座間コミニティー

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ゴンザレスです。

2012年01月25日 16時48分09秒 | 日記

                                 

今日の喫茶ゴンザレスは、盛り上がりました。

今日も寒いので鍋焼きうどんが食べたいです。


レター・泉教会120125

2012年01月25日 11時57分42秒 | 聖書

「なぜ旧約聖書も読むのか」

 プロテスタント教会では、礼拝での聖書朗読は説教個所だけという教会が多いよ
うです。しかし私たちの教会では、旧約聖書も一緒に読みます。それはなぜか。
 第一に、歴史的に教会がそのようにしてきたからです。教会は、聖書朗読の仕方
をユダヤ教のシナゴーグ礼拝から引き継ぎましたが、シナゴーグでは、安息日ごと
に律法、預言書、詩編が読まれていたようです。それで、キリスト教会の礼拝にお
いても、使徒書簡、福音書を加えて、聖書を全体的に読んでいくやり方を踏襲しま
した。
 第二に、その仕方に変遷はあるにしても、それを今日も踏襲するのは、聖書学の
成果と言って良いと思います。旧約聖書に記されているメシア預言はイエス・キリ
ストを指し示していると考えますから、旧約聖書も新約聖書も、一緒に朗読するの
です。
 第三に、礼拝学の成果もあります。カトリック教会、聖公会、ルター派教会のよ
うに、いわゆる「聖書日課」を用いている教会では、毎主日に読む聖書の言葉が決
まっています。「聖書日課」とは、聖書を全体的、体系的に読んでいくプログラム
のことです。数年のサイクルで日曜日の礼拝の中で朗読する聖書個所を決めていま
す。20世紀に入って、いよいよその重要性が認識され、新しい聖書日課が次々と編
集されるようになり、これを採用する教会も多くなりました。旧約聖書、使徒書簡、
福音書というように組み合わせて、毎回の礼拝で読んでいくのです。
 私たちの教会は、今は「講解説教」つまり、連続して聖書を読む仕方を採ってい
ますから、「聖書日課」に従っているわけではありません。しかし、全体的に聖書
を読む伝統を大事にして、関連する旧約聖書の個所も一緒に読んでいるのです。
 エマオの道で主イエスが「聖書全体にわたり・・・説明された」とき、人の「心
は燃えていた」のです(ルカ24:27、32)礼拝においてそういう聖書朗読を
目指したいと思います。


出エジプト記33章4-6節

2012年01月25日 11時41分58秒 | 聖書

33:4 民はこの悪い知らせを聞いて悲しみ痛み、だれひとり、その飾り物を身に着ける者はいなかった。
 悪い知らせをモーセから聞いた民は、大変な悲しみを持ちました。
彼等には、飾り物を身につける人はいなかったと告げています。
つまり、彼等はその悲しみを、このようなあり方で示したのです。
また、それは、主がそのようにしなさいと命じたからでもありました。
飾りを身につけるということは、この世での楽しみとか喜びを持つことです。
ですから、人は色々な物でもって身をきれいに飾り、楽しみを持ちます。
 しかし、主が共にいて下さらないということと、それが自分たちの罪に寄ったということを知るならば、自分たちは喜んではいられないことを知るのです。
反対に示すべきことは、自分たちの今までの誤った歩みの姿勢であり、また、これから、再び同じような過ちを犯さないようにするという、決意であることです。
そのことを示すために、ここで身を飾るという行為を慎むようにせよと言い、また、そのように民はしたのです。
悔い改めの真の心を、このような姿勢で示すように命じられたのです。


◆骨に元気をつける

2012年01月25日 11時33分48秒 | 聖書

自分を知恵のある者と思うな。
主を恐れて、悪から離れよ。
それはあなたのからだを健康にし、
あなたの骨に元気をつける。         (箴言三7―8)

