかどうか?何とかしなければいけないのですが、いつも後手後手で我ながら反省ばかりです。

さて、前回に続きましてトップナンバーシリーズです。
利府に保存されていた交流機のトップナンバー達ですが、解体の噂を聞いたので慌ててUPしております。その第2回目としまして、交流機の標準機関車となったED75です。ではまずは写真です・・・


ED751 仙台総合車両センター  2007.8.25 CANON EOS20D 24-105mm

現在JR旅客会社に残る交流機はED75だけとなっている状態です。この事実からも交流機の標準機関車としての存在を感じます。量産車と比較すると、車体裾の段差がないことが外観上の最大の特徴です。
ED75は、1963年に常磐線が平駅まで交流電化開業するにあたり、それまでのED71の後継車として客車・貨物の運用にあたるため、その汎用性を重視して設計された機関車です。投入開始以来、当初構想の東北・常磐地区のほか、北海道や九州にも投入され、事実上の標準型として1976年までに302両が製造されました。

ED75 1履歴
1963-12 日立製作所水戸工場
1963-12 勝田
1967-9  内郷
1984-2  長町
1987-2  廃車
        保管 JR東日本福島機関区
        保管 利府駅構内
2005-3  保管 仙台総合車両センター

しかしながら・・・
本当に解体なんでしょうか?JRさんなんとかならないでしょうか・・・。こんなに貴重な機関車を!現状がどうなっているのか?本当に心配です。