
自らの弱点を拡散させてもしょうもないが、雨続きの蟄居工作では誇りよりも埃、華美よりもカビが優勢になるのは人生の真理でもある。
なりふり構わず玩具を制作せねばならないのに試作で脱線が続き、そのうえ切り口の年輪から着想した「カタツムリ」を完成させてみれば「片瞑り」になってしまった。
「幼児の玩具なのに…」子を持つ母親からは絶大な非難を浴びそうなプルトイのお披露目だ。
なんと言われても隠しようがないものは隠せない。小生的には「面白い」出来栄えと思っている物が世間的には「どうか?」がありそうなことくらいは、いくら認知症が進行してきていると言っても認知している。
年老いても大事な事は、妄想でも身体髪膚を動員し具現化させる事にある。まあ、小生に欠けているのは髪だから、「嘘吐きは泥棒の始まり」と祖父母の教えを堅持する小生、正しくは「身体禿げ膚」となるけれど、言葉も「綾」がある。目くじらは立てず工作にハゲ務、いいえ励むのみだ。
それでも「泥棒様が嘘吐き中」の世間には虫唾が走る。「蓼食う虫も好き好き」ホントにそうなのを実感できる期間だ。木aワ-カー様から一言言えば「環境多様性より生物多様性しか関心が無い現れ」となる。
さてこの造形、造詣が深くないと発想しないと思えるが、そういうことは言わない主義だから本筋の工作に戻すと、年輪を活かしたつもりがそうでもなかった。年輪幅が広い材で、火で焙った時に焼き目凹凸が付きやすかったら「ピッタンコカンカン」になったはずである。
たまたまの放置材を利用したから放射状にひび割れはあったのだが、火で焙ったら更に細かい割れが入ってしまった。そのうえ桜材なので磨いても年輪の凹凸が出にくく、火あぶりは1台だけでやめた。
また脱線すると、郷里では「タイロウ」と呼んでいた。裏の石垣あたりで捕まえてはフライパンで焼いて食べたものだ。まだフランス料理など知らない頃だが、未だにフランス料理は知らないがダイロウ料理は知っている。
台、蝋仕上げのため全て蜜蝋ワックスを布と歯ブラシで擦り込む。材は十分に仕上げの研磨を施したから、自分で言うのも何だが手触りは良い。動きも車輪が大きいので良く走る。少々走り過ぎ感もあるけれど、木製玩具の良さは「手触り」と「質感」にあると思っているので、原色塗装を施したい欲求は我慢である。
心の赴くままに筆を使えば、体色はピンクで殻はは真っ黄色の片瞑りが現れそうで、そこまでやると「危ない人、オタク」になっちまうが、「オタクはお前ダイロウ!」の声が聞こえる…。

