東京湾の漁師 東京湾海人の日記

青混ぜ海苔の達人のブログです。

いたたまれない

2007年01月18日 23時30分09秒 | Weblog

北東の風



昔 昔 まだ 私が若かったころ 「HOPES」という 草野球チームを作った。
高校野球上がりの友人 高校生まで 仲間に入れて 楽しい 野球をしていた。

なんで HOPESと名づけたかというと タバコのショートホープを 吸っていたからである。高校を中退して 野球をやりたいと仲間に入った人もいる。

いっぱしに 強かったのである。
初めのころは 弱かったのですが ピッチャーを補強したりして 次第に 草野球の強豪に名を連ねるようになりまして 声がかかるようになりました。

相手がノンプロのピッチャーですと 私なんか 腰がひけるような ボールを投げるのです。
掛布選手の父親のチームと対戦したりしました。

私が 創始者なので 独断と偏見で 「4番ファースト」 で始めました。
つわものが 次々 入会して 次第に 打順が下がり いつしか 「9番ライト」が定位置になり 引退となりました。

しかし その名「HOPES」は 引き継がれ 今も活躍しているのであります。
この 継続は すごいものです。
30年も続く草野球チームって すばらしいです。

本題
その ごく初期に 仲間になった友人(弟の同級生です。)の子供が 事件に巻き込まれて 今日 通夜です。

友人の悲しみは いかばかりか。
こちらまで 涙ただ 涙です。

こんなに大勢の 通夜 
会場に入りきれず 道路にまではみだしてしまうほどの 弔問。

焼香に 数時間の行列
経験したことがありません。悲しみが人の数で 表されているようで なお 悲しい。

安らかにと 合掌。

HOPES同窓会

HOPESは 私の同級生をベースに その弟たち その仲間 その仲間の後輩と 受け継がれ 多くの HOPES経験者が 集まりました。

ほとんど 地元で 生活している人たちで 顔見知りが多いのですが すでに 世代が変わって 
「あなたも HOPESでした?」
って 聞かれたりしました。
隣の 友人が 私を指差して
「この人が 発起人で 始めた オーナーだよ。」
みんな ビックリ。

すでに 私は ほとんど チームのメンバーなど 名も知らなくなりましたが かろうじて 接点のある 人が 
「HOPES同窓会を開かねば ならないでしょう。」

とっても 悲しい日に ちょっと 親睦を深めてしまったようで。


コメント (8)
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