とどこの徒然

はじめまして

別当出合の紅葉

2006年10月30日 22時50分59秒 | 日記
10月30日(月)秋の青空に惹かれ調子付いた3人組は昨日に続き今朝もまた紅葉のお山を目指す。今日の目的は別当出合。せっかく着いた別当出合の広場は落石危険の大型土嚢が積まれ半分は工事現場のようだった。登山口手前に木の鳥居が新設され、霊峰白山道を引き立たせていた。


吊橋を渡りしばらく登ると目の前に白山の室堂がくっきり小さく見えた。少し遅かったが市ノ瀬から別当出会までの紅葉が青空に映えて最高だった。

のんびり登山

2006年10月29日 22時54分09秒 | 日記
10月29日(日)先日のドライブの疲れが出たらしい。昨晩は夕食後無性に眠くなりチョットとベットに横たわる。一寝入りのつもりが目が覚めたのが今朝の5時。ビックリ仰天!茶の間も流しもきれいに片付いていた。非常に有りがたかった。

朝風呂に入り元気モリモリ!丁度山友Nさんからの電話で白峰の西山へ行く事に決まったらしい。きっと紅葉が見頃だろうと私も付いて行く事にする。独身の彼女は私達の分迄食料持参でアタフタせずに済む。

ゆるやかな登山道。紅葉の山々が丁度見頃。誰も居ない静かな西山の頂上でお弁当を食べる。景気付けに熊除けのラッパをパプパプ鳴らす。時間が余り帰り道、吉野工芸の里へ寄りトイレ休憩。天然記念物のお仏供杉に感嘆!今日はのんびりの登山だった。



旧友と会う

2006年10月29日 10時15分33秒 | 日記
10月27日晴れ、ここは(西国二十五番霊場)播州清水寺徒歩登山でお寺参り。信仰心に目覚めた黄昏二人組にもう一人、3人連れのお遍路さま。往復2時間の登山でした。25日中村さんの旧友、5人組は5年ぶりに山中温泉よしのや依緑園で再会。相変わらずの芸人で笑いこけた一夜だった。




一度は訪れたいと思っていたNさん宅、帰りは車で送ってあげることにした。彼女とは小松赴任中、何度かオリエンテーリングや登山を一緒にした主人とも親しく喜んで送ってくれる主人だった。

北陸道を1時間、敦賀、国道27号を2時間で舞鶴へ、舞鶴自動車道を1時間日本列島の中央部、兵庫県春日インターから一般道30分、目的の彼女宅へ。あたりは静かな田園地帯。四方の山は幾つかのゴルフ場と別荘地。「ここが私の家ですねん…」と。
家の裏を囲って鶏が15~6羽放し飼い。のどかな住まいだ。主人同士は初対面だが妻同士の親友は打ち解けるのも早い。

今夜のホテルは車で20分「ホテルグリーンプラザ東条湖」を案内された。リゾート地にふさわしい綺麗な高層ホテル。花一杯の広大な庭園。隣は観覧車やゼットコースターの有る遊園地だ。夕食はバイキング。男性軍は飲み放題を楽しんでいた。


一夜が開け、山歩きの好きな彼女の案内で思いがけない森林浴の清水寺徒歩登山だった。向こうに自動車道のゲートが有る。1人300円の通行料を払えば頂上まで車で登る事が出来るが私達は徒歩を選んだ。2m幅のゆるやかな坂道。昔の距離を表す石柱を一丁二丁と数えながら頂上まで十八丁(約2km)を登る。



寺院から読経が流れ小さな土産店にバスの観光客が群がっていた。帰路は高速を中国道、名神、大津から国道161で敦賀、北陸道、小松まで5時間。助手席の私は前方凝視。一服ナシのドライブだった。疲れも見せず「楽しかったなぁ」と云う主人に「うん」とだけ答えた。

大倉岳登山(651m)

2006年10月20日 09時45分18秒 | 日記
10月20日(金)このところ山男から大猫山(2050m)。山女からは仙丈ヶ岳(3033m)登山の刺激的メールが来る。我々黄昏族には程遠い話ばかり。昨日はドライブで白山スーパー林道の紅葉見物がてら、頂上から1時間で登れる三方岩岳でも登ろうかと計画していたところ、久しぶりに山岳山女から一緒に登山したいとの申し出を受ける。
彼女も熊野古道の一泊歩き。焼岳。能郷白山など毎週登山を楽しんでいる山岳部員。何も老いぼれ組と登らなくても思うが、大倉岳(651m)を是非にと息巻く。この山は丁度10年前に神戸から赴任中だった中村女史と登り、栗とマムシを収穫した。
そして2回目山仲間7人と雪のカンジキ登山をした楽しい思い出の山だ。今回の捕り物は『46のガマ』でした。



今日は資料館前の登山口を登らず、スキー場の斜面を直登し登山道へ出る。太陽が暑い。元気なのは山岳部員の彼女だけだった。カンジキ登山で宴会した懐かしい頂上の山小屋まで2時間半、ポットの熱燗酒で乾杯。元気回復。鳥越スキー場方面の見晴らしだけが綺麗!

帰りは尾小屋鉱山資料館登山口へ下山する。ちょうど二人連れの登山者と出会うが、一人は荒島岳や大長山を一緒に登った旧友のJ.Aさんだ。相変わらず元気だった。わたしはビッコひき引き2時間半の下山。頂上手前ですれ違った彼女達に追い付かれ追い越されてしまった。  ただただ疲れた登山だった。わたしにはもう無理。


ガマンの治療。

2006年10月14日 21時08分26秒 | 日記
10月14日(土)
きのう午後、最後のエタノール治療を受ける。「今日で最後や。ガマンしてね」「痛かったら云ってね」と主治医が話し掛けながら首の消毒を終え患部だけ見える2枚の白布を頭からスッポリ身体に掛ける。もう4回目のまな板の鯉。すっかり観念してベットにし噛み付いている患者だが… 麻酔注射、エタノール注射の痛さの程度、何もかも熟知している筈なのに此の恐怖感は何? 動脈、気管支、食道、声帯などの密集地帯に注射器を刺す。「既に声帯の右半分は麻痺」。只々医療ミスの恐怖におののく。治療後30分の安静仰臥。左後頭部と左肩が痛む。「緊張のし過ぎや」と、事も無げにお医者は云うが… ともあれ緊張とガマンの治療は終わった。
結果は11月6日のPET検査を待つのみ。