とどこの徒然

はじめまして

昼夜逆転が治った退屈男。

2012年05月29日 23時12分35秒 | 日記
このところ昼夜逆転の悩みが治った亭主です。治ったら治ったでリハビリの無い日中の退屈はひとしお。戸外へ出たくてウズウズ。リハビリの無い日は女房の外出に便乗しょうと待ち構えているのです。そんな退屈男をスーパーまでも誘うのですが「どこのスーパーや」と必ず聞き、近所のスーパーだけは近すぎてさすがに付いて来ません。

そんな退屈男を察して26日(土曜日)は木場潟の菖蒲園へ。6月初旬のハナショウブは未だつぼみさえも付いてなくほんとに咲くのかなと思うくらいです。5月中旬のカキツバタの満開も過ぎた寂しい菖蒲園でした。菖蒲園入り口の鯉のぼりに立ち止まり珍しげに仰ぎ見ていた二人です。赤い屋根の東屋でお弁当を食べただけの菖蒲園でした。ウオーキングの木場潟一周の人気は相変わらずの賑わいですね。







27日(日曜日)は憩いの森の清水山頂上まで頑張りましたが木陰の無い頂上は暑くて暑くて。退屈男に日傘を差し掛け休憩ナシで日陰まで下山するリハビリ登山でした。
28日(月曜日)の午後は芦城クリニックの送迎バスでのリハビリです。一時間半の女房は独身。嬉しい息抜きの時間です。

そして今日(火曜日)西山までドライブ。桐の木の紫の花と谷ウツギのピンクの花が花盛りでした。土・日は山菜採りで賑わう西山のふもとは人っ子一人いなくて貸切のワラビ採りが出来ました。細くて毛糸の編み針の様なワラビでも自分で採ったワラビは貴重です。早速茹でて明朝のお味噌汁の具に使います。大好きです。

もうろくが恐い

2012年05月26日 22時37分50秒 | 日記
一昨日「家の母ちゃんが大変な事になっとる」と、主人の姪っ子から電話が掛かったのです。その母ちゃんとは主人の姉88歳で目下入院中です。その姉が急に(もうろく)し出したとうろたえている姪っ子です。

3日前に見舞った時は正常だったのにと思いつつ昨日に続き今日は午後からのお見舞でした。なるほど姪っ子の云う通り昨日は訳の解らない夢の世界でしたが今日はマーマーでした。今は吐き気も無く食欲も出てご飯が美味しいと笑うのです。昨日までの点滴も取れていました。時々コンガラがって甥っ子を我が娘の息子になったり…目は開けているのに脳は眠っているようです。それでも良く考えると正常に戻るので「ホッ!」として帰ったのでした。

西山登山バンザーイ!

2012年05月20日 23時59分42秒 | 日記
今朝8時過ぎ山女ことトミちゃん参上。今日は昔の山仲間に由美ちゃん夫婦が加わり8名で白峰の西山登山でした。
思えば10年前の登山仲間、最年長者は云わずと知れた私達で他は10歳~20歳の年齢差。
あの頃彼ら彼女達は若くて元気でした。毎週県内外の登山を楽しんでいた仲間ですが、いつの間にやら、あれから10年。スッカリ昔の思い出です。

主人が救急車で入院したのが2,008年1月の成人式の夜でした。8ヶ月の入院生活から悶々と苦しむ日々。何とか希望を抱かせようと西山登山を目的に始めた憩いの森の階段上りのリハビリ。10月には63mの清水山の頂上目指す。大声で歌って聞かせたり励まし励んで頂上達成。そして退院三月後の11月に857Mの西山登山(登山距離820m)を試みたのです。長くつらい階段を杖を頼りに一歩ずつ、すれ違う登山者に励まされ慰められ、根性で上った頂上です。
ウソの様なホントの話に理学療法士さんを驚かせたのでした。

