私は、兵庫県神戸市の生まれである。公募により、富山大学の東洋史の講師として赴任し、富山県置県100年記念の「富山県史」大正・昭和篇を書いた。ここは、富山人の聖地である。なぜなら、徴兵制という国の制度により、この五福の地で、男子に限るが、「富山人」という概念に当てはまる古代越中国の子孫たちが、唯一の郷土部隊という連隊旗のもとで、他府県にまけないように心身を鍛えた道場があった。そして、そのうち多くの青年は、帰らぬ人となった。ここに全国高等学校野球選手権大会の富山予選のための野球場があることは、あなたが富山人であるかぎり、絶対に思い起こして欲しい。また、この五福の地に、県内の高等教育機関が集められ、富山県民が一体となり富山大学を設けたこと、これが男女の性別を問わない「富山人」精神の象徴である。今や、県議会に自民党と共産党の2名の女性議員がおられるが、歴史家として感慨がふかい。また、教育長には、富大の経済学部の卒業生が就任された。立山カルデラも大事だが、ここ五福が「富山人」の聖地である。県立の「富山商業」「富山工業」の2校も、富山大学の付属高校のように成長してきた。富山県史では、時代と時代を区切るので、僕の書いた大正・昭和篇は、1945年以後の現代史と内容も精神の系譜も繋がらない。僕は、申し訳ないので、自分史として過去と現在とをつないでいる。この碑文に最も近い教室は、富山大学経済学部の講義棟である。富山新聞文化センターのお世話で、富山マネジメント・アカデミーとして、大学に「経営学の現場」「キャリアー・デザイン」という正規授業のお世話をさせて戴いている。お暇があれば、市内電車の大学前の駅にすぐそばにこの碑文がある。ゴミになるから、献花などはしないほうがよい。鏡面のような碑なので、自身の顔を写されては、いかがでしょうか。
韓国が、諸悪の根源である、と仮定しておこう。韓国は、日本にむけ、武力行使はできる。日本は、韓国に対し、領土内では応戦できるが、宣戦布告して戦争できない。古代このかた、日本側が軍事力を行使できない自縛があるのは、21世紀の今だけ、です。非軍事的な手段に頼るから、韓国経済に大きな打撃を与える半導体の製造に必要な物資の禁輸という経済制裁のロジックを使った。さて、問題は、その後である。こうした実利を掛けた対策で対抗するか、それとも、日本が戦線布告して戦争できない、という状態を解消して対抗する方法もある。安倍政権には、その勇気がなく、経済産業省に依存する対抗策を用いたが、これは、自尊行為ではなく、自損行為である。安倍政権は、憲法の問題を自衛隊の認知に力をいれたが、そうではなく、中・韓・露・北朝鮮の軍事脅威を真正面から取り上げるべきだ。経済主義よりも、政治主義による正面突破の覚悟がないので、実は、参議院選挙は、安倍さんにとり、不戦敗ということになる。ーーー今後、選挙後の党内政局が、韓国に有利に働くか、改憲を真正面にすえるのか、石破、岸田、菅、、、、?ということになる。つまり、政治的には、富山に多い石破派にとり、この参院選は、安倍改憲不戦敗という状況のなかでの陣地戦ということになる。それはさておき、富山の経済には、日本から韓国への経済制裁は、そのリバウンドとして、富山のかなり多くの企業にとり、大きな打撃となる。無論、在日の韓国系の資本なので、富山の経済界の表面には出てこない。ただ、製造業の総生産額には落ち込みが想定できる。こうした陰の環日本海経済に関与している潜在的な大陸・半島経済に関わる企業が、富山において雇用・調達の未解明な部分を担っているので、不二越訴訟の問題を含め、富山県庁と在日韓国系の企業との関係は非常に微妙である。あいまいな戦後体制のなかでの先送りが、いよいよ対立の激化として表面化してきた。その場合、富山湾岸社会主義と大陸・半島系の隠れ企業との関係があるとすれば、日韓関係は最大の選挙の争点なのに、年金で死ぬまでヌクヌクと暮らしたいという願望が成り立たない国際環境の認識が、議論から抜け落ちている。福祉は、国防がああっての余裕である。不二越の労働組合は、まだ、富山湾岸社会主義と共存したいのか?