まだ日差しの暑いさなかに、助手席からハンドマイクで夏祭りの周知をしに車が廻ってきた。思えば昨年度に役員をやったとき実施の可否で年度末の総会まで揉めた事を思い出した。
きっかけは「夏祭り不要論」が役員会に突きつけられたのが発端となったのだが、要は「町内会費から40万円も支出するのは相応しくない。夏祭りなど無くても差し支えない」という見解からだ。
何年も前になるが子供会は「10万円の助成金を出しても町内会に還元してくるものが無く、無駄だ」と助成を廃止され、子ども会は消滅し、老人会も同様の理由で消滅している。
意見や見解の多様性を否定するものではないが、持ち回りの役員になって経過を知り愕然としたことではある。いかなる否定の意見や見解があろうとも実施すればそれなりの賑わいがあり、楽しみにしている老若男女は現実に存在しているのだ。
価値観の違い、といえばそれまでだが不要論、否定論を展開する人たちは自動・定期集金される諸々の会費や負担金には疑問を呈さない。町内会年間支出の三分の一を占めるというのにだ。ここにも社会的弱者よりお上・算盤が大事の意識を感じてしまう。
昨年の今年だから、ちょっと覗いた見たが「続けるべきだ」と思いつつ帰宅した。東の空には木星が輝いている。昼の蒸し暑さも消えた心地よい宵の一時だった。