なぜ、公認会計士という仕事は生まれたのか。歴史学と会計学を研究するジェイコブ・ソール氏の『帳簿の世界史』によると、公認会計士を生んだのは鉄道だという▼世界初の蒸気機関車が試験走行に成功したのは、一八〇四年。それから四十年もたたぬうちに英国の鉄道の総延長は九千七百キロになった。米国では一八七〇年までの三十年間に総延長が一万一千キロから八万二千キロになった▼当然、莫大(ばくだい)な資金が注ぎ込まれたが、鉄道会社では粉飾決算がまかり通っていた。それでは安心して投資できぬし、鉄道の経営が破綻すれば、経済や国政にも大混乱をもたらしかねぬ-との危機感から、公的に認められた会計士の集団が生まれたという▼そんな草創期からの伝統を持つのが、世界四大会計事務所の一つプライスウォーターハウスクーパース(PwC)。そのPwCが「まだ解明すべき疑惑がある」と指摘しているのに、決算の発表に踏み切ったのだから、東芝の闇は深い▼原発事業がとてつもないリスクをはらんでいることに目をつぶってのめり込み、ついには会社そのものが炉心溶融を起こしたかのようだ▼鉄道建設をめぐる不正が横行していたころ、作家のマーク・トウェインは、こう書いたという。「鉄道は嘘(うそ)に似ている。建設し続けないと維持できない」。鉄道を原発に置き換えれば、今でも通じる警句ではないか。
英語のレッドヘリングとはもともと「ニシンの薫製」のことだが、推理小説の専門用語としても使われる。なんのことか推理、願いたい▼真犯人は誰か。作家としては読者にあっさり見破られるわけにはいかない。そこで真犯人とは別の怪しい人物を登場させ、読者の目をそらす。この手法がレッドヘリングである。ニシンの薫製は臭いがきつく、猟犬の鼻をごまかすことに由来するそうだ▼犯人に思える人物は犯人ではなく、犯人とは思えぬ人物が犯人。ミステリーの女王アガサ・クリスティの作品にはこの手のレッドヘリングがよく使われる▼被疑者とは思えぬ人物といえば、被害者の血を分け、生活をともにする親族や、配偶者をまず除外したいところだが、現実は残念ながらそうではない。殺人事件の半数が被疑者と被害者の関係が親族である。もはや親、子は「犯人とは思えぬ人物」とは言い切れぬ時代かもしれぬ▼警察庁のまとめによると二〇一四年に全国の警察が摘発した親族間の殺人事件や傷害致死事件などのうち、「父母」が被害者となったのは約三割。子が介護に疲れてというケースを想像する▼「将来を悲観」。最も多い動機という。特別養護老人ホームへの入居の困難さなど介護をめぐる状況は厳しい。悲劇の背景の一つでもあろう。鼻をごまかされず、社会の不備という「真犯人」を捕まえなければならぬ。