富山マネジメント・アカデミー

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上野さんのフェミニズムの定性論が、逆に女性の活躍域を狭めた

2019年05月02日 | Weblog

上野千鶴子さんの女性学は、現在の4年制の大学の女子学生にとり、極めて有用な啓蒙である。特に、日本の男子学生は、母性社会に育っているので、4年制大学の教員は、基本、ほとんど女性にお任せするべきだ。ところが、上野さんは、女子学生のみに語りかける。違うがな、上野さんは男子の教育に必要な「女性教授」の役割をもっている。問題は、博士号をもつ「大学院後期博士課程」の研究指導者としては、上野千鶴子は人文社会科学における原理的な創造というプロの学問者としては、3流以下である。自己限界を「女性だから差別されている」と理解している限り、彼女は永遠に真実に迫れない。人文社会科学は、人類の哲学史に原籍の番地の登録がいる。例えば、フッサール学派、ハイデッカー学派など。僕の場合は、現象学派の社会構造論の系譜である。「孫文研究」でも、「論語研究」でも、メルロポンティとまではいかない。それは、現象学派でも本流の心理学主義へののめり込みをさけているからだ。人類史を対象領域とするかぎり、国家・市場・郷里共同体の3つの磁場に働く見えない神の手と、個々人の個人の生育史との関係は、女性一般という粗雑な思考を慎む。かといって、全てを個々人の個人史に細分化するのも避けたい。それでは、人類史にはならない。そこで、定量的な考えを導入し、個々の男性・女性の「人生の岐路」の意思決定を定量的に分析し、ほぼ主流をなす風潮を歴史を構成する主体におく。こうした定性の学問から、多様性を認めながら主流を定量的に見極めると、フェミニズムの学問も、極めて奥行きが深い。フランスの場合は、女性の性欲を含む欲望実現という本源領域を最も重視する。上野さんの学問は、冴えない日本社会学の学系の一部に属している。日本の社会学と、日本の心理学と比較すると、フッサール学派から深く学び、かつ西欧普遍に対し、日本人固有の普遍とを対置することに成功している。心理学は独立した学部・学派を樹立してもよい。社会学は、まだ国際的にはOKされるような水準にはない。定性論では、男性・女性の定義は二分法となる。そうではなく、胎児の常態で、性別が定量的に決定されるので、性別意識は後天的な、文化伝統によるものとされる。ここから、複雑・多元の連立方程式の世界に入る。上野さんの学問は、質の悪い東大の駒場、本郷の文学部と同次元なので、今や京都大学の複雑・多元の連立方程式の世界に超えられている。上野さんが、京大に進学していたら、学者としては、より大成したと思われる。


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