東京新聞寄居専売所

読んで納得!価格で満足!
家計の負担を減らしましょう!
1ヶ月月極2950円です!
アルバイト大募集中です!

今日の筆洗

2017年04月18日 | Weblog

 米デトロイト美術館といえばゴッホの「自画像」やマチスの「窓」など約六万点を所蔵する米国でも屈指の美術館である。最近、日本で行われたデトロイト美術館展をご覧になった方もいるだろう▼大きな危機を乗り越えたことでも知られる。二〇一三年、デトロイト市の財政破綻を受けて、所蔵品の売却が検討された。「ゴッホよりも年金」というのである▼生活か宝か。両方を守る方法を見つけた。大規模な募金によって、年金受給者の救済と美術館の運営に充てる。これに市民や大企業が動き、一年ほどで十億ドル近く集め、所蔵品を守り抜いたという▼あの大臣ならばどうしたであろう。博物館などの学芸員は観光立国にとってのがんであり、一掃しなければならぬと語った山本地方創生相である。批判され、撤回したが、学芸員が芸術品の保管や保護を優先するあまり、観光サービスに熱心でないと、言いたかったらしい▼確かに観光も大切な産業である。とはいえ、観光客の誘致に目がくらみ、文化財をぞんざいに扱えば、元も子もなくなることにはお気づきではない。一度失えば、二度と戻らぬ資源である。模索すべきは保護と観光のほどよき調和であって、学芸員の一掃ではない▼それにしても失言の絶えぬ政権である。「失言、撤回、辞任はせず」博物館でもこしらえる気なのかもしれないが、観光客は集まらぬ。


今日の筆洗

2017年04月17日 | Weblog

「-海よ、僕らの使ふ文字では、お前の中に母がゐる。そして母よ、仏蘭西人の言葉では、あなたの中に海がある。」。三好達治の「郷愁」は『測量船』に収められている▼なるほど、漢字の「海」の中には「母」の字がある。フランス語で海は「mer」。母は「mere」。だから「あなたの中に海がある」となる。すべての生命の源である海と、われわれを産み、育む母。漢字とフランス語の不思議な共通点が興味深い▼その国では人を傷つけ、恐怖を植えつける道具の名の中に「母」という言葉を使っているのか。トランプ米大統領がアフガニスタンでの「イスラム国」(IS)掃討作戦で初めて実戦使用した、大規模爆風爆弾(MOAB)。愛称は同じ頭文字から「マザー・オブ・オール・ボムズ」(すべての爆弾の母)である▼核兵器を除き、最大級の破壊力を有する爆弾である。その爆発エネルギーはマグニチュード6クラスの地震に匹敵するという指摘もある。ブッシュ、オバマ両政権は使用を控えてきたが、「力による平和」に取りつかれたトランプ大統領にためらいはなかったか▼「最強爆弾」の投下には対立を強める北朝鮮、シリアへの警告やけん制の意味もあろうが、最近の米国の力任せのやり方が恐ろしくもある▼爆弾は悲しみの「母」には間違いなくなれる。しかし、本当の平和の「母」にはなれまい。


今日の筆洗

2017年04月16日 | Weblog

 その数字が苦い。熊本地震から一年となった。数字とは犠牲者の中身である▼建物の倒壊など地震の直接的な被害による死者は五十人。これに対し震災後の避難生活などで体調を崩した結果、亡くなった震災関連死は百七十人。それは救うことができた命ではなかったか▼地震後、マイカーでの窮屈な車中泊によってエコノミークラス症候群にかかって、体調を崩した被災者が相次いだ。避難所になっていた体育館が倒れぬかという恐怖心。それが車中泊の主な理由と聞くが、プライバシー上の問題もあった▼現代人の日常はプライバシーが守られることが大前提になっている。非常時とはいえ、それが失われ、体育館での雑魚寝を突然、強いられれば、心身への負担は大きい。それに耐えられず、車中泊を選ばざるを得なかった方もいただろう▼登山家の野口健さんは震災直後、車中泊の被災者のために熊本県益城町にテント村を開いた。日本初の試みである。用意したテントは百五十九張り。約六百人が入居した。体を十分に伸ばせる。倒壊の恐怖を感じないで済む上、家族だけのプライバシー空間も保たれる。テント村の明るい雰囲気が「心の沈みがちな被災者を前向きにする」(野口さん)という効果もあるだろう▼直後の「雑魚寝」を少しでも見直したい。そこにいるのは、がまんや無理をさせてはならない人たちである。


今日の筆洗

2017年04月15日 | Weblog

 <父の目をかりたら/どんなけしきに見えるだろう/母の目をかりてドラマを見たら/すぐになみだをだすだろう…>▼これは、先月出版された詩集『ことばのしっぽ』(中央公論新社)に収められた小学校五年生の女の子の作品「みんなの目」だ。詩は、こう続く。<…兄の目をかりて/野球のしあいを見たら/とてもたのしくなるだろう/妹の目をかりたら/どこでもすぐにねられるだろう>▼今、この人の目をかりてみたら、どんなけしきが見えるだろうか。千葉県松戸市の小学校に通っていた九つの娘を殺されたレェ・アイン・ハオさんだ▼仕事でベトナムから日本に来ていたハオさんは、まな娘をニャット・リンと名付けた。ベトナム語でニャットは日本、リンは輝きという意味だという▼しかし、「日本で輝かしい生活を」というハオさんの思いは突然、断ち切られた。きのう死体遺棄の疑いで逮捕されたのは、子どもたちの安全を見守る目を持つはずの保護者会長だというから、あまりにもやりきれぬ事件の展開だ▼父母の目、きょうだいの目、友だちの目、あるいは、ほかの国の人々の目…。人が成長するということは、「自分の目」だけでなく、「みんなの目」で世界を見ようとすることを、覚えていくことかもしれぬ。リンさんの命を奪ったのは、そういう大切な「みんなの目」をなくしてしまった人間だろう。