富山マネジメント・アカデミー

富山新聞文化センターで開講、教科書、参考書、講師陣の紹介、講座内容の紹介をいたします。

富山人は、この先人の碑に恥じない生涯を!

2019年07月08日 | Weblog

私は、兵庫県神戸市の生まれである。公募により、富山大学の東洋史の講師として赴任し、富山県置県100年記念の「富山県史」大正・昭和篇を書いた。ここは、富山人の聖地である。なぜなら、徴兵制という国の制度により、この五福の地で、男子に限るが、「富山人」という概念に当てはまる古代越中国の子孫たちが、唯一の郷土部隊という連隊旗のもとで、他府県にまけないように心身を鍛えた道場があった。そして、そのうち多くの青年は、帰らぬ人となった。ここに全国高等学校野球選手権大会の富山予選のための野球場があることは、あなたが富山人であるかぎり、絶対に思い起こして欲しい。また、この五福の地に、県内の高等教育機関が集められ、富山県民が一体となり富山大学を設けたこと、これが男女の性別を問わない「富山人」精神の象徴である。今や、県議会に自民党と共産党の2名の女性議員がおられるが、歴史家として感慨がふかい。また、教育長には、富大の経済学部の卒業生が就任された。立山カルデラも大事だが、ここ五福が「富山人」の聖地である。県立の「富山商業」「富山工業」の2校も、富山大学の付属高校のように成長してきた。富山県史では、時代と時代を区切るので、僕の書いた大正・昭和篇は、1945年以後の現代史と内容も精神の系譜も繋がらない。僕は、申し訳ないので、自分史として過去と現在とをつないでいる。この碑文に最も近い教室は、富山大学経済学部の講義棟である。富山新聞文化センターのお世話で、富山マネジメント・アカデミーとして、大学に「経営学の現場」「キャリアー・デザイン」という正規授業のお世話をさせて戴いている。お暇があれば、市内電車の大学前の駅にすぐそばにこの碑文がある。ゴミになるから、献花などはしないほうがよい。鏡面のような碑なので、自身の顔を写されては、いかがでしょうか。

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