座間コミニティー

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◆対人関係の成功

2012年01月03日 13時54分24秒 | 聖書

わが子よ。あなたの父の訓戒に聞き従え。
あなたの母の教えを捨ててはならない。(箴言一8)

私たちは、お互いにみな、人間関係には苦労していませんか。最も人間関係が自然でスムースにいくべき家庭でもそうです。しばしば親と子がうまくいかず、憎み出しいがみ合うと、いわゆる骨肉相争うみにくい争いが出てきます。夫と妻との愛憎、嫁と姑とはいうにおよばず、もちろん、職場での上司と部下との関係も大変です。いったい、どうしたらよいかと思っている人も多くいます。
聖書は、対人関係の成功の秘訣を教えています。それは、親子関係を見直し、洗い直すことです。ここで成功すると、その他の人間関係でも成功するようになります。
親はまず、子どもを神からいただいた、いいえ、預かったものと考えます。「世界の何十億という人間から選ばれて、私は、この子どもたちの親となった。私は、神に信頼されてこの子の親となったのだ」と、神から与えられた権威と責任をしっかりにぎらなければ、よい親にはなれません。それに対して子もまた、親に対して、養育の責任と努力に深い尊敬の思いをもって従うことです。
このように親子関係が調整されていくこと、この神によって与えられた摂理的、実存的、神秘的人間のあり方=関係を恐れかしこんでいくことが、人間関係の成功につながっています。実は、職場でもどこでも同じ関係が存在するのです。やはり、「主を恐れることは知識の初め」であるからです。「初め」ということばは、基礎・土台の意味を持っています。神を恐れる生活態度をとることによって、どう生きればよいかが分かってきます。

 


◆わたしはあなたを見守り、あなたを民の契約とし……。

2012年01月03日 13時53分16秒 | 聖書

(イザヤ四九・八)

イエス・キリストご自身が契約のすべてであり、内容であり、すべての信者の所有である。「神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ」られる、とある。
まず「神」ということばとその無限性を考えよ。次に「完全な人」とその美とを考えよ。神であり人であるキリストがかつてもっておられたもの、今後もたれるものは、みなあなたのものである。私たちの主イエスは、神として、全知、遍在、全能であられる。この偉大な、栄光ある属性のすべてがあなたのものであることを知るのは、なんという慰めであろう。キリストに力がある。その力があなたのものなのだ。あなたを支え、力づけ、敵に打ち勝たせ、終わりまであなたを保つのだ。キリストに愛がある。キリストの心にある愛の一滴でも、あなたのものでないものはない。あなたはキリストの愛の大海に飛び込み、「これは私のものだ」と言うことができる。キリストに正義がある。見かけは厳しい属性であるが、これもあなたのものである。なぜなら、キリストはその正義により、恵みの契約における約束を必ず成就してくださるからである。キリストが完全な人としてもたれるもののすべてが、あなたのものである。完全な人であられたキリストの上に、御父の喜びがあった。キリストが神に受け入れられたことこそ、あなたが受け入れられる理由である。完全なキリストの上に注がれた父なる神の愛が、今あなたの上に注がれている。キリストのなされたすべてがあなたのものであるゆえに、キリストがその汚れのない生涯において律法を守り、これを重んじられた完全な義は、あなたのものである。それはあなたに転嫁されるものである。キリストは契約のうちにおられる。
私はあなたのものです。これはなんときよい慰めでしょう。救い主が私のものと知ることはなんという祝福でしょう。天の小羊の中に、私の身に余る幸いがあります。主の御名を聞くときに、心は躍ります。

 


出エジプト記29章22-25節

2012年01月03日 13時50分59秒 | 聖書

29:23 「主の前にある種を入れないパンのかごの丸型のパン一個と、油を入れた輪型のパン一個と、せんべい一個、29:24 これらをみなアロンの手のひらと、その子らの手のひらに載せ、これらを奉献物として主に向かって揺り動かす。」  モーセはアロン達の任職のために羊を屠って、そのある部分を祭壇で献げるよう命じられました。それと同時に、ここでは、丸形のパンと輪形のパン、せんべいを献げることを命じられています。その方法は、モーセがこのパンを手に持って、それをアロンとアロンの子ども達の手に載せて、主に向かって揺り動かすことです。揺り動かすというのは、主に向かって揺り動かすということですので、自分の方から主にお献げしますという行為です。献げられた羊と献げられたパンを、一緒に祭壇で焼いて、それを主に献げよと言われています。これは「火による捧げもの」と言われています。つまり、火でこうしたものを焼くことによって、その焼いた時に出される香りを主に献げることによって、主への感謝を表していくからです。私たちも、肉とパン、即ち生活の一切を献げて主に仕えるのです。