とどこの徒然

はじめまして

次男のメールに泣きました

2008年01月31日 22時37分04秒 | 日記
2008/01/31 22:37:04
悶々と苦しむ父親を励ますメールが昨日次男から届きました。以下次男からのメールです。
とうちゃんへ 脳梗塞大変ですね。 心配しております。 バーちゃんのブログを見ましたが 死にたいなんて思わないでください。 直ぐに墓に入らないで出来るだけ長く生きて私の話を聞いてください。 大きくなっても今でも父ちゃんに褒められたい気持ちがあります。 今週の日曜日新宿ハーフマラソン(21.1キロメートル)に参加し完走しました。
2時間10分でした。 10キロの減量に成功した今年は水泳でがんばりたいと思っています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・全部父ちゃんに生きて話を聞いてもらい褒めて欲しいことばかりです。とうちゃんに褒めて欲しくて頑張ってきました。 うまくしゃべれなくても聞いて欲しいことがたくさんあります。 なので出来るだけ長く生きることに集中してください。 リハビリも回復したい気持ちが大切と聞きます。 つまらない運動もあるかとおもいますがまじめにリハビリをこなしてください。 2月1日の夜に到着し2日にお見舞いに行きます。 次男 。
丁度昼食時に届いた携帯メールに食べながら泣きながら読んだメールは嬉し涙でグチャグチャでした。
今日午後三階の個室に引越しでした。今日は7階担当の言語療法士からリハビリを受けていました。女房の名前を大声で呼ばされている亭主の頑張る声を扉越しに聞きやる気充分です。「励ましのメール効果」てき面です。







元気で頑張ります

2008年01月30日 06時44分04秒 | 日記
1月30日(水)昨日は午前中腸のエコーと頭のRIで朝食抜き。急いで出掛けた給食係りは空振りで帰り、昼食までの時間で煮物を作った。肉じゃがならぬニシンじゃが、大根寿しの余りのニシンの応用です。

次はゴボウを笹がき、人参、白菜、いもの子など野菜室に残っていた材料で具沢山のけんちん汁は豚バラとベーコンハム入り。自分の為だけの料理は初めてだと思いながら作っていた。作りたての熱々で早めしを済ませて、又主人の給食掛かりに急ぐのです。

主人の給食は、まだ細切れトロミつきです。朝食抜きの主人は食欲旺盛。5キロも痩せてしまった体重を取り戻したくて頑張っています。元気に食べた主人にひと安心。私は初めて疲れを感じた。横になりたくて帰り、ポストの絵手紙発見。

いつもブログを読んでくれている大阪の従妹からのお見舞いだったのです。嬉しくて横になるのを忘れ元気が出ました。ブログでお礼です。今朝も早起き頑張ります!



あの夜の救急車

2008年01月27日 11時08分33秒 | 日記
1月27日(日)あの日から丁度2週間が過ぎた。主人の病名。『脳梗塞』主人はたった一人の姉にも親戚にも誰にも知らすなとの事だった。予想もしなかった哀れな姿をさらしたくない一心。だが救急車の事態では町内は勿論、風のうわさは防ぎようが無い。心ある人たちはお見舞いの面会を避けてくれているのが唯一の救いなのです。感謝してます。

忘れもしない【1月13日】 あの夜の出来事でした。「昨夜は飲み過ぎたから今日は少しだけにしょう」と晩酌を切り上げ夕食も済ませ、着替えて7時半、早々と寝室へ行ってしまった主人でした。
早いお休みにシメシメ。私はテレビ独占で篤姫をじっくり見る事が出来たのです。

篤姫も終わり、さて私も寝ようと着替えて廊下へ出たら主人の大きな声が聞こえるのです。電話にしては大声過ぎる。寝室の戸を開けたら掛け布団を背にもたれ目を閉じたまゝベッドでわめいているのです。とっさに悪夢にうなされているんだと思い声を掛けるが目を覚まさずわめき続ける様子にただ事で無いと気が付き心臓ドキドキ。

救急車を呼ぶ前に長男に来て欲しかった。内線で呼ぶが応答ナシ。受話機を持って右往左往しながら119番へ電話した。「はいこちら消防署です」との声にガクッ!「救急車と違うんですか?」と上ずった声で聞き返した。「そうです、どうしました?」「主人がおかしいんです」聞かれるまま状態、住所、氏名、年齢を伝えて救急車を待つ間もウロウロ。パジャマをやっと着替えた。

そしてアラレ降る中、今度は息子の家へ走りチャイムを鳴らすがヤッパリ留守!この非常時に頼れない息子夫婦に憤慨しながら引き返すのと同時に救急車到着!野次馬も到着!
お向かいの奥さんに「息子さんの携帯番号解らんがか?」と聞かれるが頭パニック。番号どころか息子の名前が浮かばない始末。やっと携帯がつながり「近くのコンビに居る」との息子の声に安心する。

あられ降る中、主人は三人の救急隊員に運ばれ担架に載せられ救急車に乗る。近所の方が二人傘を差しかけてくれていた。私も一緒に乗る。救急隊員から「右半身麻痺ですね」と告げられる。そして目と鼻先の市民病院は脳外科の医師不在で駄目。

