とどこの徒然

はじめまして

初登山(動山)ゆるぎやま(603m)

2007年01月22日 17時15分08秒 | 日記
1月21日(日)大寒と云うのに雪がない。二日続きの温かい日和に我が家の青年じじ様の虫がムズムズ。私はもう付き合い登山は出来ない。春を待ち切れず動山へ初登山。登山口は12~3台の車でぎっしりだったとか…11時登山開始。途中8人のグループの下山と出会ったと云う。春を待てない山の虫は我が家だけではないようだ。



家を出てから2時間。じじ様の1人登山が気になり携帯電話を掛けた。「おぉーもう100m程で頂上やー」と元気な応答に安心する。それ以来連絡なし。遭難するとも思えないが頂上へ着いたと云う知らせがない。一時半2度目の電話を入れた。

「アレッ電話したやろ、せんだかなぁー?」笑ってる。電話先が違ったらしい。 
どうでもイイや。元気ならばそれでいい。お風呂を沸かして待つ。


わら細工

2007年01月20日 21時11分01秒 | 日記
今日は五月会(3町老人会)の新年会が正午より本町会館で有り私は出席した。
青年じじ様は勿論不参加。そして大杉動山ふもとの清水をポリタンクに汲みに行った。ポカポカ春を思わせる天気に動山登山者の車が5~6台有ったと羨ましげに話す。晩酌を早めに切り上げ、茶の間で3年振り?の藁細工を始める。



藁で小さなコモを編んでいる。コモを編む機械もじじ様の手作り。黙って編むじじ様の顔は楽しそうだ。子供の頃習った藁仕事。「いつも兄貴より上手いと褒められた」と得意気。



慣れた手つきでコモを編み、円形に縛る。底の部分に紐を掛けるのが(本物は縄だが)難しそうだ。見るからに根気のいる仕事を完成させ喜んでいるのです。


サンピアの温泉

2007年01月18日 23時16分13秒 | 日記
夕食を済ませサンピアのお風呂へ行った。厚生年金会館のサンピアも2月で身売り。
入浴チケットの残りを使い切るため私は最近チョクチョク通っている。
自称とど。他人には見られたくない豊満?な肉体。だれも居ない脱衣場の姿見に前後左右映して見た。自分にも見せられない醜い裸婦だった。あぁー反省。
反省しながら身体を洗う。騒がしく子供連れの家族が入ってきた。子供がバーちゃんと呼んでいた。見ると毎朝我が家の前をテクテクと早足で通り過ぎる小柄なクリーニング屋の女房だった。365日続けているジョキングの彼女だが胴体ははちきれんばかり。
夕食後のパンパンに膨れたお腹が光っている。比べて負けた分こちらは弛んでいた。安心では無い。
次に現れたお客は私の行き付けのブティックのTuさんらしい。仕事柄ヤッパリ細身だ。見られたくない。思わずお腹を力一杯凹ませ続け苦しむトド!幸いな事に近眼の彼女はメガネを外している。見つかりませんようにと願いつゝお腹を隠して退散した。
明日から絶対スポーツジムへ行くぞ!と気合を入れる。



今日は阪神大震災の日

2007年01月17日 23時26分52秒 | 日記
1月17日 阪神大震災のあの日私は市民病院6階で大揺れを感じ怖かったのを思い出す。
まだ薄暗い夜明け前、病院6階の個室で1人ベッドに座り込み心細さに途方にくれていた。
あれは12年前、検診で甲状腺癌を宣告された。ピンポン玉大の癌が甲状腺と肺の裏にも転移し開胸手術を受け2ヶ月間の入院生活をした。あれから12年その日が来る度に思い出す。
丁度10年目の一昨年の再発だった。再手術、アイソトープ治療、10ヶ月間隔で再アイソトープ治療、そしてエタノール注入療法を2回繰り返し2年掛かりの治療を受けている。阪神大震災のその日が来る度にあれから何年目と感慨深いものがあるのです。




平凡が好き

2007年01月16日 07時19分10秒 | 日記
昨年暮れから不具合だったインターネット、土曜日からギブアップ。
TVK配線検査は異常ナシ。
パソコン屋に往診依頼。結局有線でつながらず無線カードの設定などで10000円の出費だった。そんな訳でパソコンも開かず早寝早起き健康的だ。

このところみぞれ交じりの寒さでは山の虫も騒がず、我が家は穏やか。
わたしの家事も脅かされることなく予定のミシン掛けや小物の刺繍、クローゼットの整理などマイペースを楽しんでいる。こんな平凡な暮らしを私は望む。
夕べ主人がベットでつぶやいている。「今年一度だけスキーがしたい」と… 
気の毒だが聞こえない振りをしていた。
雪よ降らないでおくれ。山の虫がカンジキ揃えて待っている。女虫も騒ぐだろう。
それが怖い。わたしにはもう体力がない。