とどこの徒然

はじめまして

さよなら能登鉄道 2005/3/19(土)

2005年03月22日 13時27分54秒 | 日記
今週のお天気はあまりよろしくない。毎日サンデーの退屈主人は「今度晴れたら能登鉄道へ乗りに行こう」と私を誘う。3月末日で廃止となる能登鉄道。廃止になる前に一度は乗っておきたい主人だった。天候予報の晴マークは来週の彼岸の連休の2日だけだった。
なのに思いがけず今朝は青空。急きょ穴水駅までカーナビを頼りに車を走らせた。心配した駐車場も丁度一台だけの空きが有りラッキーとばかり飛び込む。小さな駅舎の待合室には溢れんばかりの先客が出発時間を待っている。金沢から来たと言う男性が「こんなに多いと一両追加するかも知れない」と話していたが期待に反してヤッパリ二両編成だった。駐車に手間取り案の定、私達は立ち席になった。乗客の殆どは老人の域に入った方ばかりで占めている。11時半穴水駅を出発。窓外の景色は冬枯れの立ち木ばかり。トンネルがむやみに多くて金属音のやかましいトンネルに「何の音だろう」と訝る主人だった。途中下車する乗客も殆ど居なく座席が空かない。私達は七尾から来たオバサングループに座席を詰めて座らせてもらった。内浦の海岸線を走り、素晴らしい景色の連続だろうとワクワクして付いて来た私だったがトンネルと寂れた田舎ばかりで期待はずれ。あきらめて、おしゃべりオバサンの自慢話を黙って聞き、一人ニヤニヤ笑っていた。途中恋路駅舎から美しい恋路海岸が見え主人にせかされシャッターを切る。一時間半の長い乗車で終着駅の蛸島駅に着きやっと窮屈な姿勢から解放された。蛸島で10分の停車で折り返し運転。帰りは要領よく向かい同士に座席を取り、やっと旅行気分になり、地図を広げて終着駅の蛸島を探す。能登半島の内浦海岸の突端だった。知らぬ事とは言え、えらい遠い所まで来たものだと驚く。手前の駅、正院を通過し、すず駅で一時間の停車。やっと持参のお弁当を開いて食べる。車外へ降り記念の写真を撮る。次は飯田、気のせいか主人は懐かしそうだ。その昔、仕事で半年間の滞在中、彼は惚れられたと云うが?(どっちでもいい)梅ちゃんと云う彼女にとても世話になったとか…時々思い出して聞かされた飯田の地名だった。鵜飼も過ぎ見附島(軍艦島)がチラリと見える。恋路海岸あたりの海の向こうに立山連峰が浮かんで観え感動し、得した気分になった。いつの間にか4時となり始発の穴水駅に到着する。