仲々出発しない救急車に又々不安が募る。救急隊員に松任か金沢まで行くので保険証を持ってくるように云われ、救急車に乗ったり降りたり。震える手で鍵を開けたり閉めたり。近所の人が掛けてくれた。

そして今の病院に到着。当直のお医者は循環器系で心細く思ったが、受け入れてくれた以上は信じるしかなかった。CTを撮り、点滴注射が始まる。やっと病室へ落ち着いたのは12時半を過ぎていた。後は祈る気持ちのみ。

あくる日高1の孫が気の毒そうに内線で話す。「バーちゃん昨日ゴメン。僕パパとスキーに行って疲れて二階で寝てしもて気が付かんかった」と。ママは友達と食事会。間の悪い日の出来事でした。


1月25日(金)昨日は朝食も昼食も要らないと云い、顔をしかめて辛がっている。入院以来の便秘の腹痛らしいが下剤も座薬も効き目なし。そして心臓も苦しいらしい。「死にたい」の連発。「こんな身体で生きる甲斐がない」と云って私を悲しませる。

主治医の回診後にリハビリの医師から「うつ状態」でリハビリのスタッフにも「死にたい」を云うので抗うつ薬を出しますとの事でした。午後は腸の検査も受け精神的に楽になったのか夕食にはスプーンを使って食べるのを見届け病院を出た。

バリバリに凍った夜道が怖かった。今朝は「採血もイヤな検査も皆済んだ」とご機嫌。午後リハビリ士に誘われると急に辛そうに断っている。入院2週間足らず。まだまだ良くなる筈が無いのに気ばかり焦る主人が哀れ。


1月26日(土)今日は筋向いのご主人のお葬式に参り病院行きが午後になった。「何で遅いんや」と不機嫌。今朝は38.8度の原因不明の熱。朝昼とも食事取らず。午後の検温は38.3度。大切な左手首の間接が痛くて食事が出来ないと云う主人に夕食を食べさせる。明日も食べさせに来てくれと頼まれた。(>_<)


27日(日)7時半の病院の朝食。バリバリ凍った雪道を急ぐ。少し熱も下がっていたが、両手首で支えられない体は起き上がれない。ヤットヤットで座らせ食事を食べさせる。食事後の排便時、看護師さんの手助けも出来「今日は大仕事が出来たな」と主人に初めて褒められたのでした。

そんなこんなでブログ中止でした。ご心配下さった方々、有難うございます。

夕ご飯は春休みで昨夜帰って来た孫娘に早速バトンタッチ!快く引き受けてくれて嬉しい。今夜は息抜きです(*^_^*)

ホッと一息、気になる温泉

2008年01月11日 08時59分52秒 | 日記
気がかりだった初釜の「着付け、お手前」も終わりホッ!8日は神様のお払い。10日は今年2度目の新年会でした。
14日は左義長。20日も新年会と続くのです。我が家のカレンダーに書き込んだ年寄り組の行事の○印が一つづ消えていくにつれ、思い出すのが次男との温泉。
吹雪の中を里帰りし、吹雪の中を帰って行った次男家族が頭に浮かぶ。
折角来てくれたのにあの温泉の一夜が気になるのです。大部屋で親子孫の雑魚寝。一番心配したイビキ掻きは誰も居なくて問題無しでした。だが断続的に轟音を発する縁側の冷蔵庫に悩まされ、明け方スイッチを切って眠った事。洗面所の戸が開けたら閉まらない鴨居。女将は知っているのだろうか?餅つき大会で楽しかった反面、孫達が望んだ家族露天風呂は予約が満員で入れなかった事など。
ジジババは憧れの女将に会えて有頂天になっていたが、息子夫婦には申し訳なかったと今になって心がチクリ。
おまけに帰り際、嫁さんから「ジイちゃんバーちゃんにお年玉」って差し出され、(老いては子に従え)で子供に返り嬉しく手を出したが思いがけない大金にいまだに戸惑っているお年玉です。ゴメンね!。


高砂会

2008年01月10日 22時32分58秒 | 日記
主人の晩酌が終わるのを待ちながら傍のソファーにもたれて眠ってしまった。「カシャッ!」と云う音で目が覚めた。主人の携帯電話のシャッター音でした。締まりの無い寝顔を撮られたのです。なぜこんなに眠いのか… 考えたら今日は芦城校下の高砂会の新年会でした。もう忘れていたのです。

正午からグランドホテルで宴会。老人会らしく四海波の謡で始まり100人余りの出席でした。気ばかり若い主人は「老人」と名の付くものには一度も出席しません。ビールよりも焼酎のお湯割りが人気。元気な老人の飲みっぷりの良い事。かくし芸の水兵さんが音楽に合わせテキパキ踊る。戦時中を思い出し一番人気でした。

運ばれる料理も美味しい。ホテルの料理を見直しました。私は熱燗で気持ちよく酔い昔話に花が咲き、けっこう楽しかったけどヤッパリ老人は疲れます。