座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

出エジプト記30章1-10節

2012年01月10日 14時02分48秒 | 聖書

30:7 「アロンはその上でかおりの高い香をたく。朝ごとにともしびをととのえるときに、煙を立ち上らせなければならない。」  主が新たに作るように命じられた物、それは至聖所と聖所の間の幕の手前に置く、香を焚く台のことでした。それほど大きな物ではありません。アカシヤ材で作られましたが、底を除いて、皆、金で覆われて作られました。この台は、毎朝、大祭司が香を焚くために用いられました。香を焚くというのは、香りを出すことと、その結果として、煙を立ち上らせることです。それを主に捧げよというのです。これは、主が香りを好まれるからというのではありません。そうではなくて、主への感謝を捧げる儀式であるのです。つまり、このような儀式を毎日行うことによって、神様への感謝を表すのです。私たちも今、同じことをします。それは、毎朝、主の前に捧げる感謝の祈りです。その祈りによって、神への感謝と、神への信頼を表しているのです。祈りは、いつでもできます。しかし、ここで言われるように、毎朝祈りをするということが、心が静まる時として最もふさわしいのです。


◆すばらしい性能

2012年01月10日 12時44分28秒 | 聖書

あなたの耳を知恵に傾け、
あなたの心を英知に向けるなら、……(箴言二2)

私の弟が牧している教会に、ある自動車メーカーに勤めている技師の方がいます。弟から聞いた話ですが、その方の自動車の運転の仕方はとても慎重なのだそうです。キーを回す、アクセルを踏む、そんな一つ一つにまで念を入れます。ところが、いっしょに乗ってみてびっくりしたことには、山道のカーブなどでは、もう後ろの車輪など半分すべらせるようにしてぐいぐい曲がっていくのです。まるで乱暴運転のようです。びっくりした弟が、「どうして」と聞きました。
すると、答えはこうでした。「今の自動車はすばらしい性能を持っています。その性能をよーく知って運転すれば、車の実力を出しきって走れるのです。ところが素人は、自分の気ままに運転して車を壊します。しかもいざという時に、その車の実力を生かしきれないのです。」
面白い話だと思いました。神が私たちを見られても同じではないでしょうか。人間はすばらしい性能を持つものとして、神に造られました。ですから、神のために奉仕して生きる時、隣人のために愛に生きる時、驚くほどの力が出るようにできているのです。
しかし、このような人間がその性能を発揮できないのはこんな生き方をするからです。自分中心・自分勝手に生きる時、自己の欲望を満たすためのみに生きる時、他人を蹴落とすために生きる時、同じこの人生が、ちっぽけなつまらない価値しかない人生になってしまいます。
神を知る、つまり神の命令を理解し、神の命令に従って生きること、これこそ人生成功の鍵です。

 


◆義の栄冠が私のために用意されているだけです。

2012年01月10日 12時43分18秒 | 聖書

(Ⅱテモテ四・八)

疑い深い人よ。あなたはしばしば「天国に入れないのではないか」と言う。恐れてはいけない。すべての神の民は天国に入るのである。私はある臨終の病人の一風変わったことばを好む。「私は天の家に帰るのに何の恐れもない。すべてのものを先に送ってしまった。神の指は私の入る戸の掛け金の上に置かれている。そこへ入る準備はすべて終わっている。」これを聞いた人が「しかし、家へ帰るとしても、資産を失うことを恐れないか」と尋ねた。その人は「いや、天には天使ガブリエルでさえかぶることのできない冠が一つある。それは私にしかふさわしくない。また天には使徒パウロでさえ座ることのできない玉座がある。それは私のために設けられているのだから、私のものである」と答えたという。
主にある友よ。なんと喜ばしいことであろうか。あなたの資産は安全である。「神の安息にはいるための約束はまだ残っている」と言っても、「私がその権利を失う恐れはないのか」と尋ねる人がいる。いや、それは定められた資産である。私たちがもし神の子どもであるなら、それを失うことはない。私たちの資産は、私たちがそこにいるのと同じく安全である。
主にある友よ。共にネボ山の頂に登り、カナンの豊かな地を眺めようではないか。陽光に輝く川の向こうに永遠の都の尖塔が見えよう。その美しい国と楽しそうな住民を見よ。あなたがそこに飛んで行くことができたら、その多くの邸宅の一つに、「ここはだれそれの独占すべき家、だれそれはやがてここに来て、永遠に神と共に住む」と書かれているのに気づくだろう。
あわれな、疑い深い人よ。このすばらしい資産を見よ。これはあなたのものである。主イエスを信じ、罪を悔い改め、心を新たにされるなら、あなたは神の民の一人となる。そして場所は用意され、冠は備えられ、たてごとも特別に準備される。それはあなたのために天上に備えられ、まもなくあなたに与えられる。なぜなら、すべての選ばれた者が栄光の座に集められる時、そこには一つの空席も残らないからである。