トロルお爺の”Satoyaman”林住記

生物生産緑地にて里山栗栄太が記す尻まくりワールド戯作帳

見栄えや機能はデザインの力

2017-10-19 | 今日は真面目に
 プルトイで蛇行運動するヘビとトカゲを工作中なのだが、胴と頭部が一直線上にあるデザインでは迫力が無い。「鎌首をもたげる」等と表現されるから頭部を立ち上げたデザインで試作してみた。
 通常、試作品は度々仕様やデザイン変更を必要とするのが普通で、煮詰まっていくためには不可欠な不要の要なのだ。

 左の写真手前が試作最初の頭部で直線上にある。奥の物が新たにデザインした頭部で、明らかにこちらの方が臨場感が高い。頭部のデザインだけでなく蛇行させるための振り幅も数通り試作した。図面上で支点・力点・作用点を描けば振り幅の数値は出るものの、実際に動作させないと各部の連携等が機能し納得できる動きになるかかどうかまでは分からないのである。

 どちらにしても試作段階は納得できる動きや構造に落ち着くまでには無駄を承知で作業せねばならず、根を詰める時間も長く連日の作業となると疲労感も覚えてくる。
 それでもイメージ通り、ビジョン通りの実物が完成すると「してやったり!」と入浴でくつろげる。「ああでもない、こうでもない」と思案投げ首中は、夜間目覚めればリピートタイムになってしまう事が多いので、早い完成出来上がりは安眠のためにも大切だ。

 鎌首をもたげたデザインは、ヘビもトカゲも同じにしたのだが、喉の曲線を僅かに変えた事で種の違いが見えると思うのは小生だけだろうか…。まあ、爺我自賛でも良し、の世界である。
 うんちくや講釈では具現化出来ないのは「森づくり」や「里山保全」にも共通するところがあって、ビジョンやエメージも、それを具体的な活動に置き換え活動努力していく中から姿や形が現れてくる。
 刈り払い、枝打ち、間引き、水路や溜池の補修等々、繰り返し繰り返し行わざるを得ない行為の中にこそ本質がある。試作品の度重なる作り直しや仕上げの磨き作業などは、こちらは完成形があるから完結するだけの相違である。まあ、不易はあっても流行は無しの行為に違いない。
 どちらにしろ「もって益無し」懐は寒くなる一方、そんなところか…。

         新旧の頭部デザイン     ヘビとトカゲの頭部デザイン