『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2550】「自他という存在の不思議」と「存在と時間の不思議」と『唯識という考え方』

2010-04-08 05:17:58 | 思索
【2549】のように考えますと、

「自他という存在の不思議」と、「存在と時間の不思議」は、
『唯識という考え方』で説明できると思うのです。(^^;ゞ

「存在」も「時間」も「空間」も、「思い(意識)」なのです。(^^;ゞ

認識して考えている時には、「存在する」と思っているのです。

たとえば、「時間」のことを思えば、「時間は流れる」と認識しますが、
「時間」のことを思っていないときには、「目の前のこと(事象)」に没頭していて、
「時間」の観念がありません。忘れています。
 (これは、例えが、あまり良くないかも知れませんが、)(^^;ゞ

ですが、とにもかくにも、(^^;ゞ
『ただ、識がある』・『識が、自分である』・『識が、時空を想像(創造)している』
『識が、存在していると思っている』ということだと思うのです。(^^;ゞ

【2549】「存在」とは何か?

2010-04-08 04:22:38 | 思索
「存在とは何か?」と、真剣に考えてみると、「存在とは、どういうことなのか?」が、
明確には、解からない!(^^;ゞ

今存在しているとしても、次の瞬間には、爆発して、認識できない状態になることがある。

しかし、分子レベルでは不滅なのだから、「目に見えない状態」になっただけのこと。

でも、それを私たちは、「存在しなくなった」という。

このようにして、「存在とは何か?」を考えると、

「目に見えない状態」のことを、「存在しない」・「存在が消えた」と認識していることになる。


★ということは、「存在の有無」は、私たち(自分)が、認識できるか否かが、「存在」の基準なのである。

つまり、「存在」とは、「私たちの認識」のことなのである。

客観的な「物理的な現実」が、「存在の有無」ではないのである。

「存在」とは、私たちの「認識」なのである。

たとえば、「あの世は、存在するのか、しないのか?」という議論でも、
各自の「認識」の違いが、「存在」の有無なのである。

・・・・・・・、ということになります。(^^;ゞ

★つまり、「存在の有無」とは、「認識の有無」なのです。