Kou Farm

畑の話と日々の雑談

8月15日

2018-08-16 11:46:42 | 日々の事
昨日は終戦記念日
ここのところ 特別番組が多い
なかでも胸が痛かったのが 戦災孤児をあつかった番組
戦争が終わり 両親を失った子供達が駅で着の身着のまま 助けも無いままにすくんでいる
餓死する子 病死する子 生きるために盗みを働く子
その過去を告白するお爺ちゃん お婆ちゃん 自ら傷口を開けるような痛みと共に語る姿は 見るに忍びない
きっと 告白しようにも 決して表には出てこれない様な人生を歩いてしまった人達も少なくないかった
事でしょう

まことに 戦争が落とす蔭は深い

日本では明治になって 初めて国民が生まれたと言います
それまでは ○○村の伝助 とか✖✖藩の右衛門 とかだったわけです
しかし 片田舎の百姓が 唐突にあなたも日本国民ですよ といわれても
何だっぺそりゃ?さっぱり分からん 何て人が沢山いたと想像します
幸い 当時から識字率の高かった日本ですから村の知識人(富農とか大商人)が説明したり
都会の文物を手に入れ 皆で読んだかと想像します
きっとデモクラシーという言葉に夢を感じた人達もいた事でしょう
一方で ますます重くなる年貢(税金)と農民や町人まで戦に駆り出される徴兵制に
国民てのは踏んだり蹴ったりだと 嘆いた人達も少なくなかったでしょう

貧しい暮らしに耐え 日清・日露の戦争に勝利し国民であることに誇りを感じ始めたのも束の間
日中戦争から太平洋戦争で この国を亡ぼすに至りました

子供の頃に聞いた 父の言葉を今でも覚えています
『国の言う事は鵜呑みにはできん』
敗戦を経験した人の言葉です 当時 国(政府や軍)が何をしてきたかを良く表してると思います

痛々しいまでに 無邪気で少年の様だった国民は敗戦の痛みをしって 初めて青年になったのかもしれません
そして73年 僕達は中年ぐらいにはなれたのでしょうか それとも幼稚園までもどってしまったのでしょうか
年を追うごとに 生の証言を聞く機会は失われていきます

戦争はいけない 当然です ではそれは何故なのか 
学校で学ぶ近現代史 政治をなぞるだけではなく その時の百姓町人 庶民が何を考え
何が起きていたのか 色々な角度からスポットを当ててほしいと思います
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