真竹を全伐した区域、この時期になるとシュートが伸びる。早く言わずとも「タケノコの成れの果て」なのだが、太さは親指程度までだ。
秋までに数回の刈り払いとシュートだけ刈る場合とがあって、それでも竹・ササ類の駆逐にはつながらない。「いたちごっこ」と思うけれど、これを止めれば「元の竹藪」必死だから止める訳にもいかない。
まあ、里山保全活動なんて「自転車操業」なのだと身に染みる日々が続く。昔から「貧乏暇なし」とも言われるし、その限りにおいては「外れて無い」のである。この歳になって「道を外れる」勇気もないし…。
朝、水辺を巡回すると足元からトンボが飛び立つ。羽化したばかりのトンボは翅の煌めきですぐに察しがつく。
トンボの方も高く舞い上がる訳でもなく、水平に飛んで至近に止まるのが常である。この煌めき、一見濡れているように見えるが濡れている訳でもなさそうだ。
捕獲して触れてみるなどの馬鹿気た事はしないから推測の域をでないが、翅を伸張させる過程で濡れる理由も思いつかない。
この煌めきに出会うたびに「命の輝き」を連想する。縦横に飛翔しているトンボの「生命の躍動感」とは別物だ。