「骨まで愛して」という奇妙な歌がありました。ところが聖書は、「骨に元気をつける」と言います。面白いことばです。
実はユダヤ人にとって、骨イコール心です。英語では心臓イコール心になっていることも、考えてみれば奇妙です。ともかく、心が元気はつらつなら、私たちはあらゆる面で健康な生活ができます。
東京の丸の内近辺で、一番売れるものは何だと思いますか。それは、胃の薬と痛み止めだそうです。サラリーマンはみんな疲れています。労働省の調査によると、サラリーマンの七〇%は常に疲れていると訴え、勤めを休みたいと考えているとのことです。
現代社会では、次から次へとさまざまの出来事が起こります。毎日毎日、失敗を恐れて緊張しています。他人に理解してもらえない悩みもあります。感情の浮き沈みにいちいち影響されます。疲れるのは当たり前です。ある人は、サラリーマンが早朝マラソンするのも、この疲れと不安から逃れるためだと言っています。みな、骨まで疲れているのです。
聖書は言います。「主を恐れよ」と。神を知り、神の権威を認め、神を恐れ、従い、そして何よりも、神が愛であることを心いっぱいに受け止めるその時、骨が元気になるのです。第一に、不安がなくなります。いつも神が守り、導いてくださると分かります。失敗しても、また立ちあがります。苦しいことがあっても、これは神からの教育訓練なのだと分かります。ですから、いつも上を向いて前進できるのです。これこそ、スタミナのある生き方です。

 


◆私は、主の恵みと、主の奇しいみわざをほめ歌おう。

2012年01月25日 11時31分53秒 | 聖書

主が私たちに報いてくださったすべての事について……。(イザヤ六三・七)

あなたにはこのことができないのか。あなたには今までに経験した恵みがないと言うのか。あなたは今ふさぎ込んでいるが、かつてイエスがあなたに会って「わたしのところに来なさい」と言われたあの喜ばしい時を忘れているのか。あなたは、イエスがあなたの足かせを切り、くさりを地面に投げ捨てて「わたしはあなたの縄目を解いて自由を得させるために来たのである」と言われた歓喜の時を思い出すことができないのか。あなたの配偶者の愛が忘れられても、人生の路傍には尊い道標があって、そこにあなたに対する神のあわれみの楽しい記憶が、こけに覆われもせず、なお読むことができるはずではないか。
あなたは、あなたが今かかっているようなひどい病気には、今までかかったことがないと言うのか。イエスがあなたの病気をいやされなかったことがあるか。あなたは今ほど貧乏になったことはないと言うのか。イエスがあなたの欠乏を満たされなかったことがあるか。あなたは今ほどの困難に出会ったことはないと言うのか。イエスがあなたを助けられなかったことがあるだろうか。立ち上がってあなたの経験の川岸に行き、そこで、草を手折ってかごを編め。あなたの幼い信仰は、その中にあって無事に流れるであろう。神があなたのためになさったことを忘れるな。あなたの記憶の本のページをめくって、昔の事を考えよ。
あなたは、ミツァルの山を思い起こすことができないのか。主はへルモンであなたに会われなかったか。あなたは喜びの山々に登ったことはなかったか。たしかに助けられたはずである。それなら、昨日の深い恵みにまで少し後戻りして、たとい今は暗くても過去のともしびをともせ。それがやみのうちに輝くので、あなたは、夜が明け、暗い影が逃げ去るまで、主に頼ることができるだろう。
「主よ。あなたのあわれみと恵みを覚えていてください。それらはとこしえからあったのですから。」

 


●労働協約の限界●

2012年01月25日 11時27分10秒 | 労働法

 労働協約が就業規則よりも強い効力があると言っても、労働協約は労使間の合意の上での契約です。会社の合意が前提で、それに至る交渉を組合として「団体交渉」を求めることができる強みはありますが、合意できるかどうかは交渉次第です。
 しかもこの労働協約には通常期限がありますし、期限が無い場合には、90日前の予告でいつでも解約ができることになっています。
 また、労働協約は、その協約を締結した労働組合の組合員にのみ効力を及ぼします(その例外もあります)。
 労働協約が失効したりした場合には、就業規則の規定によることとなるのです。