

それでも一部だけでもあるが流入部顕在化で目視部は潰す事は出来たものの漏水ネットワークまでは処置出来ず何時も悔しい思いで終わるのが通例だ。子ども時代、田んぼでの作業は予定されていなくても毎日朝食前に田んぼの水見回りをし朝草を刈って帰宅していたのは祖父、父、長兄と繋がる日課だった。
フイールドは勿論田圃ではないものの「生物生産緑地」とも言えて、結局は水見回りは欠かせず漏水頻発部だけに老衰との動的平衡の中に水商売が成立している。まあ、これはフイールドとかかわっている以上、欠かせない事でもある。
漏水は自然状態では拡大増加するばかり、一方わが身の老衰は自然状態でなくともサプリを使おうが朝鮮ニンジンを飲もうが黒ニンニクを食べようが低下する定めで、双方の交点は何時になるやら…。考えても始まらない事なのだが好転する事態は全く無いのだけは耄碌していても良ーく解った。
総括すれば「千日の労苦、漏水の一穴から」てなもんや三度笠…。