山が好きだから頑張れた。そして2,009年4月・2,011年5月は山女トミちゃんの助っ人で。
そして今年は山仲間も一緒に計画を立てたのでした。トミちゃんと私たち2人は山仲間の一時間前に出発し登山開始です。ヤッと頂上へ到着したのと仲間が追いついたのと同時で万歳万歳の頂上でした。

指折り数え8年の秋は私と。9年・11年はトミちゃんと。10年の初夏?は長男と3人ですが余りの猛暑にお花畑まで上って帰ったのですが5年連続の西山登山です。今年の肩の荷が下りました。

頂上では大鍋持参のアッちゃん夫婦と由美ちゃん達が材料持ち寄りでトン汁の振る舞いで大賑わいのランチタイムでした。昔はアルコールでとても盛り上がったのですが、その点は寂しいですね。

今年の登山は山女の考案で主人のマヒした足の膝下を布で結び紐を通して一歩一歩引き上げる親切なトミちゃんです。トミちゃんのお陰で今年も無事上れました。感謝!


トミちゃんの介添えで往復ともに予想していた時間より30分も短縮出来た登山でした。
とても辛そうな主人でしたがそれにも増して楽しかったと喜ぶ主人にホッ!。元気です。












久しぶりに大笑いしました。

2012年05月18日 12時01分05秒 | 日記
お旅まつりも過ぎた15日。のびのびになってたチャ子ちゃんのお誕生日を祝う会でした。
チャコちゃんはお母様が亡くなられ悲しみも癒えぬ間に今度は大切なご主人が逝かれたのです。半年の間にお二人も… 以来彼女に掛ける言葉も無くてそ~っと半年。

誕生日から1ヶ月半遅れの誕生会でした。ご主人のお葬儀以来の再会です。あの頃はほっそりやせ細っていた彼女でしたが半年ぶりに会った彼女はスッカリ元の身体に戻っていて安心でした。

彼女の希望で予約の料亭(しののめ)です。相変わらず繊細なお料理は可愛くて美しい。
食べるのが勿体無くて困ります。(しののめ)は一日二組程度のお客しか取らず2~3ヶ月前から予約でぎっしり。たまたま5月は15日だけが空いていたそうです。

飲めない保子さんがチャコちゃんと私を送迎。チャコとイッちゃんは生ビールだったり焼酎だったり、私は熱燗、ヤス子はウーロン茶で乾杯。久しぶりに飲んで大笑い。ご機嫌の勢いで7月のデイナーを固く約束してお別れです。勿論イッちゃんは代行で帰りましたよ。



母の日のプレゼント

2012年05月16日 00時10分31秒 | 日記
13日の夕方次男の嫁からメールが届いていたのです。題が(母の日花束)です。本文が(写真と母の日プレゼント今日送りました。遅くなってごめん)と。このメールを見たのが14日朝です。母の日に届く筈の花束が未だ届かない… ソワソワと宅急便を待っていたのです。
毎年プレゼントを欠かさず送ってくれる次男の嫁に済まないと思いながら未だにチョッピリ待つ母心。

今書きながらフと勘違いに気が付きました。(遅くなってごめん)の意味です。送った日が母の日の前の夕方だと思い込んでいたのです。だから母の日に届かなかった花束は「萎れてしまう」と心配したり、届くのを待ちわびたり… 午後「郵パック」の小包が届き受け取りながら「お花は?」と催促したり。「いやーこれだけですよ。此処に写真と書いて有りますよ」郵便局のオッちゃんの返事に「じゃ別便で来るのかしらね、早く来ないと枯れてしまう」なーんて小言を云いながら小包を受け取っていたのです。

小包は4月初めに帰省した次男家族とスタジオで一緒に撮った額縁入りの写真だと解っているのですが届かぬ花束を気にしながら小包を開いて合点でした。(母の日の花束)とはバラの花の付いた可愛い携帯ポーチだったのです。直ぐお礼のメールを入れると嫁から(デジカメなどの収納に使って下さい)との返信メールでした。早速紐の金具を外し自分の背丈に合わせて細工し直しルンルン気分。感謝感謝! このポーチの花の様に心も幸せの満開でした。