生姜のスライスに合わせ小指をスライスして3週間、ようやく傷も癒えてきたと感じている。まだ抜糸もできない途中で掛矢で杭打ち作業をやった事が再出血を引き起こして傷を更に傷めるという馬鹿をやってしまったし小指の先端、冷える冬場等々の条件で回復は遅いようにも思っていた。
今になって傷口を眺めて見ると、縫合する時「つかないかもしれません」と言われたのが理解できる。小指の先端径の3分の2を切り離していたのだ。爪は切断しなかったが傷を中に受けていて、この3週間で伸びペラペラになってきたから切った。
思い返せば、この小指の大きな切創は2回目なのである。最初は小学生の頃、稲刈り鎌で先端から爪の中ほどまで切り込んだ。指を押さえて自宅まで歩いて帰り、当時は過酸化水素水で消毒し赤チンキを塗った程度の処置だったと思う。医者にもいかず自分で手当てしていたのだ。「小指の思い出」なんて表現しても歌謡曲のような甘くほろ苦い経験などありはしないのだが、それでも怪我をさせた小指を見ていると伊東ゆかりの優しく気怠い歌いっぷりが懐かしく思い出されるのだ。
それはともかく、切創面から先端はしびれたままで、これは30年前ほどに彫刻刀を貫通させた親指と同じ症状である。親指の半分は改善したとはいえ未だしびれが続いている。甘辛い体験のしびれは歓迎するのだが、わが身には傷のしびれだけしかない。
今になって傷口を眺めて見ると、縫合する時「つかないかもしれません」と言われたのが理解できる。小指の先端径の3分の2を切り離していたのだ。爪は切断しなかったが傷を中に受けていて、この3週間で伸びペラペラになってきたから切った。
思い返せば、この小指の大きな切創は2回目なのである。最初は小学生の頃、稲刈り鎌で先端から爪の中ほどまで切り込んだ。指を押さえて自宅まで歩いて帰り、当時は過酸化水素水で消毒し赤チンキを塗った程度の処置だったと思う。医者にもいかず自分で手当てしていたのだ。「小指の思い出」なんて表現しても歌謡曲のような甘くほろ苦い経験などありはしないのだが、それでも怪我をさせた小指を見ていると伊東ゆかりの優しく気怠い歌いっぷりが懐かしく思い出されるのだ。
それはともかく、切創面から先端はしびれたままで、これは30年前ほどに彫刻刀を貫通させた親指と同じ症状である。親指の半分は改善したとはいえ未だしびれが続いている。甘辛い体験のしびれは歓迎するのだが、わが身には傷のしびれだけしかない。