開闢以来、そうなのであります。
悲しいことのほうが、世の中には多いです。
当事者でなければ、
それに、どんなに悲しいことでも、
悲しいかな、それは他所ごと、になってしまいます。
孤独と悲しみは、仲良しなのです。
いつもながら、明るいお話し、ではなくて恐縮です。
ドラマを、観ておりましたら、
人生のことなのか、子育てのことなのか不明ですが、
兎に角、
あっ、と言う間だったね、
と主人公が、離婚した元夫に、
しみじみ、
と言っておりました。
それに、
たぶん、建国記念日で暇でした。
それから、翔んで埼玉、が期待外れでしたので、
黒澤明監督作品を、観ていたのでした。
すると、昭和の前の、大正時代の、ゴンドラの唄を、
主人公役の、志村喬さんが歌っていて、
歌詞を聴いて、今更乍ではありますが、
なるほど、寂しいなー、と思ってしまいました。
開闢以来、生きることは、
孤独で、悲しいのであります。
だって、
命短し恋せよ乙女(男?)で始まって、
朱き唇あせぬ間に、
黒髪の色あせぬ間に、
心の炎消えぬ間に、
熱き血潮の冷えぬ間に、
と来て、
明日の月日のないものを、
今日は再び来ぬものを、
で終わるのであります。
なるほど、
そういうことなのであります。
それは、開闢以来、そういうことになっているのです。
山本周五郎さん、も言っています。
全ては、つゆのひぬま、
なのであります。
そやから、あんた、遊びなはれ。