トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

*百八つ突いても晴れぬ業の闇  トロル

2016-01-16 | 合混で闘作すれば
   火に油アラブ荒ぶるゲヘナ行き       八百屋お七

   馬鹿さゆえ巨星虚勢の鈍の玉        キム兄

   ジョーカーと思えば糞もたなごころ      和親頓

   常なるは論語知らずの論語読み       国定忠恕

   コーランを引いてもコーラン読みはせぬ   無範魔徒

   唯一と信じ分派の罰当たり           真法滅徒

   寛容にして慈悲深き神tool           出・カルト

   旧皮質SSだったりISだったり         亜縁種多縁

紅梅咲く

2016-01-15 | 感じるままの回り道
 13日、当地の測候所から梅の開花宣言が出た。フイールドの白梅はとうに開花した樹があるし、これに遅れて紅梅も開花している。
 測候所の標準木では平年より7日早く、昨年より12日早いとの事だが小生の心証ではフイールドの開花は1ヵ月程度早いように思えた。とはいってもブログの引越しにより「初見・初聞き」のファイルが失われてしまって確かめようが無い。
 何時も思うのだけれど紅梅だけ見ていると「綺麗」とは思えない花色で「白梅に混じってこその紅梅だなあ…」と思うのは小生の独りよがりか。
 写真の樹だけでなく植栽した梅の樹は整姿剪定しておらず伸びるに任せている。梅畑でもなく花畑でもないのがその理由なのだが、花を目に留める人達は手入れをしない梅の樹と整姿剪定している樹形との差に気がついているのだろうか。
      開花株       花色

食器の制作(スプーン)

2016-01-14 | 何よりの楽しみ
 食器の三点セット、出店できるかどうか判明しないが用意だけは済ませておこうと食器作りを再開した。残っていたのは大匙で、今日は掬いノミで凹部を作りサンダーで局面を形成した。こんな作業は正月でなくても自宅では出来ないから拠点で行う。粉塵まみれになりながら昼休みも取らずようやく成形が終わる。残りは仕上げの磨きだが、これも粉塵が出るから拠点で屋外作業になる。自宅リビング外で行った事があるけれど粉塵がどうしても室内に入り込む。床やテーブル、テレビなど「お掃除してません!」状態になり閉口した。
         加工時        改造掬いノミ

年明けの断水復旧作業(三日目)

2016-01-13 | 水辺環境の保全
 年明けから隣沢からの送水が滞ってしまいてんてこ舞いだった。2日目のポンプ圧送40分は全く効果がなく「くたびれもうけ」で終わり、捲土重来を期し再度のポンプ圧送である。同じ作戦では結果が出ないから1番管と2番管の継ぎ手を外して通水具合を確認したら、やはりここの管が元凶だった。一番管の大半は地滑りで埋まっており管の状態が把握できず、かといって土砂1メートル以上を取り除き露出させる元気はないからポンプの圧力頼みなのである。
          僅かな通水➡   圧送清掃中
 一番管に圧力をかけ注水し濁りが取れたところで接続。今度は吐水口まで圧送し管内の土砂を輩出する。30分送水を続け吐水口からの通水を確認できぬまま見込みで終了した。その後、隣沢へ車を回し吐水を確認する。十分な量を吐き出していてほっとした。池への流入付近は赤茶けた土砂が広がっている。これは2番管以降700メートル超の管内に沈殿していた土砂である。今回の学習「吐水が順調だからと言って3か月も集水桝の浚渫をしないのは馬鹿をみる」だ…。
         ようやく通水      上池への流入口付近

綿毛の種子

2016-01-12 | 感じるままの回り道
 この時期、どこからともなく大きな綿毛の種子が舞う。最初に見たのはこのフイールドに来た当時だからひと昔も前の事になる。種子の大きさや形から「キジョラン」の種子と思って間違いないと思っているが以後見出してはいない。
 育成したキジョランは開花はするけれど結実してくれない。植物体が小さいのだろうと思っているのだが育ってくれないのでは如何ともしがたい。今年も林道で綿毛の種子を入手したのだが二種類あって判断に困った。果実が割れているのはイケマとばかり思っていたがガガイモらしい。細長いのはティカカズラのようだ。
 小生的にはキジョランの種子が欲しいのだけれど自生株すら現認していない現状では如何ともしがたく、現状では育成株を大切に育てねばならぬ。
  イケマと思ったがガガイモ?    ティカカズラだったとは驚き

*温故知新

2016-01-11 | 大震災
 わたつみ浪で歌う結露も凍る夜やなみだ
       櫓の声波をうつて腸氷る夜やなみだ   芭蕉

 死にもせず仮設の果てよ申の年
       しにもせぬ旅寝の果てよ秋の暮     芭蕉

 仮設ゆえ幾つも追われまた初日
       鶯のいくつも捨て初音かな       櫓玄

 古里と忘るる雪の原続く
       降るをさへわするる雪のしづかさよ   素檗

 行春や生者瞑目浪の音
       行春や選者をうらむ歌の主       蕪村

強制送水も効果なし(二日目)

