彼は正しい者のために、すぐれた知性をたくわえ、
正しく歩む者の盾となり、…… (箴言二7)
「神が私の盾になってくださる」とは、何というすばらしさでしょうか。私の友人で、胸ポケットに入れていた定期入れの中の家族の写真に敵の弾丸が当たり、危機一髪そこで玉が止まって助かった男がいます。ところが、神が盾になってくださるなら、四方八方完全防備です。
私たちの人生は、実に四方八方から飛んでくる矢・鉄砲玉・ミサイルの集中砲火の中を行くようなものではないでしょうか。
私の家庭は今、ほんとうに平和で楽しい家庭です。みんな健康で、子どもたちも素直に神に従っています。私たち夫婦もまあまあ仲がいいほうです。八十二歳のおばあちゃんまで元気で、野菜づくりばかりか、ご近所のお年寄りたちを慰めたり助けたりしています。しかし私は、こう思うのです。きょうにも子どもの一人が病気になるか、あすおばあちゃんが寝たきりになるか、またいつ私が収入源を失うようなことがあるかは分かりません。罪深い弱い私たちですから、夫婦の仲にひびが入ることも考えられます。そんなことの一つでもあったら、たちまち私の家庭は大きく変わるでしょう。平和も愛もぐらつくでしょう。人間とは弱いものです。ですから、毎朝夫婦で祈る時、毎晩家族と祈る時、ひしひしと感じるのです。今あるのは、けっして私がりっぱだからとか、みんなががんばっているからでもなく、神のあわれみ・恵み・お守りだということを!
神は「正しく歩む者のために盾となってくださる」と書いてあります。この正しいとは、けっして、自分で正しい行いをしているとか、りっぱに自分ががんばっているとかいうことではありません。「正しく歩む」とは、神を知り、神を恐れ、神に信頼し、神にたよって歩むことです(ヤコブ四7810参照)。