『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

【2565】『存在と無は同一』・『存在は存在しない』(ハイデガー)

2010-04-18 06:11:42 | 思索
「存在」について、もうすこし知りたかったので、以前に読んだ
『ハイデガー=存在神秘の哲学』(講談社現代新書)を見ましたら、

『存在と無は同一』(p151)、『存在は存在しない』((p153)というタイトルが見つかりました。

これは、【2561】の『『前後裁断』(現成公案)』と同様の哲学的な洞察として、正解だと思うのです。(^^;ゞ

【2564】「自分の心を綺麗にする」について

2010-04-18 05:37:15 | 思索
【2562】に、「自分の心(意識)を綺麗にする」と書いたのですが、それはどのような意味なのでしょうか?

自分にとって問題なのは、「自分の心」であり、変えることが出来るのも、「自分の心」です。


★それで、自分の心を綺麗にするためには、「自分の意識」を光明の言葉で満たせば良いのです。

「絶対に大丈夫!」という言葉は、光明の言葉の最たるもの(笑)です。

「光明の言葉」を思って、祈ることが、自分の心(自分の意識)を豊かにすることなのです。


★「絶対に大丈夫」と思って、「世界平和の祈り」をすることが、自分の意識を綺麗にする方法なのです。(^^;ゞ

以前に、「絶対に大丈夫!」よりも、「なるようになる!」の方が、理解が深い(笑)と書きましたが、

「自分の意識」を綺麗にするという見地から考えますと、それは、間違いでした。(^^;ゞ

★『光明の言葉』は、自分の中の神を顕わす言葉だと思うのです。

★「花の絵」を見ても、自分の意識(心)が綺麗になる感じがしますね。(^^;ゞ

 実際の花や絵手紙なども、それを見た人の意識を綺麗にし、癒す効果があると思いました。

★掃除をすることも、自分の意識(心)を綺麗にすることでしたね。(*^_^*)

「光明の言葉」
http://www.byakko.or.jp/4_method/kohmyo.html

【2563】「主観的な意識(唯一の意識)」が 「ただ、ある」と思えることが、悟りの心境

2010-04-18 05:06:25 | 思索
勝手に、「唯一の意識」などと言っているのではなくて、(^^;ゞ

自分の意識(主観的な意識)と、他人の意識(客観的な意識)は、別のものだと思うのです。

「他人の意識」は、「自分の意識」が、対象化して見ている風景の一つなのです。(^^;ゞ

それで、「主観的な意識(唯一の意識)」が 「ただ、ある」と思えることが、悟り(笑)だと思うのです。


★『今にだけ、「この意識」がある。 ただ、ある。

「他人の意識」は、自分の意識に映った風景であり、実存しない』と思えば、

多少強引だとは思う(笑)のですが、それが悟りだと思うのです。(^^;ゞ


★実際に、「自分の意識」だけが「只だ、ある」のです。

「自分の意識(心)」だけが、問題なのです。(^^;ゞ

『他人の意識(心)』は、問題ではないのです。(*^_^*)

すべては、自分の意識(心)なのです。

すべては、自分の意識(心)が、描いている風景に過ぎないのです。(*^_^*)

こういう認識が、悟りだと思うのです。(^^;ゞ


★このことに気付いてから、私は、
『この意識だけが、只だある』と、いう言葉をくり返すようになりました。(^^;ゞ

この言葉を発しますと、「自分の心」が解放されて自由になります。

自分は、自分の意識(心)を綺麗にすれば良いのだと思えて、スッキリするのです。(^^;ゞ

本来、人間は、「他人の人生(他人の意識)」の心配をする必要はないのです。

「他人の意識(他人の心・他人の言葉・他人の行動)」をつかむ必要はないのです。(*^_^*)