2016-01-10 | 小人閑居して憮然
 年明けから送水が滞ってしまった。取水地の手入れをしたが水は通ってこない。仕方がないからエンジンポンプ等一式を車に積んで出かけた。集水升から取水している二系統の一方、部農会タンクへの送水は取水地点より100m付近で接続が離れ放水状態だったのでペットボトルの上部を切った底部の部分も用意して行った。これは取水升内の取水パイプに被せ流出を抑えるためだ。本来は止水バルブで操作できるのだけれど土砂に埋もれており掘りだす手間が惜しい。
 さて、いつも通りエンジンポンプからの排水を取水管の中に送水する事40分「もう良かろう」と引き上げ吐水口まで確認に行ってガックリした。水は通っていなかったのである。排砂バルブで排砂すれば通水するかと菊ハンドルを携行し山道を通り隣沢のバルブまで行って操作してみた。最初は濁り水を吐き出したが程なく終わりチョロ水になってしまった。
 これで判った事は「この地点より上部でで閉塞している」という事だけで、昼前ではあったが再度車を回し最初からやり直す元気はなく撤退。本当に今年も水難の相ありあり…。
  部農会系統の漏水   第一排砂弁

飾り食器?を作る

2016-01-09 | 今日は真面目に
 桜材でようやく板状の部材が出来た。これを食器の木形で外形をなぞり加工する。電動機材はジスクグラインダーとドリルだけなので、出来ない部分はヤスリやカンナが必要になる。
 ともかくヘラは終了し、製作途中はフォーク、見本だけなのはスプーンだけれど何とか見通しが出来た。2月に行われるイベントに間に合うと良いが…。磨き上げて仕上げに亜麻仁油を擦り込む。良い色合いになった。乾燥すれば多少の硬化作用もあるし油自体が食用品なので、安全面は実用上差し支えない。
           荒取り  ➡   完成品

今年は「ざる年」である(一日目)

2016-01-08 | 小人閑居して憮然
 年明け早々からの大仕事、いいえ水商売が当たってしまった。こんなことなら「年末ジャンボ」一枚でも買っておけば良かったと思うが「後の祭り」である。
 送水復旧の第一ステップは「集水升の泥浚い」と流れ込む流路の整備だ。年末年始で鈍った身体には河床をスコップや鍬で掻き浚うのは少々きつい。沢の河床は大きさ不揃いの砂利層なので扱いにくい。一通り水路を整える頃には息切れしてくる。
 集水升の浚渫は、今までスコップと手のひらで行っていたのだが、今回になってようやく金網笊を携行して使ったが、予想通り作業が早い。難を言えば強度不足で歪むから代用品を探さなければならない。
 谷止め工を施したとは言え、それは素人細工でなくても細かい砂泥の流入を防ぐことは出来ない。砂泥を掬い取るためには金網笊は欠かせない。かくして「ざる年」は幕を開けたのであるが「通水したか?」と言うと「ブーッ!」である。断水すると手ごわいのだ。
             埋もれていた ➡   笊が活躍

今年も水難の相?!

2016-01-07 | 小人閑居して憮然
 初詣を兼ねフイールドの巡回をしてきた。気になる個所は水辺だけなのだが水量が減っている。「まさか」と思いつつ吐水口まで行ってみたら案の定、チョボ水になっていた。一昨年から、ほぼ1年間にわたり悩まされ続けた断水と送水復旧の繰り返しは9月の谷止め工で安定し、10月から年末まで3か月間、順調な送水が維持されていた。年末の水源地見回りでも心配事は無かったのだけれど、年が明け早速送水回復作業を開始せねばならないとは今年も「水難の相」で始まった。
 これでは「林住記」改め「水難記」にせねばならない。まあ、木守りより水守りの方がダイレクトで時間的余裕が与えられないためだからだろうが、教訓「水辺など造るものではない…」と思いつつ「トンボの群れ飛ぶ姿を見たい」「水辺で多くの小動物を眺めたい」等々の煩悩山積の身では平安に至る道は煩悩を滅せない限り訪れない。

梅が開花していた

2016-01-06 | 小父のお隣さん
 暖冬とは言え少々程度が過ぎている。12月にはレンゲやタンポポの開花があって、フイールドでは一本だけだが梅が満開に近い。周辺の梅の木はほころんでもいないので、この木だけ敏感なのだろう。撮影するだけで香りを吸い込んでくるのを忘れた。

