とどこの徒然

はじめまして

雪だるまで元気!

2011年01月31日 22時48分44秒 | 日記
今朝の積雪は最高でした。最近の天気予報は30cm~50cmの予報ばかりでしたが降るのは10cm~15cm程度の積雪です。その程度の雪すかしは私には丁度良い運動でした。

今朝は予報が当たりゴム長が埋まる大雪です。とてもか弱い女性?の手には負えない積雪でした。なのに、お隣もお向かいもバーちゃんが雪かきしてる。二人とも私より年長なのにねぇ… 一足遅れて私も頑張りました。玄関から幅50cmの細道を作り融雪装置で雪の消えた我が家の前の道路へドッキング。きっちり仕上げてヤレヤレ!
とても車庫前の雪かきは手に負えないので諦めました。





正午、思いがけなく長男がタイヤショベルで車庫の前を2度往復。運転席からバイバイと手を振り行ってしまったのです。アッと云う間の除雪でした。嬉しくて感激です♪。ルンルンと玄関前の新雪で雪だるま作りが始まるのです。東京の孫と一緒のつもりでばーちゃんは雪玉を転がし始める。ご近所に見られたらとても恥ずかしいのでヒヤヒヤしながらの作業でした。



その昔、孫と一緒に楽しんでいた雪だるま作りのじいちゃん。今は退屈じいちゃんに見せて「褒められたくて」一生懸命作ったのです。ヤッパリ見て喜んでくれましたとも。久しぶりに童心に返って楽しみました。


   夜、名残惜しくてツーショット。


7年前の写真です。孫も大学生に。  


超嬉しいメールでした

2011年01月24日 20時39分11秒 | 日記
土曜日山女のトミちゃんが竹ちゃんの家に電話したら「落ち込んでいるから顔を見ると元気出るやろ」との婿殿の言葉に、私を誘って一時帰宅した安宅の家を訪問したのです。

婿殿や孫達に囲まれた竹ちゃんはヤッパリ涙々で元気が無いのです。見れば五体満足、手も足も普通に動くのです。軽度の発病で回復も早く不幸中の幸いと神に感謝の嬉し涙の筈が…
右半身不随の主人の比ではないのにメソメソと泣く不思議な彼女に思わず渇渇渇!を入れて帰ったのでした。

今朝 その竹ちゃんから携帯にメールが届いたのです。以下本文のまま。

「昨日はありがとうございました 叱ってくれてありがとう。一緒に泣いてくれる人はいっぱいいるけど本気で叱ってくれたのはヒロちゃんだけです。 あんた そんな子やったんか は効きました。 ヒロちゃんには嫌われたくありません。
今度は誉めてもらえるように頑張ります。 もう泣きません。自分との闘いですから ありがとう 死なんと長生きしてくださいお願いします。 大好きです。」

何より嬉しいメッセージでした。ありがとう!私も元気がでました。

みんな元気にな~れ

2011年01月22日 10時28分14秒 | 日記
昨日の事、4~5年の命を読んだ由美ちゃんが心配して我が家へ寄って下さったのです。
彼女は入院中の竹子さんを親友と一緒に見舞っての帰りでした。
彼女はケーキと、2冊の本を差し出し読んで参考になればとの心使いでした。
A4版の「これがガン別に治す食事療法だ!」と小さな「がん再発を防ぐ完全食」です。

先年彼女のご主人が肝臓ガンを克服されたのも彼女の献身的な食事療法のお陰でしょう。
不真面目な私には並大抵のことではないのですが、彼女の心に深く感謝し心がけて行きたいと思います。ありがとう!


昨日は何の予定も無い日でした。竹ちゃんのお見舞いをと思っていたら、珍しく久々の山女参上です。美容院の帰りらしくピカピカの彼女と缶ビールで乾杯!。
山仲間の竹ちゃんを見舞いたいと帰って行ったのですが由美ちゃんと入れ違いでした。



その後の由美ちゃんの話で竹ちゃんは今日一時帰宅の外泊許可が出たそうです。
日本海の鋭気を一杯吸って心のリハビリを!元気を取り戻して欲しいです。



4~5年の命

2011年01月20日 22時11分27秒 | 日記
昨日は市民病院の主治医の検診日でした。一昨日は松任の中央病院へPET検査の結果を聞きに行き、Y先生から断面の写真の説明を受けたのです。「首の3ヶ所は其のままですが、肺の癌が少し大きくなっています。もうこちらの(患部の首へのエタノール注射)治療はしません。これからは何でも好きな事を楽しんでください」と優しくおっしゃり、PET写真の封筒を主治医に渡すようにと、言付かったのです。

主治医は写真を見ながら「両方の肺に有るので手術しても又出るしね・・・」と言葉を濁されるのです。「Y先生に、これから何でも好きな事をして楽しんで下さいと云われたのですが、後どのくらいなのですか?」とお聞きしたのです。云いにくそうに「甲状腺の癌は遅いのであと4~5年…」と優しく宣告?されたのでした。

開胸手術以来16年目。あの時の阪神大震災の揺れは病院のベッドで感じたのです。
今日は大寒です。

叔母の49日

2011年01月16日 23時45分38秒 | 日記
今日はヤス子叔母さんの49日の法事に出かけなければならないのに夕べからの猛吹雪で我が家の玄関も雨靴が沈んでしまう積雪です。まだまだ止みそうに無い吹雪の中、甥っ子の車がお迎えに。


幹線道路は除雪や融雪で安心ですが途中、長田と辰口の従妹を拾って行くのです。地吹雪で視界が悪い中、どうにか金沢駅前の会場へ無事到着。ヤレヤレですわ。

叔母は私の母の9人兄弟の一番末っ子。母は長女でヤス子叔母様と私達の年齢差は姉妹の様なもので特に親しい叔母でした。私の兄とは4つ違い、私とは10歳違いです。

叔母の兄弟はとっくに逝き、一人残った大阪の姉は高齢で出席できず、出席したのはわが子と孫。あとは全員近場の甥っ子姪っ子達です。甥っ子姪っ子の筆頭は私の兄ですが彼は透析男でヨレヨレ、代理の甥っ子が出席です。

ずば抜けた最年長者は私でした。アルコールが回るにつれ、いつの間にか『いとこ会』の気分になってしまった法事でした。

大切な家族と相変わらず明るい姪っ子甥っ子達を遺影の叔母が笑って見ているのでした。