【2549】のように考えますと、
「自他という存在の不思議」と、「存在と時間の不思議」は、
『唯識という考え方』で説明できると思うのです。(^^;ゞ
「存在」も「時間」も「空間」も、「思い(意識)」なのです。(^^;ゞ
認識して考えている時には、「存在する」と思っているのです。
たとえば、「時間」のことを思えば、「時間は流れる」と認識しますが、
「時間」のことを思っていないときには、「目の前のこと(事象)」に没頭していて、
「時間」の観念がありません。忘れています。
(これは、例えが、あまり良くないかも知れませんが、)(^^;ゞ
ですが、とにもかくにも、(^^;ゞ
『ただ、識がある』・『識が、自分である』・『識が、時空を想像(創造)している』
『識が、存在していると思っている』ということだと思うのです。(^^;ゞ
「自他という存在の不思議」と、「存在と時間の不思議」は、
『唯識という考え方』で説明できると思うのです。(^^;ゞ
「存在」も「時間」も「空間」も、「思い(意識)」なのです。(^^;ゞ
認識して考えている時には、「存在する」と思っているのです。
たとえば、「時間」のことを思えば、「時間は流れる」と認識しますが、
「時間」のことを思っていないときには、「目の前のこと(事象)」に没頭していて、
「時間」の観念がありません。忘れています。
(これは、例えが、あまり良くないかも知れませんが、)(^^;ゞ
ですが、とにもかくにも、(^^;ゞ
『ただ、識がある』・『識が、自分である』・『識が、時空を想像(創造)している』
『識が、存在していると思っている』ということだと思うのです。(^^;ゞ