罪が取り去られる時、罪の罰も除かれる。クリスチャンに対して、神の怒りの御手から打撃が加えられることはもはやない。信者は、父なる神によって懲らしめられるかもしれない。しかし審判者である神はクリスチャンに対して、「わたしはあなたを赦した。あなたは無罪放免だ」としか言われない。クリスチャンにとって、罪の罰としてのこの世における死も第二の死も存在しない。
彼は罪から解放されるとともに、罪の罰からも完全に自由にされる。そして、罪の力もまた取り除かれる。罪は私たちの前に立ちふさがり、絶えず戦いを挑んで私たちを動揺させるかもしれない。しかし罪は、イエスと結合されたすべてのたましいにとっては征服された敵である。クリスチャンがもし神により頼むならば、打ち勝つことのできない罪は一つもない。天において白い衣をまとっている人たちは、小羊の血によって打ち勝ったのであり、私たちも同様に勝つことができるのである。どのような肉欲も強すぎることはなく、どれほどつきまとう罪も振り落とせないものはない。私たちはキリストの御力によって打ち勝つことができる。
クリスチャンよ。これを信ぜよ。あなたの罪の判決は終わった。もがくことがあるかもしれないが、罪の死は定まっている。神はその額にすでに罪の宣告を書き記された。キリストは、それを十字架につけられた。「十字架につけてしまったのです」と記されている。行け。そして罪を克服せよ。主があなたを助け、主を賛美するために生きさせてくださるように。なぜなら、罪はそのすべての咎と恥と恐れとともに去ってしまったからである。