「いとっ!」にゆかり

2016-01-06 | 感じるままの回り道
 生姜のスライスに合わせ小指をスライスして3週間、ようやく傷も癒えてきたと感じている。まだ抜糸もできない途中で掛矢で杭打ち作業をやった事が再出血を引き起こして傷を更に傷めるという馬鹿をやってしまったし小指の先端、冷える冬場等々の条件で回復は遅いようにも思っていた。
 今になって傷口を眺めて見ると、縫合する時「つかないかもしれません」と言われたのが理解できる。小指の先端径の3分の2を切り離していたのだ。爪は切断しなかったが傷を中に受けていて、この3週間で伸びペラペラになってきたから切った。
 思い返せば、この小指の大きな切創は2回目なのである。最初は小学生の頃、稲刈り鎌で先端から爪の中ほどまで切り込んだ。指を押さえて自宅まで歩いて帰り、当時は過酸化水素水で消毒し赤チンキを塗った程度の処置だったと思う。医者にもいかず自分で手当てしていたのだ。「小指の思い出」なんて表現しても歌謡曲のような甘くほろ苦い経験などありはしないのだが、それでも怪我をさせた小指を見ていると伊東ゆかりの優しく気怠い歌いっぷりが懐かしく思い出されるのだ。
 それはともかく、切創面から先端はしびれたままで、これは30年前ほどに彫刻刀を貫通させた親指と同じ症状である。親指の半分は改善したとはいえ未だしびれが続いている。甘辛い体験のしびれは歓迎するのだが、わが身には傷のしびれだけしかない。

生姜の砂糖漬け

2016-01-05 | 何よりの楽しみ
 先月13日に生姜砂糖漬けを作ろうと指をスライスしてはや20日、「年の初めの試しとて…」とばかり再度挑戦した。と言えば何とも格好良く聞こえるが、実際は元日の平穏さに負け動いてしまったのが実態である。
 スライスした一部は冷凍庫で、残りは紙袋に包み野菜室に置いたのだがスライスしてみると変色し始めていたが、まあ、小生専用の一品であるから全く問題はなし。砂糖は白砂糖を使わず甜菜糖とキビ糖を使用してみた。黒砂糖で作ってみたかったのだが「焦げやすい」と知ったための妥協である。
 中火から弱火に落としつつ煮詰める事90分、冷えた時の固まり具合が想像できなかったが火を止めた。冷えるまで時々混ぜ返し固着を防ぎつつテレビの番をする。煮詰める途中に味見をしたのだが「筋っぽく硬い」印象で、市販品のような「しっとり感」が全く無かった。
 「失敗!?」の心持のまま翌朝口にしたら「まあ良いか…」の出来栄えで、市販品に比べれば色合いも見た目も雲泥の差であるが人様に提供する物でなく、寒い時期の保温水筒に入れる「即席生姜湯」用なのだから十分である。どころがこの風合い、どこかに似たものがあった。ステック状にすればしっとり感のある「かりんとう」なのだ。「生姜のしっとりかりんとう」、どこかで商品化してくれないものだろうか…。「芋けんぴ」があるのだから出来ないはずはない。
  材料を合わせる ➡  煮詰め ➡  右は市販品

年越しした幼虫

2016-01-04 | 小父のお隣さん
 当地も結氷が見られるようになった。年が改まって3日、水見回りを兼ねフイールドを巡回し、ついでにアサギマダラの幼虫の御機嫌伺に立ち寄ってみた。蔓葉が見える距離になると食べ進んでいる事が分かる程、食痕が広がっている。
 この分では「元気か!」と思った通り、体長も2倍ほどに育っている。南方系の蝶と理解しているので越冬するとは思ってもいないのだけれど、この分だと蛹化まで育ってくれそうにも思えてきた。その一方で「食料となる葉の量は大丈夫か?」と余計な心配事まで出てくる。庭で産卵するジャコウアゲハは必要な食糧が枯渇するほど産卵していくのだから経験則にのっとった心配で、決して杞憂ではないのである。とは言え代替え食を与えられる存在でもないし、小生は何の役にも立たない存在なのは判り切っているのだが……やっぱり気憂である。

トランプの真贋

2016-01-03 | 感じるままの回り道
 年末年始の暇つぶし。録画した映画を見て気が付いた。「この人物は本物かそっくりさんか?」。映画の封切は2002年だからひと昔も前の制作だけれど、登場人物が今話題の人物だったのである。
 これほど騒がれていなければ気にもしない登場人物だったろうに、再々鑑賞になるだろう今回初めて気がついたのだった。その映画は「トウー・ウイークス・ノーティス」というロマンチックコメディでサンドラ・ブロックとヒュー・グラントの共演だ。
 「あれ!」と思った人物は映画開始から1:10:01頃から18秒ほど画面に登場したが、出演者の確認をしなかったので本人かそっくりさんかは不明のままだ。撮影当時に大統領選候補の話題があったかどうか知る由もないけれど「笑いを取る仕掛け」であった事くらいは想像できる。
 映画出演者の真贋を確かめる気は毛頭ないけれど、他国の事とはいえ、本物のあのような言動を見聞きするたびに「候補として高い支持率を得る」そのことが恐ろしい。先進国と言われてもショーマンやシャーマンに牛耳られてゆくようでは、リーダーを選ぶ資質に「欠陥」があるのは明白で市民のエネルギーには「愛死す」に通じ衆愚政治へ直結するものを感じる。
 ゲームとしての「ババ抜き」は面白いけれど、せめて「まつりごと」の中にだけはトランプのような薄っぺらい人材が入らない「馬鹿抜き」の危機回避ルールが欲しいなあ。まあ、初夢で終わる…。