加越能の地域を社会経済的な地域圏と考えるには、古地図を良く眺めると分かる。この古地図では、山岳部が緑で塗られている。他方、平野部は白地で残されている。これを一体の統合体としたのが、加賀藩政である。JRさんが、北陸新幹線の通過地点として、選んだ停車駅は、加越能の平野部をうまく4分割していることが分かる。問題は、高岡市の中心地の移動を近未来的に促し、新高岡駅を上手く活かせたら、ここに、本来に潜在する伝統的な加越能の地域の中心地として浮かび上がってくる。つまり、先見眼でみると、高岡の古い中心街は、古城を囲む現代型のサービス機能を備える住宅街となり、新幹線高岡駅が、5G化に時代の中心地として浮かび上がる。それと、石川県における新幹線が西へ延長されると、小松空港の役割が高まり、貨客ともども西へのウエイトが高まる。つまり、富山市を中核都市とした理論よりも、都市間の引力が金沢市よりに移動し、均衡点が、高岡市南部、砺波平野への移動が起きてくる。これを50年後の視点でみると、全国的な大企業が、小矢部から高岡南部に着目しているのは、非常に賢明であると思われる。なお、人口の総数の減少は、必然として、中心軸である新幹線、高速自動車路へのアクセスに利便性のよい帯状に集中するから、人為的に金沢に引き寄せられる要素と、他方で、中京圏との近接瀛で再評価される砺波平野への自然的な集中とが複合すると思われる。結果として、呉西地区が加越能の中心地にはなれない地政学的な限界があるといえる。