富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

加越能地域圏の中心地は、高岡の新幹線の駅

2019年07月12日 | Weblog

加越能の地域を社会経済的な地域圏と考えるには、古地図を良く眺めると分かる。この古地図では、山岳部が緑で塗られている。他方、平野部は白地で残されている。これを一体の統合体としたのが、加賀藩政である。JRさんが、北陸新幹線の通過地点として、選んだ停車駅は、加越能の平野部をうまく4分割していることが分かる。問題は、高岡市の中心地の移動を近未来的に促し、新高岡駅を上手く活かせたら、ここに、本来に潜在する伝統的な加越能の地域の中心地として浮かび上がってくる。つまり、先見眼でみると、高岡の古い中心街は、古城を囲む現代型のサービス機能を備える住宅街となり、新幹線高岡駅が、5G化に時代の中心地として浮かび上がる。それと、石川県における新幹線が西へ延長されると、小松空港の役割が高まり、貨客ともども西へのウエイトが高まる。つまり、富山市を中核都市とした理論よりも、都市間の引力が金沢市よりに移動し、均衡点が、高岡市南部、砺波平野への移動が起きてくる。これを50年後の視点でみると、全国的な大企業が、小矢部から高岡南部に着目しているのは、非常に賢明であると思われる。なお、人口の総数の減少は、必然として、中心軸である新幹線、高速自動車路へのアクセスに利便性のよい帯状に集中するから、人為的に金沢に引き寄せられる要素と、他方で、中京圏との近接瀛で再評価される砺波平野への自然的な集中とが複合すると思われる。結果として、呉西地区が加越能の中心地にはなれない地政学的な限界があるといえる。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

富山県富山市に三菱UFJ銀行ATMは見つかりませんでした。

2019年07月12日 | Weblog

このブログの見出しは、僕が考えたものではない。ネット検索で、富山、三菱UFJ銀行、と入力した結果である。富山は、マガバンクでは、みずほ銀行が圧倒的に多く、三井住友がわずかに支店があるだけだ。では、三菱系の製造業が富山には、岩瀬に存在する。これは、富山の歴史のワナである。もともと、安田善次郎の活躍で、富山では、安田銀行が大きな占有率をもっていた。いまや、安田の名前は、保険会社には残されているが、「みずほ」グループに吸収された。ところが、この「みずほ」がお荷物であることは、いうまでもない。グループ統合において、情報処理の技術の分裂を克服するのにまだ手間取っている。100株が、17000円くらいで買える銀行である。ここへきて、三菱UFJ銀行が、中国の国内の商業銀行としての免許をうけ、人民元と日本円との通貨の一体化に貢献することになった。すでに、NYにおいても、三菱UFJ銀行は世界のメイン・バンクである。特に、ドイツ銀行が事実上、破綻し、NY支店を縮小したので、三菱UFJの存在感は増した。ドル―円―人民元の喉元での金融オペレーションをこなす世界で唯一の銀行である。この世界のメガバンクの支店は、金沢にしかない。富山県の地方再生にとり、非常に厳しい金融環境にあることがわかる。もちろん、金沢支店は、富山県の製造業との取引はあり、たしか助野靴下さんが、三菱をメインバンクにしておられるようだ。それと、傘下の三菱化学など。富山では、アルミ、木材の関係で、住銀が大活躍してきたが、住友銀行・住友商事が停滞した。富山では、すでに北陸銀行が衰退期に入り、伝統的な金融機関の実力が低下してきた。育てた製造業が内部留保を高め、銀行だのみから、自社の直接金融に移行し、北銀本店の意志の絶対権が揺らいでいる。富山県としては、三菱UFJ銀行の国内店舗のなかで、不便でも金沢支店との取引を拡大し、特にチャイナ・ビジネスをしている企業は、富山の伝統的な金融のしがらみから脱する必要がある。外為銀行としての東京銀行の技術、中国に強い三和銀行のノウハウ、それは全て三菱UFJ銀行に引き継がれている。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日本には、100万人の行動する福祉と科学する党がいる(1)

2019年07月12日 | Weblog

もう宗教団体が、政党を組織する時代は終わった。創価学会は、いまだに創価大学を行動する福祉と科学する活動家の拠点として成長していない。それは、教授団が4流で、世界の最先端から離れている。宗教的な教条の制約により、行動する福祉学の基礎にある心理学が全く深められていない。さらに、日本の科学が、物性の認識科学として、高度な電子顕微鏡の開発により新素材の創生に進み、炭素繊維においては世界をリードしてきた。これを幸福の科学におきかえても、まともな大学の設立のデザインしかできない低学力構造をみずから打破できない。これまで、政府与党は、国家権力と財政権により、科学者のリーダーにより科学の進化を促してきた。しかし、人間の科学における潜在意識の多様な展開において、治療できる臨床心理の専門かと、個々のクライアントの問題解決にあたる行動する福祉学の世界を「野党系」あるいは「非与党系」の、いわゆる在野の良識に委ねてきた。しかし、富山県は政策科学の実験室のようなもので、自由民主党が、県民の相互互恵の互恵型経済原理を基礎に、行動する福祉党として、日本でも珍しい県民党という枠組みの全会一致が可能としている。問題は、富山の弱点は、科学する党員が相対的に弱体であることだ。そこでは、予算の取り合いのため、見苦しい政治家顔負けの権謀が働き、さらに苦しいのは、情報系の学者の頭脳限界があったことだ。しかし、この面でも、新知識、新技能をもつプログラミング脳のある人材が流入することで、ここに富山にも新しい可能性が生まれている。情報科学は、国家発展戦略、地域振興戦略にともなう公共投資なくして進まない。そこで、参考になるのは、中国共産党と九三学社の関係である。行動する科学者は、科学者の政党をつくり、政権与党の一員として行動してる。日本が悩ましいのは、憲法の平和主義が、科学者の宗教となり、原子力の問題、軍事研究の問題において、科学者が「反政権与党」として行動するために、良識ある学者が、国民国家として国民福祉の原資を生み出す「与党系の、科学する政党」が表明化せず、密談・コネという裏道しか歩いていないことである。しかし、このまま8800万人の中国共産党+九三学社の超強大な中国との関係で、どこまで日本が国民国家として、独自性を保てるのか、特に人口減の厳しい日本にとり厳しい環境にある。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする